ゲームプラザメッセ102四街道店(雑記)
タイトルを見て「お?」と感じて下さった皆さま、お久しぶりです。 今回は千葉県のちょっと田舎気味な場所で、格闘ゲームを中心にワイワイと盛り上がっていたゲーセンの昔話です。 ちなみに正式名称はタイトルの通りで、「チェリプラ」とか「四街道メッセ」というのはまるえ個人的にNGです! ※毎回キチンとした書類には正式名称で書いてたんだぞw
更に余談ですが「メッセ102」という名称は、元の運営会社がアミューズメント用に取得していた屋号です。 割と最近まで残っていたのが"メッセ102市原店"というレンタルビデオ店、そう!金杉のあたりにあったあそこです! 他には本八幡や市川にありましたよ。
さてさて、ホントは昔語りでもと書き溜めておいたんですが…(汗) ちょっと色々ありまして今回は割愛しますね。
メッセ102と言えば『闘劇』と非常に縁深いと言いますか、この闘劇予選に参加すべくご来店いただいた方がほとんど、かと思います。 2002年の第一回大会を事後で知り、当時のアルバイト「りょーた (@ryotasi )」君の熱心な申し出によって闘劇第二回大会以降でいろいろなタイトルの予選を開催していきます。 最初のころ「大会ならでは!のレイアウトで、初めてくるプレイヤーにもメッセ102ってお店を覚えて貰いたい。」とりょーた君からの要望がありました。 言うのはカンタンですが、やると(法律的にも電源の問題でもホントに)大変でしたが、予選当日に四街道へ遊びに来て下さった方ならお分かりいただけると思いますが、あの特別な大会レイアウトに行き着くのであります。 第三回大会を前に「どうやったら他店と違ったカタチで目立たせられるか?」と考えていたところ、前店長Kさんから廃棄予定だったメガロ50の大型モニター部を使って、筐体から映像や音声の分配を自作し、ウリの格闘ゲームを映したらどう?と提案がありまして、試作してお店に持ち込んだらスタッフからも大好評! 倉庫から毎回トラックで移動しなければならない為、そのままメッセに常置となって閉店まで至っていたハズです。 メガロ50モニターのおかげで「メッセは、大会を大モニターで映すゲーセン」というイメージが付いた!と思います。 前述の大会レイアウト時はオーディエンス専用のモニターとして、因縁の対戦やエリア決勝を盛り上げてくれました。
当のりょーた君はマルチな才能の子で、どんなゲームをプレイしても中の上にいってしまう恐ろしい子でした。 なので導入したタイトルをほぼ(自腹で)すべてプレイし、そこそこコンボを覚え、そこそこに立ち回ってしまうので、闘劇予選のタイトル選択時はホントに助かりました。 ただ彼にまかせっきりではいけない…と、ギルティギア系は「ウメ兄」と「深々侍」、サムスピは「ですび」、メルブラは「まっする」、3rdは「塚見(当時はタック風)」と私で、抜けがありそうな所にフォローでりょーた君に入って貰う…といった具合に大会を回していた感じです。 フロアのフォローはASRこと「T朗 @T_ASURA 」や「のい」さんにお願いするカタチです。※当時のスタッフ達は本当に協力的でずいぶん助けてもらいました
闘劇予選開催のおかげで平日でもプレイヤーさんがだんだんと集まるようになり、常連筆頭だった「ところてん」や「高久」さんもかつてのギチギチな対戦から、シリアスながらも感想戦(対戦後にあのタイミングの技出しは読み?とか、かけひきの話をすること)をする中になり、元々の常連だった「松本」くんや私の後輩「こまつ @mako8192 」とも対戦の輪を広げていき、スラッシュの頃からは「オジマ @ojima46 」くんや「イワシ」くん達グループも加わって盛り上がっていきます。 対戦シマのはじに設置していたKOF台でも「野獣流」くんや「偽パチ @nisepachi 」くんが対戦でにぎやかになっていって、「予選当日はめっちゃ大変だけど、この盛り上がりが続くなら頑張ってみようかな?」と感じるまでになっていました。 当時はもちろんメッセ102四街道公式スポンサー・戸田麹味噌の御曹司もほぼ毎日ご来店、ご遊戯いただいておりましたよ! 後の成長株「戌井 @inuibeat 」くんや「じゃむを @jam_wo 」くんが来るようになったのも、だいたいこの頃だったかなぁ…? iw…じゃなくて「アロハ」くんはもう少し前のギルティ無印くらいから遊びに来てて、たまに来る「北辰さん」にメッタメタにされて一緒に帰っていく姿がなんだかほのぼのしてました。 アロハくんと一緒に来ていた「あさぎ」くんもマルチなプレイヤーで、彼と「ウメ弟」と私でFHDの大会へ遠征したり…もありました。 みんな元気かなぁ? マルチといえばカイくんこと「よしる」くんはバーチャロンもこなしてたね? よく「いぬしば @inushiba747a 」くんにふてくされながら対戦してたし。 この辺りの時代から、色々なジャンルでメッセ102をホームとしているプレイヤーたちの事が「四街道勢」と呼ばれるようになっていきます。 屋号が長いとこうなりますね!
