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狭い世界に居場所がない
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「親から大切にされていないと悟った幼少期」
https://note.com/marui_notebook/n/nefa7b8ec254a
家庭内では親兄弟から容赦なく虐げられていた僕にも、小学校入学の時期がやってきました。
入学式当日のこと。
前後の過程は覚えていませんが、僕は小学生たちがよく被っているような黄色い帽子を被って入学式に臨みました。
きっと、異様な光景だったことでしょう。
周りの子達は被っていない黄色い帽子を1人被って入学式にくる同級生。奇異な目で見られるのも当然です。
なぜ、普通は被らない帽子を被って入学式に臨んだか、理由はよく覚えています。
円形脱毛症によってできた10円玉大の円形ハゲを隠すためです。
子供のことですから、周りと違う僕のことを放っておくわけがありませんでした。
いつのタイミングだったか覚えていませんが、帽子は同級生たちに取られて、なぜかは分かりませんが、通学途中にかぶっていく事も禁止になりました。
僕が小学校低学年の頃の事ですから、おおよそ25年ほど前。今でさえ、狭量な校則が問題視されている時代です。当時もだいたい同じような理由でそうなったのではないかと思います。
僕がみんなと違う点はあと何個かありました。
まず一つ目に、みんなはピカピカのランドセルを背負っていましたが、僕は兄からのお下がりの、ボロボロになったランドセルを背負っていました。元の色はきっと黒色だったと思いますが、長年酷使されたことによって色々なものが剥がれて変色し、金具は錆び付き、中のポケットは破損によってポケットとしての用をなしていないものもあるような状態のランドセルでした。
担任の先生や父に、いっそのことランドセルではなく普通のリュックサックを背負わせてくれと何度懇願したか分かりませんが、全て拒否されました。
そしてもう一つ違う点が、僕はみんなからとても避けられていました。
友達ゼロ。僕から近づけばそれに合わせてみんなが遠ざかっていき、遠巻きに「ハゲウイルス」と悪口を言われる始末でした。
みんなからよく言われた、この「ウイルス」という悪口。
今、当時の家庭状況と併せて振り返ってみると、なるほど確かにそう言われても仕方がない点があったな、と納得が行きます。
僕の家は、恐ろしいほどに汚い状況でした。今で言う「ゴミ屋敷」です。当時は団地に住んでいましたから「ゴミ部屋」です。確か間取りは4LDKだったはずなのですが、その至る所にゴミが散乱して、至る所にゴキブリがはびこっていました。
父も兄も掃除をしない。ゴミを捨てに行かない。洗濯もまともにしない。
当時、それら家事をやっていたのは小学校低学年の僕でした。
やり方を教わったのでしょう、掃除機をかけるのも、洗濯をするのも、トイレや風呂の掃除、食器を洗うのも僕でした。
それらに粗が見つかると親兄弟からまた暴力を振るわれるので戦々恐々としながらそれらをこなしていたことをよく覚えているのですが、病気がちで体が小さく、力も体力もない僕にそう言った重労働が出来るわけもなく、また出来たとしても完璧にこなせるわけもなく、結局、暴力を叩き込まれました。
そんな状態ですから、きっと僕は臭かったのでしょう。
あり得ない仮定ですが、もしも僕がその他クラスメイトの立場だったら、少なくとも仲良くなりたいとは思いません。臭気を漂わせるクラスメイトとなんて、頼まれても嫌です。当然です。
ですが、当時の僕にはそれが分からず、どうして僕は避けれているんだろう、みんなに酷いことを言われるんだろう、友達になってくれないんだろう。
そんなことばかりを考えていました。
それが新たなストレスとなって、また髪がポロポロと抜け落ち、円形ハゲはさらに大きくなっていき、よりクラスメイトたちからからかわれ、先生は止めてもくれず、誰にも相談できず、小児喘息による発作が頻発するようになりました。