【ライオンの棲むところ】EP5. 変化と動揺
2023年10月。
春に向けて本格的な繁忙期へ突入した。主にたくさん受注があるのは桜餅だ。柔らかいピンクの桜餅を機械で作り、それがベルトコンベアーで流れてくる。それを形が変形しないようすくい上げて、桜の塩漬けの葉っぱを手際よく巻き、10個入るトレーに並べていく。
この柔らかい桜餅を変形しないようにすくい上げるのが、本当に難しい。配慮しても、気を抜いた瞬間に指の跡がついてしまうくらいだ。
難しい仕事が増えプレッシャーがかかる中、気温も下がってきた。風邪や体調不良者が増えてきたのだ。今までほとんど欠員を出してこなかった我がチームだが、1人休みだすと体調不良は伝染する。ある週どうしても欠員を補うことができず、最終手段で別会社担当のスタッフに休みを代わってもらい、一緒に同行してもらうことになった。
これで大丈夫だーーーー。
スタッフということもあり、私はどこか安心し切っていた。ところが当日になり、朝6時半出勤して事業所の留守番電話を確認した私は絶望した。お願いしていたスタッフがインフルエンザにかかってしまったというのだ。
もう当日の朝だ。メンバーの補填は出来ない。欠員を出したまま行くしかない。。。
その日の現場、作業場手前の手洗い場から作業場内の様子を確認すると、氷川課長が桜餅の取り手の先頭に立って作業していた。それは、1日の生産量がいつもより多いことを意味していた。
最近はコミュニケーションの問題も改善され、作業の相談や次の作業の指示など、直接聞けるようになっていた。とはいえ、欠員の報告は緊張する。“欠員を出さない”という基本的な契約上のルール違反をするわけだ。怒られないわけはない。。。
「おはようございます」
「おう、」
「大変申し上げにくいんですが、実は今日欠員を出してしまいました」
「は?」
「忙しい時期なのに、すみません!」
「…」
無言で課長は手を動かしている。私は次にどんな言葉が氷川課長から飛んでくるか、身構えていた。
「水原さんが2人分やってくれるんでしょ」
「へ」
思わず変な声が出てしまった。
「大丈夫。出来る!ファイト」
…応援されてしまった。いや、そういうことではない。
怒られなかったことに対しての拍子抜けと、2人分やってくれるんでしょ、が、本気なのか冗談なのか。。。
仕事の配置の枠は1人ひとつ。先月末から7人契約になったので、7つの配置が用意されている。水原さんならできる!と言えば聞こえはいいが、要は“枠の数はそのまま”。島田屋食品の人間の配置は動かさないよ、自分でもらった枠の作業は何とか回しなさいーーーーー
要は、そう意味なのである。
「どうするの」
チームの初期メンバーから、不安の声が上がる。私が通い始めてから約半年、繁忙期に入り始めての作業に一緒に悪戦苦闘しながらここまで進んできた。最初はチームに受け入れられていない雰囲気満点だったが、この頃には私に対しての信頼感がやっと芽生えてきていた。
「やるしかないでしょう」
私ははっきりと答えた。私1人がどうにかする話ではない。チームで受けている仕事の話なのだ。皆んなにも責任感を持って仕事に取り組んでもらいたい。1人休んだら現場がどうなるか。。。 それを皆んなで体感する、いい機会でもあるのだ。
私が2人分の枠を引き受けるが、その前後の作業が時間の問題で滞ることが考えられる。色んなトラブルのパターンを予想しつつ、配置を考えていく。
11時半近くになり、氷川課長は朝イチから入っていた桜餅の先頭作業からようやく離れることができた。ここまでの作業量で、だいたい夕方までにどのくらいの数が作れるのかの試算が上がるのだ。
課長は持ち場から離れると、すぐ私たちチームの元へやってきた。
私たちの作業はというと、意外と何とか回っていた。1人いないものの揃っていたメンバーは初期から通っている定番メンバーが揃っていたため、それも大きかったかもしれない。最悪のパターンからは逃れられたようだった。
氷川課長は私たちの様子を1〜2分観察し、私のところへやってきた。
「どうにかなってんじゃん。さすが」
「何とかなってますかね」
私はなにか見落としがないか、ミスが無いか、課長から見て不備は無いかーーー 回っていても、不安はずっと拭いきれていなかった。全体を見渡し一人一人の作業の出来を確認するまでの余裕は、今日の私には無かったのである。
「大丈夫だよ。考えすぎ」
課長に励まされる日が来るとは、夢にも思わなかった。
「出来るって言ったでしょ。お疲れさん」
そう言い残すと、課長はお昼休憩に入って行った。その言葉を聞いて、今日の山場は乗り越えたのだと自覚する。と同時に、課長に褒められ励まされた嬉しさが込み上げてくる。
この時から私の中で、課長に“仕事ができる人間”だと思ってもらい欲が芽生えてきていた。
“水原に任せておけば大丈夫”
課長の中でそんな存在になることを目指し始めていた。と同時に、ちょこちょことプライベートな話をする機会が増えてきてもいた。