あと更にマニアックな所ですが「裏闘劇」というイベントも開催しましたよ! 当時のアルカディア誌内の「猛者通信」のコーナーで緩く募集してた所を猛アピールしてモセルが集った場所でもあるんです、四街道! 知ってる人おるかな?
これが「証」ですねw
常連プレイヤーさん達のことを思い出してるだけでも何だか懐かしいし、ついついリフレインしてしまうのですが、2008年の春先に私が退勤時にメッセ102の通用口付近で酔っ払いに絡まれて(文字通り)ボコボコになって救急車で運ばれます。 数日後相手方の保護者さんから謝罪があって示談となりましたが、この時に四街道で働いていく限界が来たかな?と感じて、数か月後に辞める訳です。 そしてメッセ102四街道を離れて約1年半が経ったころ、りょーた君から「メッセが閉店しますよ」と聞かされます。 本当に『住処』が無くなってしまうのか?と考えつつも、当時のスタッフと顔を合わすのが面倒だとの思いから足を運ばず…、メッセ102四街道の最終営業日に意を決して、当時の職場から退勤後に直接四街道へ向かいました。※当時のことをmixiで振り返れないのが悔しいですね… 私が離れたあとのメッセ102四街道を見たのはこの日が初めてで、色々と想いが巡っていったのを思い出しました。 そして驚いたのがスタッフが「T岡」だったこと! 彼はあまりにも素行(対戦中のマナーや隠れて喫煙、食事とキリが無かった)が悪く、私から直接入店をお断りと伝えていたのですが、なぜ居る?って感じでした。 でもまぁ今はそれは別として近況を聞くと「以前のような盛り上がりは無く、たまにエックス勢(ギーさんや、がくざん君たちの事)がイベントをやってくれるだけで、運営的にも厳しかった」とのこと。 よく遊んだお店が勝手に寂れていくのが見ていられずバイトに入ったそうで、よく頑張ったねと声をかけた…と思います。 そうこうしてると戌井くんが来てくれて、一緒にちょっと昔話をして「イラストファイルやコミュニケーションノートをどうしよう?」という話になり、戌井くんが急遽預かってくれることになったのを覚えています。 その時カウンターにいた四北生の男女二人が「これで終わりなんだね」とか「明日はここに入れないんだね」と言ってるのが何とも眩しく、釣られて私も泣いてしまいそうになったのを思い出しました…。 「じゃ俺、行くわ」とたまらず重いガラス戸をゆっくり開けて帰路につきました。 振り返ると嫌なこともありましたが、間違いなく『今の「まるえ」を育ててくれた場所』でした。
それが今回、2020年6月13日にて、メッセ102四街道店完全閉店後丸10年となります…。
10年経って、メッセ102がどうなってるか、と言うと…
2020年6月上旬撮影・四街道駅前、どこ行く?フェイスビル?チェリプラ? そんな声聞こえねェよ!この時点でファミリーマート四街道西口店は消滅…、僕のランドマークさよなら!
当時の面影がちょっと残ってます、チェリープラザビル正面入り口。 ここに「ダイノキングバトル」があったね!という貴方は四街道ツウですね! 以前二階にあったつぼ八さんが一階へテイクダウン、現在フロアの面影はありません。
こちらは通用口側。過去には二階テナントへの通路でもありましたが、現在は正面側から入る店舗しか無く封鎖されていました。 なお2008年に私が暴行された現場でもあります(汗) おひげさんの赤いスクーターが停まってた頃が懐かしいです。
四街道って言ったら「ココ」という方もけっこういらっしゃると思うんですが、閉店時に「最終出口」として機能してた所です。 去年までは私が貼ったギルティと太鼓のポスターが残っていたんですが、塾のポスターに変わっていました。 ただ、よく見ると…
お…、お前はぁぁぁ! 結局クレジットセンサー不良しか残さなかった伝説の「回転くん」のスタンド! 設置当初「柏木タツヤ」にPOP描けよ!てT朗と迫って、サラサラっと書かれて唖然!お茶ぶっかけ…てなりましたね。
同日に見かけたのですが、ラッキー四街道「エスタシオン」こと元スーパーさかい、更地と化していました…。 メッセ亡き後コチラへ移動したプレイヤーも多かったハズ、残念。
さらに同日、お隣JR都賀駅にあった”都賀ゲー”こと「ゲームコーナーつが」の跡地にあったカラオケシダックスも廃棄撤去作業が進んでいました。 ハナダ君やパッショーネ勢に届くと良いなぁ…。
10年前から止まっていた「絵」を、当時のことを覚えている方と振り返ってみたいな、と今回noteを書かせていただきましたが、いかがだったでしょうか? という事でおしまい、まふてぃ!
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