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【ライオンの棲むところ】EP11. 最後の1ヶ月、いちかばちかの賭け


 契約解除が決まり、氷川課長とそのことについて話をしたその翌週。
 あと残り1ヶ月… チームメンバーにも契約解除の話をした。欠勤だらけになってしまうのでは無いかという私の心配をよそに、皆んなポジティブに仕事に励んでくれた。社員さんと同じように、三割引で和菓子を買うことができるのだが、冷凍できるということもあり、もう買えなくなってしまうと3日おきくらいに大量に注文していた。私とて例外ではない。私はもちろん、うちの子供たちも島田屋食品の和菓子のファンになっていた。事務のおばちゃんがびっくりするくらい買わせてもらった。


 チームの雰囲気が、通い始め当初と違い私のモチベーションの支えとなっていた。
 皆んながこんなに頑張っているんだから、最後まで後悔のないように仕事に取り組もう。こんなに良いチーム、切ってしまうのは勿体無いと思って頂けるように、精一杯どんな作業でもベストを尽くそう––––– 毎日そう呼びかけながら、自分を励ましていたのだ。



 契約解除の話をしてから、不思議と私自身課長から距離を取るようになっていた。もう会えなくなるんだ。いつまでも未練がましく課長のことを考えるのはやめよう…
 するとまた、午前中の作業のラスト1時間で課長に呼ばれ、氷川課長と辻元係長と一緒に作業に入ることになった。


 その日取り組んだ作業は、鶯餅を成形しトレーに並べるという作業だった。年間でもあまり数が出ない商品で、私たちが通って約10ヶ月になるが、4回目くらいの作業だった。
 前回からすでに2ヶ月近く間が空いていて、うまく出来るかどうか不安だった。


「課長、久しぶりでうまく出来るか不安なんですが」
「原田さん、最初の数回だけ出来てるか見てあげて。」
 休憩に入ろうとしていたベテランパートさんが呼び止められ、どれどれ、と私の隣にやってくる。
「もうちょっと長めに伸ばして、…そうそう。指を立てて取るんじゃなくて、指を寝かして。… 氷川さん、もう取れてるわよ」
 わずか1〜2分コツを教えてくれ、その後はさっさと出ていってしまった。
「だ、大丈夫でしょうか」
「取れてるって言ってたじゃん。原田さんが見てくれたんだから大丈夫」
 どんどん流れてくる鶯餅を、なるべく課長や係長について行けるように必死に取っていく。


「解除の話ししてから1週間くらい経ったけどさ、」
「はい」
「その後水原さんの次の担当の会社決まった?」
 予想外の質問に、作業しながらも私の今後に興味を持ってもらえていることが分かり、なんだか嬉しい。

「まだ決まらないというか、やっぱり契約先自体が見つからないみたいで。事業所内で軽作業をしばらく見守るしかやることなさそうですね」
 実際問題、今事業所内では契約先を見つけてくる営業さんがエリアマネージャーにせっつかれて、必死に契約先を探している最中だった。契約先の候補の会社からは、いつも現場では前向きな反応をいただけるのだが、上に話を上げると通らなかった。…こんな話ばかりだったのである。


「決まらないんだったらさ、」
「はい」
 鶯餅を菱形に成形しているのだが、なかなか上手くいかずずんぐりになったり、伸ばしすぎたりして、話せるのは嬉しいのだが作業に集中したい。

「うちに来れば良いじゃん」
「え」
「…次決まってないんだったらさ、うちの社員になっちゃえば良いじゃん、て話し」


 思わず手が止まりそうになる。だが鶯餅は止まってくれない。動揺し過ぎて上手く取れているかどうか分からなくなってきた。

 その言葉はまさに、いつか課長から聞けるんじゃないかと妄想していた言葉のその通りの言葉だった。
 
 何度夢に見ただろう。私だけ社員さんたちに混ざって難しい仕事を任されるようになってから、そんな妄想・空想を何度も広げていた。
 課長だけでなく、島田屋食品の社員さん・パートさんたちに受け入れられ、仕事を認めてもらい、バリバリ作業をこなしている姿。
 課長に頼りにされ、難しい作業をするときにはいつも課長のそばに私がいる。
–––今日は大変だけど大丈夫。
  だってうちには水原がいるから–––


 だが途端に、現実に引き戻される。

 本当にそんな生活、可能だろうか?