商品を入れる袋に成分表を印刷する作業があった。その機械は誰でもいじれるわけではなく、氷川課長と辻元係長、ベテランの男性正社員2人の4人だけだった。
午前中の作業が終わると、午後の準備のためにその4人が袋への印刷のために機械のある部屋に日替わりで入る。インクなど扱うため、食品を扱う作業場からドア一枚隔てた専用の部屋で印刷作業するのである。
私はこの時期、日替わりで変わる作業内容への不安から、帰り際に氷川課長の元へ行き明日の作業の確認をして帰るようにしていた。
その作業の内容によっては、明日連れてくるメンバーの交代も考慮しなくてはならないからだ。
作業場にいる時に質問しに行くと、
「明日は〇〇」と簡潔に答えてくれるだけだった。だが機械室に入っているときに質問しに行くと、子供の話や私の勤めている咲華の話など、プライベートなことまで聞いてくるようになったのである。その会話の中で、氷川課長も4人の子供がいて家族が多いこと、結婚した年が同じなど少しづつ個人的なことまで話してくれるようになっていた。
当初彼とのコミュニケーションが取れないことに悩んでいたこともあり、そんな関係性になれたことが本当に嬉しかった。
同時に、任される作業内容が増えて、難しい作業まで私個人が呼ばれて従事するようにもなっていた。本当はメンバーの中から出来る人を出したいところだが、なかなか出来る人がいなくて仕方なく、私が作業に入ることが多くなっていたのだ。それもまた、なんとか役に立ちたい、と思い必死に食らいついて作業を覚えていた結果だったように思う。
おばちゃんのお昼休憩の時には、どうしても作業を進めることができない。そんな中、私と氷川課長、辻元係長の3人で作業を進めることが毎日の流れになってきていた。
「水原さん、今日も氷川課長と11時半から作業に入ってましたね!ずる〜い」
事業所に戻ってきてから、最近汐田さんのお喋りに30分〜1時間付き合わされるのも、また私の日課になっていた。
「いや、仕事のできる2人に囲まれての作業なんで、めちゃくちゃ緊張しますよ!ミスできないですし、他にできる人がいないので… 他にやりたい人がいれば、もちろんやってもらって構わないんですが」
汐田さんは聞いているのかいないのか、仕事の話はてんで興味ない、といった様子だ。
「あんなかっこいい人と毎日関われるんだから、私たち本当ラッキーですよね」
かっこいい人とは、氷川課長のことである。汐田さん的に、どうやら氷川課長のルックス・声・雰囲気など、ドストライクなのだそうだ。
先月末の初出勤後、事業所に帰ってきてから彼女に初仕事の感想を聞くと、「幸せでした!あんなかっこいい人と一緒に仕事できるなんて…」という答えが返ってきた時には、ひとまず仕事に来てもらえる安心と、でもトラブルにつながるのでは無いかという不安も芽生え、非常に複雑な心境になった。
今のところはこうして仕事終わりに感想をシェアしてくるだけで満足しているようなので、退勤時間が気になるところだが根気強く付き合っているのだ。
「氷川さんと個人的にお喋りしてみたいんですけど、ダメですよね?」
爆弾発言に、驚き焦る。
「そ、それはどうでしょう?
どんなふうに会社に話が伝わるかも分かりませんし、一応利用者さんとの直接的なやり取りは私を通してもらうことになってますので」
プレゼントを渡してみようかな、とか、奥さんの職業と年齢が気になるとか… 彼女の特性上、放っておけば本当に聞いてしまうだろう。そういう懸念があるため、彼女が何を考えているか把握する必要がある。
「やっぱりね、」
と、彼女は含みある笑顔を浮かべていた。
「好きなんでしょう、氷川課長のことが」
私は思わず彼女の顔を見る。この上ない、してやったり、といったような表情を浮かべている。
「何も言わなくていいの!分かっているから。水原さんは可愛いし若いし、仕事も出来る!そりゃあ好きになっちゃいますよ」
…? 私の話では無かったのか?
「誰の話をしてます?」
「氷川課長に決まってるでしょう」
当然、と言った様子である。
「氷川課長と水原さん、両思いなんでしょう」
…どうして彼女の中でそういうことになってしまったのだろうか。
「どうしてそう思ったんですか?」
「だって2人ともしょっちゅう見つめ合ってるじゃない!」
「…それは、作業の進行について相談したいことがある時に様子をお互い見てるんですよ。私は課長に話しかけられるタイミングを伺ったり、課長は課長で私の考えた配置に疑問を感じる時もある。そんな時にどうしてもそう見えてしまうかもしれません」
なんだか私自身必死に、そう説明していた。
「いや、いいんです。お互い家庭持ちだし、大っぴらにできないですよね」
「でも、私には分かってます。2人の間に何か絶対あるっていうのは。」
そう言って、汐田さんは颯爽と自転車に乗って去って行った。
なんで動揺しているんだろう。