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「集中力!やればできる」の裏に隠された代償

ある日、息子は大好きなアニメのキャラクターがたくさん載っているポスターを、近所のファーストフード店で頂いて帰ってきました。
そのキャラクターの下には、一つ一つカタカナで名前が記してありました。
当時まだ3歳、もちろんカタカナは読めません。
新しいキャラクターの名前を覚えたくて仕方がない息子は、何度も私のところに聞きに来ました。
最初のうちは、いくつか教えてあげていたのですが、そのあとは私の方が面倒くさくなり、放っておきました。
すると息子は、自分が知っているキャラクターの名前の音と文字の形を比べて、何が書かれてあるかを割り出し、あっという間にカタカナを解読してしまったのです。
恐ろしいほどの集中力!
当時は天才だ!と、喜んでましたが、今思えば、これも自閉症スペクトラムの特徴の一つである、強いこだわりや集中力から来るものだったのかもしれません。

中学生になると、その「集中力」は違った場面で使わなければならなくなります。

中学3年生になってから、高校受験の練習のために何度か模擬試験を受けに行かせていました。
いつも、これといって得意科目というものは見当たらず。
しかし、回数を重ねていくうち、一つの法則があることに気が付きました。
試験が5時間あったとすると、1、3、5時間目に受けた科目は良い点をとり、2、4時間目のテストはボロボロといった成績になっているものが多かったのです。
息子の成績は、科目の得意不得意によるものではなく、明らかに受けた科目の順番によって変わっていたのです。
模擬試験の結果で、苦手な科目の対策をさせたい私としては、全ての教科に全力を注がない息子に、毎回腹を立てていました。

ある日、「この模擬試験は、入試の相談会に持っていくから、ちゃんと集中して受けてよ」と言って、送り出しました。
するとその日、息子は帰ってくるなり、自分の部屋に閉じこもったきり、翌日の昼までほとんど起き上がれなかったのです。
人格が豹変するほどストレスが蓄積され、疲労困憊してしまったのです。
その模擬試験の結果は、てっぺんの学校が見えるくらいの成績。
「やればできるじゃないの」と褒めたのですが、後にその代償は、生活や精神状態に支障が出てしまうほど、大きいものであったことに気が付くのです。


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