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咲の鴨東小パスポート

プロローグ

転校すると、今まで過ごしていた学校や周りの風景は、まるではじめから私がいなかったように動き始める。

「鴨東小パスポート」は、そんな風景を変えてくれる魔法のカードだ。転校する子が希望すれば、このカードを持つことができる。そして、その学年が卒業するまで、鴨東小の門をくぐることができ、まるで転校する前と同じように扱ってくれる。転校する前の世界の続きがそこにある。教室には座る席があって、以前と同じように一緒に授業を受け、休み時間には友達と遊び、給食を食べることができる。転校しても、そこにいたことを、なかったことにしない。

そんな学校、あったらいいな。

本編

6年生の夏、咲は京都にある鴨東小学校から、東京の学校に引っ越すことになりました。1学期の終業式が終わり、夏休みに入って5日目の昼、仕事中は滅多に家に電話をかけてくることなんてないのに、お父さんがお母さんに電話をかけてきて、こう言ったのです。
「8月から、東京へ転勤やて。新しい仕事が始まることが急に決まったんや。えらい急ですまんけど、新居を探しておくさかい、引越しの準備をしておいてくれへんか。」
お母さんが電話を切ってから、東京に向かうまでの、目まぐるしい1週間が始まりました。

その日、お母さんは、まずおじいちゃん、おばあちゃんの家に電話をかけました。おじいちゃん、おばあちゃんの家は、咲の家から地下鉄で10分、歩いて10分。京都市内にあります。お母さんは、引越しのお手伝いをお願いし、引っ越す日にちを相談しました。

次の日、お母さんは学校に電話をかけたのち、すぐに咲を連れて小学校に向かいました。転校の手続きをするためです。この日は、担任の先生が夏休みの当番で、学校にいて、咲は先生に、お別れのあいさつをしました。お母さんが学校の事務室で手続きをしている間、先生は、咲にこう話しかけました。「あと半年で、小学校卒業やな。そやのに、一足早くお別れせなあかんなんて、寂しいな。これ、もしよかったら、咲さんに持っていてほしいんやけど、、、。」そう言って、先生は咲に『鴨東小パスポート』と書かれたプラスチック製のカードを渡しました。首に下げられるようにフォルダに収められています。

「もし、咲さんが希望すれば、いつでもここに遊びに来てもええし、参加したい行事があるんやったら、その日だけ戻ってきて参加することができる、魔法のパスポートや。ただし、戻ってこられるのは3回だけやで。ええ話やと思うんやけど、どうやろ?」このカードを受け取れば、3回だけとはいえ、また鴨東小学校の門をくぐることができるというのです。

咲は、もう鴨東小学校に行けなくなる、友達と会えなくなると思っていたので、びっくりです。もし、このカードを受け取らなければ、この通いなれた小学校に自由に出入りすることはできなるのです。咲は、迷わずこのカードを受け取り、先生にカードの使い方を教えてもらいました。カードの裏にも、使い方が書かれてありました。

1.小学校の間、いつでも3回だけ鴨東小学校に戻ってくることができます。
2.カードは使わないときには裏返しにしておき、使いたいときに表に返します。このとき、鴨東小学校に行きたいと強く念じます。
3.鴨東小学校に来るときには、このカードを必ず首からさげること(このカードは、首からさげていても、他の人には見えません)。
4.このカードのことは、他の人には決して話さないこと。
5.このカードをなくしてしまった場合と、他の人に話してしまった場合は、効力を失います。

3日目、家に引っ越し屋さんがきて、どれくらいの荷物があるのかを見にきました。トラック何台必要か、確認するためです。お父さんの本があまりにも多かったので、咲のお気に入りの黄色い自転車は、おじいちゃんの家に置いていかなければならなくなりました。

4日目、お父さんは1人で東京の家の下見に行きました。

5日目、お母さんは、咲のために、仲のよかった3人の友達を家に呼び、咲の12才の誕生日会(本当は、8月のお盆の時期が誕生日なのだけれど)を開いてくれました。お別れ会もかねて。

6日目、おじいちゃん、おばあちゃんが咲の家に来て、引っ越しの手伝いをしてくれました。荷物を次々に段ボール箱に詰めるのです。

7日目、おじいちゃんは、鴨川の河床の日本料理店を予約し、近所に住んでいる親せきの叔母さんも一緒に、「送別会」をしてくれました。

8日目、新幹線を乗るためにホームに上がったところ、誕生日会(お別れ会)に来てくれた友達が、見送りに来てくれていました。ほかの学校のお友達とは、お別れのあいさつもできないままでしたが、咲はきっとまた会えると信じていました。先生からもらったカードを握りしめ、東京へと向かったのです。

