【ライオンの棲むところ】 EP⒈ とにかく怖い。関わらないでおこう
2023年8月。
冷凍食品を数々作り出している島田屋食品の冷凍作業室で、私、水原愛は大汗かいていた。
今日のチームメンバーのうち、3人はほとんど初心者。それでいて、今日に限って難しい手作業の日が当たってしまったのである。
私が担当している持ち場は和菓子部門。
今日はみたらし団子のタレつけ作業だ。
機械で串に通った白い団子が流れてきて、それを取って手作業でタレにつけトレイに並べる。
その上からフィルムを綺麗に貼り、冷凍庫にすぐさま持っていくのだ。
このタレ付け作業が、絶望的に難しい。
タレのケースに手袋の手が擦れようものならば、あっという間にベタベタになってしまう。
チームメンバーの手元を見れば、今日も仕上がりはよろしく無いーーーー、
いや、長年働いているパートのおばちゃんに言わせてみれば、“お話にならない”状況である。
「あ〜あ、見てよこれ。こんなに汚して」
「だから無理だっていってんに、」
時間になり休憩時間から上がってきたおばちゃん達から、嘲笑の声が上がる。
必死に挽回しようと私が手を動かしていると、
「1人でどう頑張ったって無理無理、」
と、持ち場をどかされてしまった。
「氷川さーん、やっぱ無理よ。
私らここ入っていいよね」
パートのおばちゃんの中で1番辛辣な白河さんが、氷川課長に声をかける。
「あ? 好きにして」
興味ないと言った様子で適当に返事をすると、氷川課長は颯爽と自分の持ち場へと歩いていく。
ほらほらいつまでそうしてんの、どいた!
、、、と言わんばかりに割り込まれ、しかし自分たちの汚れた手に絶望しながらすごすごと持ち場を離れる。
「、、じゃあ、パートさん達の持ち場に入ってもらおうかな」
辻元係長が優しくみんなに声かけをしてくれて、少し空気は持ち直した。しかし問題は、帰りの車の中である。
「水原さん、私もう団子やりたくない。」
「私も団子の日は休みたいです。。。」
数々のネガティブ発言の嵐。
そりゃあそうである。
「辻元さんも言ってたでしょう?
そもそもすぐできる仕事じゃないって。
できなくて当たり前って。
どんな仕事も数重ねなきゃ、出来るようになりませんよう!一緒に頑張りましょう」
車内では えー!でも。。 と不満が噴出だ。
無理もない。先月までおよそ6ヶ月任せてもらっていた仕事内容より、大幅に作業の難易度が上がっているのだからーーーーーー
私が4月に就職した、株式会社「咲華(さいか)」は、軽度の障害者を対象としたA型就労支援事業所だ。ここ最近こういった事業所が多数事業拡大しており、求人広告にも多く色んな会社名が見られるようになった。それだけ需要が高まっているということだろう。
私は20代前半で早いうちに結婚し、ずっとパート仕事をしてきた。だが子供が小学校に上がり、正社員を意識し始めたときに、たまたま咲華の求人を目にし、その勤務時間の短さと給料の良さに思わず飛びついてしまったのである。
私は現在、隣の県にある冷凍食品工場「島田屋」の和菓子部門担当として、出向という形で毎日通っている。
毎日5時に起き、5時半過ぎには家を出てまずは自分の事業所に出勤する。チームメンバーを待って、揃ったところで6時半には事業所を出発。
自ら運転し、1時間15分かけて隣県の工場へ。8時前には到着し、8時20分には作業場の各担当エリアにはいなくてはならない。
長い道のりを5人の利用者様を乗せていく。
そしてチームメンバーの大半は精神疾患を患っている方。朝のテンションが上がるよう、気をつけて声掛けしなくてはならない。
声かけ一つ、神経を使う。
チームメンバーへの微細な気配りが重要なのはもちろんのこと、契約先との円滑なコミュニケーションはさらにもっとも重要である。
契約が切れれば利用者様の仕事がなくなるばかりか、当然契約先一つ無くなるごとに我々スタッフの給与も下がっていくシステムだ。
つまり、ほぼほぼ責任は1人で関わっている私1人にかかっているのである。
しかし私にとって、今もっとも頭を悩ませているのが、契約先の現場責任者、氷川修二課長との関係性だった。
実は5月から島田屋食品に通い始めて丸3ヶ月、ろくに氷川課長と話せていないのだ。
まともな会話をしたのは、出向初日に先輩に連れられ挨拶をした日と、一度作業の進行について変更点があった時のわずか2回ほどだったのである。
ほとんどの仕事を、正社員である小林さん(おそらく50代。かなり強い訛りがあり、地元民ではないため聞き取りが非常に困難)と滝沢さん(20代半ば。小柄で恐ろしく顔の整った声の低いクールビューテイ)の2人が教えてくれていた。
現場で1番偉い人がわざわざ新人教育するはずもないか、と勝手に1人解釈していたのだが、午後の別チーム(咲華は全国に事業所を持っており、隣県にも事業所がある。勤務はチーム半日ずつになっており、午後は別チームが入れ替わりで出勤してくるのである)が来た時に、午後チームのチームリーダーである橘さんと氷川課長は、普通に仲良さげに談笑しているのである。
このことに気づいた時にはかなり焦った。
しかし今更、である。3ヶ月もろくに話せないまま時が経ってしまい、話しかけるきっかけも糸口も掴めないまま、このまま午前のチームはいらない、契約終了!と、突然打ち切られたらどうしよう、、と、怯えながら毎日仕事していたのである。
今思えば私は話せないながらも、氷川課長をいつも観察していたように思う。
氷川課長にはなんというかーーーー
人を惹きつけるオーラのようなものがあった。
特に気になったのは、作業場を移動している時のゆったりとした歩き方だ。早いのに、何故かゆったりと歩いているように感じるのだ。あれは本当に不思議だった。
(なんかライオンが闊歩しているようだ、、)
と、出向3日目ほどで思った記憶がある。
他にも彼の「ライオンらしさ」は、至る様子の中にあった。
まず態度が非常に高圧的。
「ああ?」とか、
「は?」とか。
声も異常に大きく、冷凍庫の轟音鳴り響く現場の中でも、彼の声だけは間違いなく聞き取れるぐらいだ。その点は一緒に働いていて非常にやりすかった。
、、、しかし、なんか怖い。
とてもじゃないが、近寄れない。
用がなければ、話しは出来ない。
緊張するのでしたくないーーーーーー
これが、私の彼に対する
率直な第一印象と関係性だったのである。