 自宅から島田屋食品には、片道2時間近くかかる。朝は毎日6時出発。朝の通勤ラッシュと着替えの時間を考えれば、もう少し早く出たほうがいいかもしれない。帰りは保育園の迎えには間に合わないし、まっすぐ自宅に帰ったところで20時だ。
 そんな生活、夫がokを出すわけがない。


 気づくと私は、今咄嗟に浮かんだ現実的な通えない理由を、5つも6つも並べていた。今思えば、なぜあんな必死に並べ立てていたんだろう。せっかく誘ってくれたのに。
 ベラベラと通えない理由を並べたて、気がつくと1人でしばらく喋っていたことに気がついて、冷や汗が出た。
 そもそも、“ありがとうございます”“嬉しいです”とちゃんと言えたのか? これではまるで、あくまでも咲華に所属していたから来ていたのであって、こんな遠くに誰が来るかと言っているようなものである。


 私の話を一通り聞き、来ることができないのは十分伝わっていたと思う。彼だってうちの子供と歳の変わらない子供を4人も育てているのだ。それでも、

「いや、出来るって。」
「そんなんなんとかなるよ」
と、諦めていないようだった。
 
 その日はそれで話しは終わったのだが、驚いたのはその翌日からだった。
 毎日毎日誘ってくれるのである。すれ違うたびに、
「気が変わった?」
「来る気になった?」
「いいからうち来いよ」
「やってみなきゃ分かんないじゃん。案外出来るかもよ」

と声をかけてくれる。
たまったもんじゃない。



 声をかけられ笑顔であしらうか、「ありがとうございます」となんとか毎回返してはいたが、どんなに「じゃあお世話になります!」と答えたかったか。
 でも課長に話しかけられるのがとにかく嬉しくて、あしらう度に辛くて辛くて涙目になっていた。そしていよいよ、最終週になってしまった。


 私はまた誘われるだろうと、怖さ半分、でも期待半分というところだった。
 残り1時間ほどになり、課長が私のそばまでやってきた。私は今日あることを話そうと決めていた。


「どう?そろそろ腹くくれたんじゃない」
 私はドキドキしていた。
「…来れるものなら、私だって来たいですよ! でもやっぱり旦那さん的にNGみたいです」
「旦那なんて関係ないでしょ」といいながらも、今までで1番小声で弱気な反応だ。


「…ぶっちゃけてしまうと私、咲華はそのうち辞めることになると思うんです。島田屋食品に来れないとなると、モチベーション一気に下がっちゃて。」
「だったら…」
と話しを続けそうになるのを遮るように、ある“賭け”に出た。

「全然話変わるんですけど、私昔マッサージの仕事やってたって言いましたよね」
 私の過去の数々の職歴を、前に話したことがあった。
「お、おう」
「私多分咲華辞めたら、マッサージ業に戻ると思うんです。そしたらサービスするので、お客さんになってくださいよ」


 前に個人事業でお店をやっていたと話した時に、「夜のお姉さん?また復帰したら絶対行くからお店の名前教えて、」と冗談でそんなことを言われたことを思い出したのである。
 当然課長もあの話しの流れを覚えているだろう。私はつまり、個人的に連絡先をくれるかどうか賭けてみたのだ。


 反応はというと、どっちとも言えないものだった。笑顔で何度も頷くと、今度は課長の方から曖昧にふらっとどこかに行ってしまったのである。当然、工場内では個人的な連絡先の交換なんて出来ないため、「あぁ、いいよ」と簡単に事が運ぶとは思っていなかった。
 
 

 最終日の明日、課長がどう出るかに賭けたのである。

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