咲は、2学期の始業式の日に、桜野小学校に転入しました。夏休みから転校してくる子は、6つの学年で10人いましたが、6年生で転校してきたのは、咲一人だけでした。新しい担任の先生の後ろをついて、教室に入ると、先生にうながされて、自己紹介をしました。「京都の鴨東小学校から来ました。よろしゅうお願いします。」教室のみんなは、咲の話す関西弁に興味津々。始業式が終わった後も、クラスのみんなは咲を取り囲んで、質問をしてきます。
「標準語って、話せないの?」
「6年生の終わりに引っ越してくるってことは、東京の学校受験するの?」
「修学旅行って、前の学校ではもう行った?」
「前の学校では、何の遊びがはやっていた?」
咲は、一つ一つ、質問に答えようとしますが、早口で次々に聞かれるので、うまく答えることができません。

学校初日、咲は家へ帰ると、へとへとに疲れてベッドに横になりました。
「鴨東小学校のみんなに会いたいな。」
寝ころびながら、先生にもらった「鴨東パスポート」と書かれたカードをフォルダーから出してみました。ふと、「先生に聞いた通り、フォルダに表向きに入れてみたら、どうなるんだろう」と、思いました。先生から教えてもらった通り、カードをフォルダの表側に向けて入れてみました。しかし、何も起きません。咲は、「先生が言うてはったことは、まるでおとぎ話のようやと思っていたけど、やっぱりそんな調子のええこと、起こらへんはずやな。」と少しがっかりしました。そして、そのまま、うとうとと眠ってしまったのです。

翌日、咲は新しい学校へと向かいました。「鴨東パスポート」は、昨日は効き目がなかったものの、咲の心のお守りとして、首から下げて洋服の内側に入れておきました。カードは表向きになったままです。登校すると、昨日と同じように、新しいクラスメートが次々にやってきます。
「得意な科目ってなに?」
「学校を案内してあげる」
「担任の先生のひみつ、教えてあげる」
咲は、できるだけ答えようとしました。しかし、咲が関西弁で答えると、周囲はどっと笑いが起きてしまいます。咲は、「やっぱり、あかん。前の学校に戻りたい」と目をぎゅっと閉じながら、強く心で念じました。

すると、先ほどまでの騒々しい笑い声が、突然聞こえなくなりました。咲は、そっと目を開けると、そこは鴨東小学校の教室。今まで座っていた席に、咲は座っていたのです。咲は、キョロキョロとあたりを見回すと、そこには夏休みに入るまで一緒に過ごしていた仲間が座っていました。咲の後ろの席の子が、「咲、何キョロキョロしてはんの?なんかあったん?」と聞いてきました。先生は、「ほら、そこおしゃべりせんと。咲、ちゃんと前向きや。」といって、ニッと笑いながら、咲にウインクして合図を送りました。咲は、もうびっくりです。

授業が終わると、教室の隣にある準備室に入っていった先生の後を追いかけました。「先生、うち、ほんまに戻ってきたん?」咲は、先生に問いかけます。「そうみたいやな。どうや、東京の学校は?、、、まだ二日しかたっとらへんけどな。」咲は、早口で次々と質問攻めにされること、答えようとすると関西弁なので笑われてしまうことを先生に話しました。先生は、「関西弁話せるやなんて、咲のチャームポイントやで。堂々としていたらええやん。気の合う、ええ友達、見つかることを、先生は願っているで。」咲は、先生と話せて、少し気分が軽くなりました。

咲は、準備室のドアを出ると、そこは東京、桜野小学校の廊下でした。咲は、「鴨東小パスポート」を裏に返してフォルダにしまい、教室に戻っていきました。教室に入ろうとすると、入り口のところで、女の子が心配そうに咲に声をかけてきました。「さっき、笑ってしまったこと、気を悪くしたなら、ごめんね。私の名前は、千佳。わからないことがあったら、なんでも聞いて。」咲は、誰も知り合いがおらず、心細かったことや、みんなの話すスピードが早くて、びっくりして答えられなかったことを千佳に話し、「友達になってくれへん?」とお願いしました。千佳は、「もちろん!よろしくね!」と言い、咲の手を取り握手しました。

こうして、咲の新しい学校生活が始まったのです。
友達ができれば、もう「鴨東小パスポート」の出番はなくなる…かな?

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