じゃがたら小話【vol.4】オランダのジャガイモがつむぐ物語(前編)
18世紀まででは、オランダでは、小麦、大麦、豆類の栽培がほとんどだった。
オランダの記録をたどると、1700年以前にも家庭菜園などで、かろうじてジャガイモ栽培のされていた事実はあるようだ。しかし、18世紀までは、ジャガイモは超ニッチなソレだった。そこから主食に躍り出て、オランダという国を侵略していく。
しかし、そこからが本当の物語の始まりだった。【ジャガイモ物語:前編】
オランダ南西部ではジャガイモ10分の1税も
まずは、生食用ジャガイモ栽培が今でも盛んなオランダ南西部のデルタ地域(オランダのライン川河口の三角州あたり)のジャガイモ史を!18世紀にタイムスリップ!
この地域では、18世紀前半からジャガイモの栽培が普及した。栽培に必要な道具もシンプルで、プラウと馬だけ!...ということで生産者にも気に入られたらしい。
近郊の都市Zeeland(ゼーランド)州では、1736年にはジャガイモに対して10分の1税を採用した。税金安いからジャガイモ食べてねーってやつ。
とはいえ、まだまだマイナー作物だった。この地域では、20年かけてすこーしずつ栽培を増やしていき、1759年には9生産者で13haを栽培するようになった。(それでもまだ主食とまでは)
ジャガイモ栽培は、労働集約的ということもあり、複合農家の専業化が進む。圃場整備が済んでいる農地を借りて、1年のみ栽培することもあったそうだ。
生食用ジャガイモのライバル地域の動向は?
オランダ南西部のデルタ地域は、北部のFriesland(フリースランド州)とはライバル関係にあったそうだ。ちなみに、今でも生食用のジャガイモ栽培が多い地域である。はじめから戦いが決まっていたのか?な?
デルタVSフリースランドといえば、Holland(ホーランド州、アムステルダム、ロッテルダムなど大都市が集まる)への販売競争!こぞって都市部に販売していたそうだ。
東部の粘土質土壌のGroningen(フローニンゲン州)もまた、1700年以前の栽培記録が残っていて、18世紀にジャガイモ栽培が少しずつ普及していった。(それにしても、名前が出てくるプレイヤーは今も現役だ)
結局ジャガイモはヒーローだ
「普及した」といっても、ジャガイモは、主に貧しい人や、貧しい地域の食べものだと認識され、多くの人たちに食されるものではなかった。
しかし、転機が訪れる。1739〜40年に、寒冬が原因で小麦などの穀物価格がとんでもなく上昇したのだ。そうなると、人々はジャガイモに助けを求め、ジャガイモはヒーロー的に民を救う。
このような経緯で、特に農村部においては、’一般の人’の食生活にジャガイモが組み込まれるようになった。(ちょっと!困窮時にジャガイモを頼ったことをきっかけに、認める国が多すぎやしない?)
はじめてのジャガイモ疫病
これではっぴーえんどなら素晴らしいが、世の中そう甘くない。ここからが本当の物語だ。
一般の人にも食べられるようになったジャガイモをいけいけどんどんと作ろうとしていたら、1845年には、はじめてのジャガイモ疫病(phytophthora)が見つかってしまった。その頃の窒素施用量はこんな感じ。詳細な記録が残っているもんだ!
さあ、このあとオランダのジャガイモ物語はどのように展開されていくのか?後編につづく。
参考:Five centuries of Farming: A Short History of Dutch Agriculture, 1500-2000(Manshot Publication Series), Jan Bieleman