「初雪」について語らせてくれ【amazarashi歌詞考察】
青森駅前に雪が降る。
私の住む地にもちょうど初雪が降ったので、今回はこの曲について話していきたいなと思います。
書いてて調子に乗ってしまい、相当な量になっていますが、どうか最後まで読んでいただければ。そして皆様が、これを読むことでより一層amazarashiのことを好きになっていただければ、とても嬉しいです。
はじめに
amazarashiは、自分たちのために歌を歌っていると仰っていました。
この曲はその真骨頂と言ってもいいような、自伝的な楽曲です。
1番Aメロについて
「amazarashiにとっての『雪』とは」
青森駅前に雪が降る 果たせなかったいつかの約束が
バス停に留まる少女が吐いた 白い息と一緒に夜空に消えた
積もりだしたのは彼女の記憶と 感傷とわずかな後悔
長く伸びる僕の足跡も やがてそれに消されるだろう
どうやら青森に初雪が降ったそう。
街を歩きながら、(今後の歌詞を踏まえると、恐らく青森駅からどこか遠くに行こうとしているのだと思われます。)バス停の少女が吐く息を横目に、誰かの記憶と感傷と後悔を積もらせる秋田ひろむさん(ボーカル)。
まず、amazarashiって「天候」を何かにたとえがちなんですよね。バンド名を雨曝しにしているのだって雨を苦悩に見立てているからですし。
雨を苦悩の象徴とするなら、では、amazarashiにとって「雪」とはなんなんでしょうか。
作詞作曲をつとめる秋田ひろむさんの出身地は青森ですが、amazarashiにおいて、雪は「青森」の象徴だと感じます。つまるところ故郷。
そこから発展して「過去に関する、感情や後悔」だと考えています。実際、「積もりだしたのは彼女の記憶と、感傷とわずかな後悔」と歌っていますしね。
記憶。それからくる少し物悲しいなにか、といったニュアンス。
長く続く足跡。秋田さんの人生も、そんなものたちに消されてしまう。「きっと、どれだけバンドとして有名になっても、他人に成功だと言われるような人生を送ったとしても、そんな感情はいつまでも積もり続けているんだろうなぁ」といったものだと個人的に解釈しています。
この曲はamazarashiの歴史の中でもだいぶ初期の方に世に出された曲です。ミニアルバム「0.」。2009年12月9日に青森にて500枚限定で発売されたこのアルバムに収録されたのが初で、2010年2月10日に、さらに1曲だけ追加され全国版「0.6」として発売されたアルバムにも収録されています。amazarashiのメジャーデビュー以前からある楽曲です。
そんな頃から、こんな未来予想をしていたのか!と驚きますね。
こちら、「0.6」です(Amazon)。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0031Y01WO/ref=cm_sw_r_tw_apa_glt_i_GEC26A0HXT6P94R403QN
思えば遠くへ来たもんだ いや と言うより振り出しに戻ったのか
自嘲気味に踏み出すその一歩は 今日も変わらず迷ってばかり
それでもここに留まるよりは いくらかましだと信じてる
肩に積もった雪をみて思う 少し休みすぎたみたいだな
秋田さんが音楽を生業とすることを志してからこの曲のリリースまで、非常に簡単にまとめさせて頂くと、「上京してバンド結成→挫折して青森に帰る(死ぬつもりで帰ったそう)→青森で細々と音楽を続ける」といった経緯があるそうです。
「思えば~戻ったのか」という歌詞はそこだと思います。本当に色々...それこそ、色々あったなんて言葉では済まされないほどの色々を経てたどり着いた、再出発の青森駅。
今でも自信はなく、今後の人生について迷ってばかりでも、生まれ育った地でただうずくまって燻るより、前に進みたい。失敗したとしても、現状よりはマシだと信じて。
そんな事を肩に積もった雪を見て思う...肩に雪が積もるとするならば、ある程度その場所に留まっていたということです。青森の地に。
雪はつまり感情だと。であれば、ここの歌詞、要約すれば「ぼろぼろに疲れて戻ってきた青森で休んで、過去の感傷に浸っていた。もう充分休んだし、僕は歩き始めることにするよ。」といった言葉であると考えています。
1番Bメロについて
「夢を追いかける決意と不安」
いかないでくれと 呼び止める 思い出を
振りほどいて僕は どこまでいけるのだろ
青森の地に戻って、ここで一生暮らそうとか、そういうことを考えたりもしたのでしょう。暖かい、思い出溢れる青森に。
それでも振りほどこうと、青森の地から一旦出ようと思えたのは、夢を諦めきれなかったから。
秋田さんもキッパリ青森に別れを告げられた訳では無いのだと思います。ここでは。(実際「今日も迷ってばかり」と1番Aメロにて話していましたね。)
「僕はどこまでいけるんだろうか」という事は、秋田さんもといamazarashiとしても大きなテーマなのではないかと感じています。今後秋田さんが紡ぐ楽曲の数々には、そんな焦燥や自分に課せられた「人生」という制限時間を考えるような言葉も多いです。(例:地方都市のメメント・モリなど)
きっといつかは...体力問題なのか挫折なのかはさてときとしても、青森の地に帰ってくると思います。感傷の元に帰るのです。
それまでにどれだけ大きなことができるんだろうかという、ある種の決意にも、不安にも見えます。
(そして、「どこまでいけるの"だろ"」と、なんだか呟いているような歌詞です。これについてはまた後ほど...)
