どの往来で間違えたのか。「懺悔の街」感想など
ハルです。昨年冬あたりから米津玄師にドハマりしてしまい、人生amazarashi一辺倒だった私にもついに二つ目の好きなアーティストができたというわけです。
私は特に、今は3rdアルバム「Bremen」と3rdシングル「Flowerwall」がお気に入りで、毎日それらばっか聴いているわけですが、今ちょうど夜行バスの中なので、ササッと「懺悔の街」という楽曲について、所感というか考察というか、まあ感想?を書きなぐって暇を潰そうと思います。つまり駄文です。
①この曲のテーマって?
この曲は、米津玄師氏の生まれ育った「街」と、自分の人生の後悔とそれを許してもらうための「懺悔」による楽曲である。
上記のインタビューにもある通り、「あのときああしていれば」という後悔が楽曲に滲み出ている。
「街」を人生そのものに例えているように感じる。自分の人生はどこかで選択を誤ってしまったのではないか(=どの往来で間違えたんだ)、それともどこかでなにかをし忘れているのだろうか(=落し物を探しまわって)。
しかし、どう後悔しようとも、人生は不可逆で、決して過去に戻ってやり直すことはできない。その事実に直面していることを「自分と比べて小さくなった路地と公園」に例えているのではないか。視覚的に"もう戻れない"と、街そのものに諭されているようでとても良い比喩だなあとしみじみ。「袖の足りない服を着続けている」は、自分はずっと子供のころの後悔に囚われ続けてる、みたいなニュアンスなのかなー、と。
自分は確かに大人になって、いつの日か作り笑いが上手くなり、いつの日か泣くことも少なくなり、ただ大人になったとしても、自分はどこか間違ったまま生きているのではないか、そんな不安。そして、間違ったまま生きている自分でも「生きていていいんだ」という許しがほしい。この楽曲はそんなテーマであると考えています。
②ここの歌詞がいいよね!!!
考察タイムは終了です。
あとはもう好きな歌詞を羅列しちゃいます!
この独白みたいな口調、たぶん「懺悔室」ですよね!?
街の角を~とか、まさしく自分の人生を恥ずかしがりつつ人に話してるみたいで、いいですね…
聖者の行進、賛美歌、祈り、あとは天使の遊戯とかもありますが、たぶん神聖なアレですよね。アレ。
なんか、懺悔って感じで、いいですよね。エヘヘ。
とぅるるるる~も綺麗で好きです。懺悔室しかり、曲のイメージが言葉でスッと入ってくる感じは気持ちいいですよね。なんか。
ここも秀逸です。
どうして同じ人間であるのに、自分なんかよりよっぽど素晴らしい人間で、きっと自分なんかよりも正しい道を歩んできたんだろう、みたいな。
よくある人と比較した時の劣等感と違い、人生単位で劣等感を感じるような。「この人は自分より頭がよくてすごいな」ではなく、「この人は自分より人生が正しくて恥ずかしいな」なのです。
懺悔し、許しを乞い、恥を感じるもの、それは「罪」ですが、米津玄師氏にとって自分の人生の過ちは「罪」のように感じるのでしょう。自分より潔白な人間に会った時に、まるで光が物体で遮られて影ができるように、自分の中の罪が露呈する。「あの人はこんなに素晴らしいのに、自分にはそれができない。それができない人生を歩んできた。」と。ここだけでも、懺悔の街という楽曲に隠された米津玄師氏の想いが感じ取れるようですね。最高です。
この楽曲がこれでスパッと〆られているのを素敵です。
過去をいくら悔やもうと、それでも明日は来る。
恐らく自分はこれからも道を誤り続けるし、落し物をする。人生は不可逆でどうしようもない。
これが救いなのかそうでないのか。
僕個人は「どちらでもない」と感じます。
人生はただ続き、それは神の善意でも悪意でもなく「ただそういうもの」でしかない。
この楽曲に用意されているのは「人生に過ちがあってもいいんじゃない?」ではないんです。
人生とはただそういうもの。そういう呆気ない終わり方も個人的にとてもいいなと感じるポイントです。
③他に素敵なところ
以下、理屈ではないです。
・イントロめっちゃかっこいい~~~!!!!!
・2番サビ~ラスサビの間奏の間の「オーオーオー」みたいの、なんか、神に許しを乞うてるみたいな感じがしません?いいですよね
以上です。 いい楽曲ですよね~