「戸山団地のレインボー」秋田ひろむの地層とは【amazarashi歌詞考察】
久しぶりです。ハルです。
「戸山団地のレインボー」、とっても素晴らしい曲なので、皆様もこの曲を楽しむための足かがりにこの記事があれば良いなと思っています。
①歌詞の流れ:現在
この楽曲は、一番最初と最後だけ「あれは、まだ引っ越したばっかで…」と過去を思い返すような構成で、「買えなかった」「夢見てた」と過去形になっています。ここ以外は過去の話が現在形、つまり過去目線で歌われています。
②歌詞の流れ:過去(十数年前)
amazarashiが始まる前、青森で労働に勤しみながら「バンドで生計を立てる」という夢に向けて努力を積み重ねているのが描写されています。
大まかにはそんな感じなんですけど、この曲は細かい部分も秀逸なので、個人的に好きな歌詞をいくつかピックアップさせていただきます。
「バンドで生計を立てる」、それがどれだけ大変なことなのか、そして一部の人間にしか成されないことなのかは想像に難くないと思います。
それが少しずつ現実味を帯びてきて、「もしかしたら…?」なんて思いはじめ、不安と期待が入り交じった実感を持っている。それを「現実の肌触り」という表現にしているのが秀逸ですよね。肌触りというワードチョイスが絶妙です。
リズムがとっても好きなのもあるんですが、この具体的な情景描写、実際の場所を知らなくても、ああこんな感じだろうな、とわかるほど歌詞にしては詳細です。それによって尚更当時の状況を感じることができますね。
「すれ違うのは軽トラと季節だけ」から、人生が上手くいかないもの同士が傷を舐めあって全く前に進まず、ただいたずらに季節(=時間)が過ぎ、焦燥に駆られる。そんな日々が浮かんできます。
それともうひとつ…
ここはこの楽曲の非常に重要な箇所で、この楽曲が「戸山団地のレインボー」たる所以になっています。ここについては後ほど。
③なぜ、「戸山団地の」レインボーなのか
歌詞についてはだいたいこんなところかなと思ってます。そんなに分かりにくい比喩がある楽曲でもないですからね。
ここからは、この楽曲が「戸山団地の」レインボーである理由について話していきます。
こちらは当楽曲の付属詩です。歌詞では出てこない「地層」についてのように見えますね。
記憶は重なって地層になっていく…と綴られていますが、つまり、曲名に地名を入れなくては行けない理由は、「場所と僕がくくりつけられている」からです。
かつて遊んだ公園、通っていた学校、それを見かけたときにふと昔のことを思い出したりする機会は誰にでもあると思います。それが「日々の記憶は(封建的な)地層になる」ことで、「場所と自分がくくりつけられる」ことです。
高架下での焦燥の日々、戸山団地での努力の日々、そんな毎日が重なり、その場所自体に自分の記憶の地層ができる。忘れたとしても、ふとした感情とともに断面があらわになる、つまり過去の記憶を思い出す、というわけです。
地層はあらゆる年代の土地が重なったものですから、自分の場所に紐づけられた記憶を地層と表現するのは…もう秋田さんのセンスに感服するしかありません。
戸山団地にも、秋田さんにとっての重要な記憶の地層が埋まっている。
努力が報われて成功した日、つまり虹を見た日はよく覚えている。でも、きっと報われなかった時の方がいくつもあって、きっと人生にとって重要なのはそういう日々だ。
土砂崩れで埋もれて昔の地層が見えなくなって…昔の自分の苦悩も忘れてしまわないように。
④なぜ、戸山団地の「レインボー」なのか
では、「レインボー」なのは何故でしょう?
苦悩の雨曝しに光が刺した日なら、それこそ「空に歌えば」のように、戸山団地の雨上がり、とかでもいい気がしますが。
ですがこの楽曲には、明確に「虹」でなければいけない理由があります。
それぞれ各サビの中間の歌詞です。曲名がレインボーで色彩と言われたら虹の色を想像すると思いますが、虹は七色なので一色たりませんし、負のエネルギーで満たされています。なので美しい虹とはあまり思えませんが…
「希望」が足されます。
これで七色の虹になりますし、苦悩 苦痛 不平 不満 失意 挫折、でも希望は失わない、という、「僕らは雨曝しだが、それでも」というスタンスのamazarashiらしい七色ですね。
この「虹」が歌詞中でかかるのはCメロですが、この直前の歌詞が、先程紹介したこちらです。
これはamazarashiでもよくある「痛みを知っている君でなければならない」という希望の描かれ方です。わかりやすいところで言えば「フィロソフィー」とか「光、再考」の付属詩がそうですね。
このamazarashiの原点ともいえる「希望」に気づいた瞬間、六色に「希望」が足されて七色になり、amazarashiとしての活動の道標である虹が架かる。
故にこの楽曲は「戸山団地のレインボー」でなくてはいけないのです。