サビについて
「初雪も、優しさも、通り過ぎた"だけ"」
初雪が 風に吹かれて 僕らの街 通り過ぎただけ
君の優しさ 風に吹かれて 僕の胸 通り過ぎただけ
高音が美しいんですよね~!!!
ここでの初雪は、本当になんでもない、ただの初雪だと考えています。
初雪が降ったからと、別にどうということは無いのです。ただ初雪が降った"だけ"。
そして、もっと休んでいっていい。なんなら、ずっとこの街で歳をとって死ぬまで暮らさないかと言う、そんな君の優しさも、僕の胸を通り過ぎた"だけ"なのです。気持ちだけを受けとめて、でも、夢を追うために。通り過ぎただけということにしておくのです。自分の道筋には影響しない。そういうことにして、忘れたことにして旅路に戻るんですね。
2番Aメロについて
「悲しく懐かしい思い出」
雪は昨日から止むことを知らず 出かけようとドアを開けた手を止める
綺麗だなと思うより早く 面倒くさいななんて一人ごちる
傘はないし 時間も無い ましてや期待なんてあるはずも無く
ただ向かうべき目的地と 焦燥だけは捨てるほどある
ここでは「思い出に対しての姿勢」が垣間見えるような気もします。
「少年少女」という、初雪と同じアルバムに収録されている楽曲に「どうせ明日が続くなら、思い出なんていらねぇよ。この足を重くするだけの感情ならどぶ川に蹴り捨てた。」という言葉がある通り、秋田さんは自分の思い出に対して、悲しくなるものだからいっそ無くなってくれと願うことが多いようです。(「隅田川」でも「(触れない思い出は)消えてください」と仰っています。)
出かけようとドアを開ける→夢に向かって突き進もうと、青森から再出発する、ということの暗喩なのだと解釈しています。
それを止めようとする過去の思い出たちを煩わしく思う様子が書かれています。(もちろん、愛しい思い出でもあるはずですから、綺麗だと思うこともあるようですが。)
傷だらけの秋田さんには、雨(日々に降り注ぐ苦悩)を防ぐ傘のような何かもなければ、なにか大きなことを成し遂げるための時間(1番Bメロにてのタイムリミット的なもの)もなく、自分に対しての期待もない。それでも、目的地である夢とやらなければいけないんだという焦燥だけは持ち合わせていて、それが再出発の原動力であるようです。
そんな毎日を生きてます 僕はなんとかやってます
これを幸福とは思いませんが かといって不幸とも思いません
ただ 君がいなくなったことで 出来た空白を埋められずに
白黒に見えるの街の景色 決して雪のせいではないのでしょう
1番Aメロにて、青森駅からどこか遠くへ行った秋田さん。
感傷つのる青森から離れた、音楽の日々。夢を追うなんて大変なことでしょうから、幸福とは言い難いような毎日なのでしょうけれど、それでも不幸とは言えないほどの日々でもあるようです。死ぬつもりで青森に戻ったあの時に比べれば。
それでも故郷を離れて空いてしまった心の穴は未だ埋めることができず、どこか虚しい日々のようです。
(「僕は何とかやってます」と、故郷に向けた手紙のような口調で語られていますね。)
2番Bメロについて
「自らを奮い立たせ、進む」
悲しいことなんて あるものか あるものか
振りほどいて僕は 急いで出かけなくちゃ
「悲しいことなんて~あるものか」にはカギカッコがつくと思っています。それは秋田さんが自分に言い聞かせるように口に出しているものだと考えるからです。反復しているのもそれからなのでしょうか。
時間はないと焦燥に駆られながら、降り積もる感傷の中を出かけ始めます。
(2番サビについては1番サビと同様なので割愛させていただきます。)
Cメロについて
「『秋田ひろむ』の歩み」
雪は今日も止むことを知らず 急ぐ僕の足はもつれる
笑い合った長い月日も 確かに分かり合えた何かも
全部嘘だと言い切れたら 僕は簡単に歩けるのに
でも大丈夫 ちゃんと 前に進めているよ
今までしんしんと降り積もる雪のようにぽつぽつとした雰囲気だったのですが、ここで激しくなります。
ここまで、「雪とは感傷である」「歩みとは夢に向かうことである」とこの曲の比喩表現について話してきたので、もうここの歌詞が何を表しているのかはお分かりいただけるかと思います。
1番が再出発の開始地点である青森駅、2番が青森を離れて1年後、そしてこのCメロも2番の1年後だと思っています。この曲の中で冬は3回訪れているのではないでしょうか。
降り積もる感傷はいつまでもおさまらずに、全部偽りだったとどぶ川に蹴り捨てて行けるならもっと夢だけを追えたはずなのに。
それでも、前に向かって進めています。「でも大丈夫」というのも、心配しているだろう青森の人々に向けた言葉だろうと思います。
(そして、ここのフレーズは、秋田さんにとって「古い流行歌」のようだと思っているのでは?と思います。その理由についてもまた後ほど...)
