うさぎリンゴは愛の形だった
今朝、リンゴを2つ切ってお皿に盛り付けた後、なんとなく1つをうさぎリンゴにしてみた。
すごく不格好なうさぎリンゴ。
実家は果物屋。
物心ついた頃から、食卓には必ず果物があった。
それが一般的ではないと知ったのは小学校にあがってから。
そうか、果物って贅沢品だったんだ。
それが毎日食べられるなんて幸せ者だな。
そう感じながら過ごしていた。
朝起きると、台所には娘3人分の朝食用のリンゴが毎日準備されていた。
小さい頃は皮が剥いてあったけど、いつの日からか皮はそのままになっていた。
朝は忙しいもんね。
お母さんも働いとるしね。
皮が剥かれていないリンゴでも、十分嬉しかった。
中学からはお弁当だった。
ここでも必ず果物を持たせてくれた。
弁当箱とは別に、果物専用の、保育園の頃から使っているスヌーピーの小さな容器に入れて。
蓋を開けると、いつもそこにはうさぎリンゴがいた。
ピンと元気よくはねた耳。
それが何だか誇らしかった。
24歳で実家を離れてから早15年。
いつも欠かさず果物を送ってくれるから、我が家の冷蔵庫は果物が途切れたことがない。
なんなら、果物がいちばん割合を占めているほど。
朝起きてリンゴを剥く。
いや、切る。
中央の芯を取るだけの簡単な作業。
これだけなのに面倒くさい。
そう考えると、いつもうさぎリンゴにしてくれていた母の愛情に胸がじんわりと温かくなる。
うさぎリンゴにするとき、自分の大好きな人たちを思い浮かべている。
うさぎリンゴって愛の形だったんだ。
少なくとも、私にとっては。
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