「さくら」について語らせてくれないか【amazarashi歌詞考察】
4月ですね。
春になって気候も穏やかになり、私の周りの雪もほとんど溶けました。きっと、amazarashiのルーツである青森も同じような状態なんじゃないかな、と思いを馳せています。
さて、amazarashiの春の歌といえば、一体何が浮かぶでしょう?「春待ち」……少々冬寄りでしょうかね?桜が出てくるから「ポルノ映画の看板の下で」とか……
しかしやっぱり皆様、「さくら」が浮かんでくるんじゃないでしょうか。
今回はそんな「さくら」について語らせていただきます。
「さくら」が収録されているアルバム「アノミー」はこちら(Amazon)。
さくら以外にも名曲揃いです。(この街で生きているとか超良くないですか!?)
「メッセージボトル」にも収録されています。(このアルバムもとても良いです!!!)
最初に
amazarashiの楽曲は、秋田さんの紡ぐ言葉によって多様な解釈が可能です。それによる言葉の広がりが美しいのですが、私はその言葉の一部の側面の話をします。
これは、彼の言葉を分かりやすく、また何を示しているのかが理解できる反面、その言葉の広がりは失われてしまいます。
なので、この記事に書いてあることは「ふーん。そういう捉え方もあるんだな。」程度で留めて、聴く時は個々の解釈や感じ方を尊重していただけると嬉しいです。
1番Aメロ---夢を追う二人
(歌詞に移る前に……まずイントロの桜が散るような音、とってもいいですよね……!
毎回、「これから"さくら"が始まるんだ!」という気分になります。)
その時の僕らはといえば ビルの屋上で空を眺めているばかり
バイトを抜け出し 汗と埃にまみれた 取り留めのない夢物語
「その時の僕ら」という歌い出しからはじまります。きっと昔の話でしょう。
眼前の現実ではなく、誰も来ないビルの屋上で空だけを見て、取り留めのない夢物語を話している。
2人の間にある信頼が見てとれます。
「今でも苦労して頑張った結果、仲間と笑い合ったりすると、
これが青春じゃないか? と思うことはあります。
過去の事で言えば、東京でバンドをやっていた時期が
そうじゃないかと思います。
丁度『さくら』や『理想の花』はその当時の事を歌っています。」
これはRooftopインタビュー記事amazarashi2011年3月号での秋田ひろむさん(作詞・作曲・ボーカル・ギター)の言葉です。彼は過去東京でバンドをやっていた当時、日々の生活費を稼ぐためのバイトを抜け出し、バンドで成功するという「取り留めのない夢物語」を描いていました。
互いに抱えてるはずの ちゃちな不安は 決して口には出さない約束
中央線が高架橋の上で おもちゃみたいに カタカタ なった
「夢はきっと叶わないのではないだろうか。」や、「明日の生活は大丈夫だろうか。」や、「音楽で稼いで生きていくなんて無理なんじゃないだろうか。」といった不安は、二人の間では口にしない約束で。
二人の間の関係や感情や情景描写が上手いなぁとつくづく感じます。バイトを抜け出すことの背徳感、共にそんな悪事(?)を働く共犯者であり、同じ夢を追う仲間であり……。
近くを通る中央線。働く人たちを乗せるこの電車がまるでオモチャのように見えて、自分たちの夢を信じていることを表しているのでは?と思ってます。
1番Bメロ---美しく最悪な日々
なぁ 結局僕らは正しかったのかな? あんなに意地になって
間違ってなんかいないって やれば出来るって
唇噛み締めて夜に這いつくばって
先程までの風景は「その時の僕ら」の話。場面は変わって今になるわけですが、その「今」になって、あの頃がむしゃらに夢を追っていたことが果たして正しかったのかどうか、疑問になります。
誰でも過去に後悔はするものですが、秋田さんにとってこの過去は非常に大切なもので、自分たちの……世間的に見れば、音楽で生きていくなんてのは大変なことであるわけで、おそらく周囲からの反対も、そして先程の「口に出さなかったちゃちな不安」から、きっと自分でもやって行けるかどうかは不安だったようですが。
そういう不安や反対を振り切るように、「間違ってなんかいない」「やればできる」と、信じて、辛い現実を生き続けていたようです。
同じく東京でバンドをやっていた頃を歌った「ハルキオンザロード」の詩においても、この頃の夜を「美しい思い出」としつつも「最悪な夜」と綴っていたので、今になっても「正しかったのだろうか」と振り返ってしまうほどには、強烈な体験だった事は想像に難くないです。
その闇の中で言葉にならない嗚咽のような叫びは
千川通りで轢かれていた カラスの遺体みたい 痛い 痛い
その暗い体験の中で吐き出された怨嗟やこの世の中に対する恨み辛み。まるで千川通りで轢かれていたカラスの遺体のように、今思い出しただけでも痛く苦しいような、辛い思い出であるようです。