ラスサビについて
「心、揺れただけ」
初雪が 風に吹かれて 僕らの街 通り過ぎただけ
僕はそれに 少し泣いただけ 冬の風に 心揺れただけ
1、2番サビの「初雪」はただの初雪なのだと話をしましたが、ラスサビの「初雪」は比喩としての初雪だと考えています。つまり、「それ」とは、地元の人の温かさ、青森の過去、感傷。
そして、青森の人々の温かさやかつての思い出に少しだけ泣いて、青森を感じる冬の風に少しだけ心が揺れて、でも、揺れた「だけ」なのです。
揺れただけ。自分の旅路には影響しない。この道を選んだからには、夢を叶えるためには、前を向き続けなくてはいけないから。
付属の詩について
青森駅前に雪が降る
「遠くまで来たつもりで
振り出しに戻っていた
いや、でも、
景色は同じでも
何かが変わっているのだ」などと
負け惜しみみたいに呟いて
青森駅前に雪が降る
「僕の足取りが重いのは
膝まで積もった雪のせいでしょうか
降り止まない感傷のせいでしょうか
なんにしても
今年も雪が降りました」などと
引き出しの奥に仕舞った手紙みたいに呟いて
青森駅前に雪が降る
「あの日、この場所から始まったのは
片道一万五千三百五十円の
向こう見ずな逃避行と
振り向いてはいけない人生」などと
古い流行歌みたいに呟いて
青森駅前に雪が降る
とにもかくにも
流れ着いた今日を生きるのです
1番Aメロの「呟き」、2番Aメロの「手紙」、Cメロの「古い流行歌」、それぞれの特徴的は話し方は詩に対応したものだと思っています。
青森駅前に雪が降る度に、毎年毎年故郷のことを思い出し、雪の冷たさに故郷の温かさに思いを馳せ、それでも、とにもかくにも、今日を生きるのです。
この曲の総括...まさしく、「初雪」という曲の詩としてはピッタリなのではないでしょうかと思います。
流れ着いた今日を生きるのです。というフレーズに、秋田さんの決意を感じます。
最後に語らせてくれ!
この楽曲は青森からの再出発、そしてたどり着いた今、感傷に揺さぶられて、それでも前へと歩き続ける秋田さんが見られます。
まず、1番2番ラストと時間が経っているであろう描写がとても好きなんです。
amazarashiはほぼ全ての曲は最後は希望が残って終わるのですが、この曲の希望にあたる部分は「でも大丈夫ちゃんと 前に進めているよ」だと考えます。青森で塞ぎ込んでいた過去とは違い、少しずつでも前に進めていること、それこそがこの曲の希望であり、曲が進むにつれて時が進んでいることもその「前に進めている」を表しているのがよくできているなと思っています。さすがだ。
また、アルバム「0.6」において、「少年少女」という楽曲の後であり、(remix除けば)アルバムの最後に位置している曲なのもイイなぁと感じてしまうポイントです。
「少年少女」は簡単に言えば「過去と今のギャップと、それから来る思い出の儚さと悲しさに苦しんだ。そんな思い出はもう忘れることにしたけれど、それでも悲しいことには変わりないから、そんな思い出も愛しいと思うことにした。」というものです。「初雪」は、言わば少年少女の後日談のようなものと感じ取れます。「少年少女」を経て青森を旅立った秋田さん、旅立ったあと、かつての思い出たちに何を思ったのか、という楽曲とも捉えられます。
「0.6」のラストを飾る楽曲としては、まず、このアルバムは「amazarashi名義」としては初めてのアルバムです(「光、再考」はあまざらし名義)。つまり「amazarashi」としてはここが原点となり、その出発地点の最後を飾るには、夢に向かう姿も歌われる当楽曲はとてもマッチしたものなのではないかと思います。
いや、そんな理屈っぽい良さもあるのですが、もう雪みたいなメロディーがいいんです!歌詞もいい。秋田さんの声も良い。全部がいいです。初雪。
おわりに
初めてマトモにnote書いたので至らない点も多々あると思います。
これからもamazarashiなどに関して書いていきます。どうかよろしくお願いいたします。