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【ライオンの棲むところ】EP8. 引き継ぎ、そして焦り…


1月下旬  
 
 年明けに数日稼働してなかった冷凍庫は更にご機嫌斜めになり、引き継ぎしたくても上手く出来ない日々を過ごしていた。
 仕方ないので、宮部さんを欠員の補充という名目で連れて行き、作業に実際に入ってもらった。私がチームに入った時には、ろくに引き継ぎが無く大変な思いをした。宮部さんの場合はただでさえ繁忙期の最中の引き継ぎである。いちいち職員さんやましてや課長の手を止めさせてまで、初歩的な質問をさせるわけには行かない。
 私はあまり意見を主張しないタイプなのだが、今回の引き継ぎはきちんとやらせてくださいと、思い切って上司にお願いした。島田屋食品の現場に迷惑かけたくなかったからである。



 
 1月の最終週。金曜日。
  
 今日も体調不良者の代わりということで、宮部さんを連れて来ていた。2月の2週目からは彼女は独り立ちし、一人でチームを連れてくることが正式に決まったため、氷川課長にこのことを報告しなくてはならない。
 課長が生産作業から離れ、いつもの機械室に入っていく。

「課長が機械室に入ると一対一で話ができるので、私たちも行きましょうか」
「あ、は、はい」
 宮部さんも通い始めてトータルで1週間ほど。氷川課長の高圧的な雰囲気が苦手だと、早くも感じていたようだった。


 一時おいて機械室に入っていくと、いつも通り袋に賞味期限の印字作業をしていた。私が作業終了間際に機械室に来て明日の作業内容を聞いたり、課長の気分次第で少し雑談したりというのは、毎日の定番の流れになっていた。
「失礼しまーす」と、いつものように入っていく。(今思えば、学生時代の職員室に入っていく時の心境のようだった。)


 「おう」といつものように課長が振り向く。
私の後ろに宮部さんがいることに気がつき、表情が曇ったのがマスク越しでも分かった。

「お忙しいところすみません。今お時間頂いてよろしいでしょうか」
いつもよりもかしこまった雰囲気に、身構えている。
「…別に構わないけど」

やばい。緊張してきた。


「ここ数日欠員補充のために入ってもらってました、宮部さんに、今後午前中のチームを引き継ぐことになりました。それにあたり––––」
「え!どうしたの」
 目がまん丸とはこんな様子のことを言うのだろう。取り乱しているところを約10ヶ月ほど通って初めて見た気がした。
「…咲華は元々スタッフが一定期間通ったら引き継ぐシステムですので、ご迷惑かとは思いますが、しっかり引き継いでから受け渡したいと思います。」
 私がこう言ったところで、そう言えば私自身も前の前任から半年ほどで切り替わったのだと急に思い出したらしい。急に冷静さを取り戻した。
「引き継ぎの時間はちゃんと取れそうなの」
「あ、はい。…ここ数日欠員の補充で来てもらっていたんですが、スタッフの仕事も同時進行で少しずつ覚えてもらいました。
 シーラー作業ができるメンバーが少ないので、挑戦してもらったらすぐ出来たので、どの作業に入ってもらっても対応はできるかなと思います。」

 あ、そう。うん。うん
と、頷きながら私の話を聞き終わると、宮部さんに向かって一言「頑張って」と言い、雰囲気的に「この話しはじゃ、これで」と切られたような気がした。
 氷川課長が印刷した袋の印刷の出来を確認し出したところで、そそくさと「失礼します」と二人で機械室を後にした。


「…めちゃくちゃ緊張しました!」
更衣室で宮部さんと二人になり、宮部さんが興奮したように私に言う。
「ぶっきらぼうな物言いだから緊張しますよね。私なんて5ヶ月目くらいまでまともに話してなかったんですよ」
 宮部さんとは一緒に過ごす機会が多いので、つい咲華の愚痴まで聞いてもらう間柄に早くもなっていた。
「…でも水原さん、よっぽど信頼されてるんですね。」
「え?どうしてですか?」
「だって引き継ぐって言った時のあの反応!あのクールな人が、あんな分かりやすく動揺するなんて、何だか可愛いまで思っちゃって。でもきっと、水原さんありきで日々の作業の配置の組み立てをしているんだろうな、って思いましたよ。そこまで信頼関係を築けるなんて、仕事を会社から任せてもらえるなんて、すごいことですよ!後任なんて務まるかなあ」

 
 彼女の熱弁を聞いて、思わずウルウル来ていた。私としても氷川課長の反応は意外だったし、嬉しいものだった。…と同時に、やっぱりそうだよね、とも思った。
 仕事を信頼して任せてくれている。
 そうだよね、その動揺だよね、と。



 引き継ぎの話をした後、スタッフ二人でしばらく通う日々になった。と同時に、私が個人的に氷川課長のもとに呼ばれて難しい作業に入る時間はどんどん増えていくことになった。
 宮部さんに利用者の皆さんの配置を考えてもらい、利用者さんとの関わりも出来るだけ彼女に対応してもらうようにした。そうすることによって、自然と私がフリーのような形になり、ヘルプでパートさんの空きに入ったことがきっかけで、呼ばれるようになってしまったのである。


 咲華のメンバーから少し離れ、なんだか個人として初めて皆さんと関わっているような気持ちになっていた。
 本当に色んな話をした。
氷川課長の四人の子供達のうち、長男くんは私の3番目と同じ学年だと言うこと。3人男の子で、奥さんの希望で4人目を産み、やっと女の子ができたこと。
 私が大学四年の時に学生結婚し、20代前半でほぼ4人の出産をしたことは、氷川課長だけではなく他の社員さんたちを驚かせた。
 引き継ぎの話が出たことによって、自然と皆さんと関わる時間が増えた。皮肉なものである。
 この時間によって、市川さんという男性社員さんとも仲良くなることができた。私たちと同じG県から通っていることがここにきて分かり、地元トークで盛り上がったのである。
 社員さんたちの和気藹々とした雰囲気の中に、自分が溶け込んでいることに違和感を感じながらも、内心は嬉しく嬉しくて堪らなかった。
と同時に、寂しくて寂しくて、どうにかなりそうだった。

 次の担当の話がまとまればそっちに集中できると思っていたのだが、なかなか契約先自体が見つからないらしい。
 そのこともあり、なぜ私がここを離れなければいけないのか–––– せめて、繁忙期が終わるまで通わせてもらうことはできないのか… と、未練がましい想いが渦巻いていた。


 作業に入る時は、だいたい氷川課長の目の前の配置に入ることが多かった。私は氷川課長の集中している伏せた目元が好きだった。作業を覚えるために課長を見ているふりをして、大きな手が器用に細かい作業を処理していく様を、憧れに近い眼差しで見つめていた。
 私の気持ちはすでに、確実なものになっていた。だからこそ、寂しいからこそ、
 早く、早く、ここから離れなきゃ。
 こんな気持ちを持っているのは良くないことだ。


 焦っていた。

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