千川通りは練馬区の桜の名所として知られるようで、春にはこのように桜が咲くようです。
そんな華やかさの中で轢かれているカラスの遺体。先程のハルキオンザロードの詩の話に繋がるわけですが、秋田さんにとって、この頃がどれだけ「美しく」そして「辛い」ものだったかが分かります。
1番サビ---友人との別れと「桜」
ふざけんな ここで終わりになんかすんな 僕等の旅を「青春」なんて 名づけて過去にすんな
遠ざかる足音に取り残された 悔し涙は絶対忘れないよ
故郷離れた東京にて同じ夢を分かち合える仲間は非常に大切なものだったと思います。しかしながら、これは過去の話。どんな出会いにも別れはつきもので、この二人にも最後はありました。
今、秋田さんがこの人と会う機会があるのかどうかは分かりませんが、個人的な予想としてはたぶん無いんじゃないかなと思ってます。
バンドを解散しここでやめるというのなら、夢は「青春」や「若さ故の無謀」になって「過去」になり、目指すべき夢ではなくなってしまいます。
遠ざかる足音、音楽で生きていく夢はそこで潰えて、ビルの屋上で語り合った仲間はどこかへ行く、その後ろ姿を見ているのでしょう。
夢を諦めざるを得なくなった、その悔しさは計り知れません。
踏みつけられたフライヤー拾い集める 代々木公園も気付けば春だった
苦笑いの僕等 舞い落ちる
桜
踏みつけられたフライヤー(きっと、自分たちのバンドの広告が何かだと思いますが)を拾い集める。誰も自分たちの音楽を聴こうとしてくれない悲しい現実を前に苦笑いするしかないようですが、それでも、(おそらく会場だった)代々木公園には桜が咲いていました。
桜といえば楽しいものといいますか気分が弾むものだといいますか、とにかく桜を見て不快な気分になる人は少ないと思いますが、秋田さんにはこのように桜に苦い思い出があるようです。
このサビも「思い出」そのままだと感じます。
当時の風景そのまま。
2番Aメロ---僕はその木が嫌いだった
日当たりが悪くなるから 窓の外にある大きな木が嫌いだった
春になって 花をつけるまで 僕はその木が 嫌いだったんだ
今になってはどうでもいい話だけれど なんかちょっとだけ後悔してるんだ
ほんとにどうでもいい話だったかな ごめんな
「さくら」なんて曲名をしておいて、花が綺麗な大きな木の話をし始めましたよ。
十中八九桜の話のように見えますが、敢えて名前を伏せているのは、「比喩」だからではないかと思ってます。(「さくら」という名前がただくどいからかもしれませんが)
大きな木を誰か人に見立てて、その人の本当の部分を見るまでは……つまり、ある程度親交を深めるまでは、僕は君のことがあまり好きではなかった。そんなニュアンスでしょう。
おそらくその人とも離れて今は会うこともないんじゃないかな?と思います。
だから今となってはどうでもいい話。でも、会ってから離れるまでの時間、「君のことが嫌いだった時間」が非常にもったいないと言いますか、もしくは、大切なあなたの事を少しでも嫌いだった期間があることに対してかもしれませんが、なんだか今になって、少しだけ後悔してしまっているような気がするようです。
ここら辺も心情描写上手いな~と思ってしまいます。心のこういう微妙な部分の表現痺れますね。
この楽曲が収録されたアルバム「アノミー」の1つ前のアルバムに収録されている「ワンルーム叙事詩」もそうですが、amazarashiは初期からこういうところが得意だなと感じます。
2番Bメロ---関係の終わりと始まり
駅前のロータリー 夕焼けが悲しい訳を ずっと 考えていたんだ
終わるのが悲しいか それとも始まるのが悲しいか 街灯がそろそろと灯りだした
駅前のロータリー、つまり人が別れる場所。そこで夕焼けが悲しい理由を考えています。
夕焼けとは一日の終わりで、それをまた人との関係になぞらえて、果たして「人と人とが別れて、関係が終わってしまうこと」が悲しいのか、それとも、「いずれ終わることが分かっているのに、それでもまた人と人との関係が始まってしまうこと」が悲しいのか……
街灯が灯りだして、陽は完全に落ちて夜がやってきます。
これも誰かと別れてしまった隠喩かなと感じています。
つまりは 終わりも始まりも同じなんだ だったらこの涙に用はない さっさと 失せろ
胸がいてーよ いてーよ
「同じく悲しみを感じるというのなら、関係の始まりも同じも同じだから、人と人との関係が始まったり終わったりするようなことにいちいち悲しんだりしていられないだろう」と自分に言い聞かせます。
そう思っても、どうしても胸が痛くて悲しくて仕方が無いものです。
2番サビ---恋人との別れと「桜」
一人の部屋に 春一番の迷子 二人で選んだカーテンが揺れてます
どうせなら 荷物と一緒に この虚しさも運び出してくれりゃ良かったのに
一人だけの寂しい部屋。「リタ」の「部屋の中 黙りこくった 冷蔵庫と 笑い声がテレビの中だけ」という歌詞を思い出します。
同棲でしょうかね。これも「別れ」のひとつで、部屋に残ってる「二人が一緒にいた記録」であるカーテンだけが春の風に靡いて、自分は拠り所だった人を失いまるで迷子のように。
部屋に残ったのは恋人を失った「虚しさ」。
1番の「友人」とはうってかわってこちらは「恋人」との別れですね。
あちらで抱いた感情は夢破れた悔しさでしたが、こちらは大切なものが無くなった虚しさ。
対比を感じますが、悲しい感情であることにかわりはありません。
何もなかったように僕は努める 最後に君が干してった洗濯物
なんでもなく 張り付いた
桜
いつもと変わらずに過ごそうと努める。別れの虚しさを拭うように。
君が干してった洗濯物。彼女は衣服類は全て持ち帰って行ったはずなので、残った洗濯物は恐らく自分のもの。「最後に君が干して"くれた"洗濯物」であるはずです。
そんな君の優しさでもある洗濯物に、なんでもなく桜が張り付きます……
やはり上手いな!amazarashi!となりますね。
1番の桜が情熱の残骸の傍にあったものだったのに対し、こちらはどこか寂しい桜です。それでも悲しさは感じさせないのが美しいですね。(この曲の「桜」は救いだったり、前を向くものの象徴のように感じます。)
Cメロ&ラスサビ---今でも桜咲く物語
過ぎ去った人と 新しく出会う人 終わりと始まりで物語りは進む
だとしたら それに伴った悲しみさえ 生きていく上でのルールだから
そんな秋田さんの過去は出会いと別れ、過ぎ去った人と新しく出会う人との連続で。
そこからくる悲しみさえ、生きていく上で避けて通れないものであると。
これこそこの曲の「希望」の部分であるわけですが、やはり2番Bメロのように自分に言い聞かせるような印象があります。
後述の詩もそんな感じで、喪失に抗おうとするこの力強さ、私は大好きです……
投げ捨ててきた涙拾い集めて 今年も気付けば春だった
僕は 歌う 歌う 歌う
さくら さくら 今でも さくら さく 消えない
さくら さくら 僕等の さくら さく 物語
虚しさを必死で満たして、出会いと別れを経て生きていると、今年もまた別れの季節こと春がやってきて、かつての友人や恋人を思い出して。
だからこそ、秋田さんはこの歌を綴ったのだと思います。
過去にケリをつけるとまではいかなくても、悔しさや虚しさを振り払うために。
付属の詩
僕らは、望んだことの半分も成し遂げられないまま
大人になった
それでも、まだ終わっていないよ
まだ息はしているし
走ることだって出来る
あれから学んだことも多いし
それが武器になる事だって知っている
必死になって転んだ時ほど
滑稽だって事も知っているし
笑われる事が、傷つくに値しない事も知っている
唯一つ
諦めたってだけじゃないか
いずれにしても立ち去らなければならない
あるいは「旅立つ」に変えてもいいし、
「逃げ出す」でも別に構わない
好きにしたらいいよ
君の都合が良いように
僕らに必要な言い訳を早く選んで
ここじゃないどこかへ行く為に
過去から今現在への軌跡、と言った感じがしますね。
「だったらこの涙に用はない さっさと失せろ」や、「それに伴った悲しみさえ生きていく上でのルールだから」など、自分に言い聞かせるような歌詞が多かったですが、ここでもそのようです。「僕らに必要な言い訳」がそれで。
そして、大切な人を失った喪失は捨てて、ここではないどこかへ行く為に。
それはつまり、別れの悲しみから立ち直ることでもあります。
語らせてくれないか
春になって最近久しぶりに聴いた気がするのですが、やっぱり良いですよね……さくら……。
歌詞がうんたらだの言ってきましたけど、メロディーとかそういう話をするのなら、サビの「桜」が本当に素晴らしいです。「さくら~↑あ~↑あ~↓あ~↑あ~↓」です。
逆に、今までのびのびとした感じの「さくら」だったのに、ラスサビのまくし立てるような「さくらさくら今でも~」も良いですよね。
というか、何度も言ってきましたけど、本当に描写が上手い!雰囲気みたいなものをそのまま歌詞とメロディーに落とし込めるのが本当にすごいと思います……。
落ち着いた声からだんだんと力強い声になっていったりと、聴いてても情緒を揺さぶられるような気持ちになります。
amazarashiでYouTubeにMVなどが上がってない曲の中ではそれなりに知名度が高い方ではないかな?と思います。「メッセージボトル」に収録されていたというのもあると思いますが、それ以上に、いわゆる「名曲」であるからだと思いますね~。
おわりに
前回のnoteからだいぶ時間が経ってしまいました。もし待ってくださっていた方がいましたら申し訳ありません。
元々飽きっぽくて熱しやすく冷めやすい方なので、定期的な投稿をめざしたりせずに、気が向いた時に更新するような、そんな感じになるかな?と思います。