【ライオンの棲むところ】 EP6. 嫉妬?そして不穏な空気…
繁忙期の空気感は、日々一層ピリついてきた。人がさらに足りなくなり、私たちのチームも更に1人12月から増員の話が持ち上がっている。
隣の冷凍ピザを作っている工場から、10人程ヘルプでくるようになり、その人たちと持ち場を一緒に担当するようになった。メンバーはそこでもコミュニケーションに不安感を持つ人が多いので、間に入って調整しなくてはならない。
そんな中、冷凍庫の調子がここのところ悪い。しょっちゅう運転が止まってしまうのだ。
「古い機械だからね」
と、フィリピン人のビンさんがいう。
「僕が初めて来た20年前もこの機械だった。
今まで部品の交換してないっていうんだから、いつ止まっても仕方ないよ」
ビンさんはとても親切で、外国人チームのリーダー的存在だ。私が咲華チームのリーダーと知って、初の繁忙期ということもあり、つきっきりで色々教えてくれる。
いつ機械が止まってもおかしくない–––
不穏にさせる言葉である。咲華のエリアマネージャーが聞いたらどんな反応をするか。島田屋食品から撤退して、別の契約先を探そうと言い出すかもしれない。
冷凍庫が止まるようになり、氷川課長の仕事はますます増えていった。驚くべきことに、機械の調整に業者を呼ぶのではなく、各部門で機会に強い人たちが集まって、あーでもないこうでもないと修理に臨んでいるのだ。スマホ片手に、部品のメーカーのHPを開いている人もいる。
そんな中、氷川課長は中心になって修理作業に臨んでいた。作業場には外国人の助っ人に機械を修理する人々、色んな人でごった返すようになったのである。
現場がこんな様相になり、なかなか氷川課長に話しかけるのが困難になってきた。巨大な冷凍庫に頭を突っ込んで工具でガチャガチャしてる時に、「今日は何をすれば良いですか」などと、とても話しかけられる雰囲気ではないのだ。
そこでより関わるようになったのは、辻元係長だった。彼は氷川課長とは違い–––
いや、控えめに言って、“正反対”と言っても良いかもしれない。
はっきりしていてちょっと高圧的、声が大きくて色黒、theリーダーという様な氷川課長と比較すると、辻元係長は優柔不断でおっとり、のんびりした話し方にマイペースさが分かる立ち振る舞い。色白の長身––– こんな人だ。
よくパートのおばちゃんに、「仕事が遅い」とか、「人の話聞いてんの!?」と怒鳴られていて、係長と知った時には失礼ながらかなり驚いた。
私と同世代かと思いきや、48歳独身…
驚きポイント満載な人である。
氷川課長と話せなくなり、自然と作業についての相談をするようになって早1ヶ月。かなり辻元係長と打ち解けることができた。
意外とおしゃべり好きで、馴れ合うと絶妙なおじさんジョークをいう人なんだということが分かったのだ。
ある週私以外の家族は皆んなインフルエンザBにかかってしまい、私も時間の問題でかかると覚悟していたのに、結局かからなかった。
1週間1人で家族の看病をしながら県外の島田屋食品にも通っていたため、疲れが溜まっていて、つい愚痴ってしまったのだ。
「水原さんの細胞を研究機関に送ったら謝礼が貰えるかもしれないよ」
作業中に突然話しかけられ、後ろからこう言われた時には、一体何の話をしているのか分からず混乱したが、急に自分がした話を思い出し、わざわざ作業中にそれを伝えようとしてきたことにツボに入ってしまった。
可愛いというかなんというか…
憎めない人なのである。
しかし暫くして、不穏な空気が漂い始めた。どうやら、私と辻元係長の間で何かあるのではないかという噂が、おばちゃんたちの間で立っているというのだ。それを教えてくれたのは、よりによって汐田さんだった。汐田さんはいつの間にか、情報通なおばちゃんパートさん達と仲良くなっていたのだ。
「氷川さんが忙しいから辻元さんに話しかけるしかないだけなのに… 水原さんには氷川課長だけですよね!」
…根本的に間違いされているが、否定すると余計に怪しいと疑われるだけなので、否定も肯定もせずあやふやに頷いておいた。
変な噂が氷川課長に届いてなければ良いのだが。
実はこの頃、自惚れかもしれないが氷川課長に見られているのでは… という視線を、1日に何度か感じていた。
作業している時、チームメンバーと少し離れた配置に1人でいる時、彼が調整の合間に作業に入り私が側へ行った時、
1番視線を感じたのは、辻元係長と話している時だった。
あからさまに彼の視線に自分の視線をぶつけるわけにはいかない。私は視界の隅っこで、自分のチームメンバーに気を配っているふりをしながら、彼の視線を感じ追うようになっていた。
ある日、作業場の1番奥の機械室に氷川課長が消費期限の印字作業のため入っていた。
その日は機械トラブルもなく、落ち着いていたため、課長は予定通りの作業を済ませ、お昼休憩前に生産作業から離れて、その部屋で少しゆっくりできていたのだ。
私は課長がその部屋に入っていくのを見かけ、最近話ができていなかったこともあり、今日は明日の予定が聞けるかも…と、後を追って機械室に入った。
機械室に入ると、腕組みをしうなだれて壁にもたれかかっている様子だった。
(寝て…ないよね?)
思わずそう思ってしまった。連日の機械トラブルに見舞われて、かなりこの繁忙期の生産は遅れてしまっているはずだ。私たちは決まった時間で必ず退勤する契約になっているが、社員は一体何時まで残って作業しているのか、残業代はちゃんと貰えるのだろうか?
余計なお世話だが、つい気になってしまう。
私が部屋に入ってきたことに気づくと、
「おう、」と、体勢を直した。
「大丈夫ですか?」
私は思わずそう声をかけた。
「あんまり大丈夫じゃないね」
そうですよね… と、思わず自分の投げた愚問を訂正したくなった。
「明日の作業の話?」
「あ、そうです」
「今日と同じだよ」
目をしばしばさせながら、いつもより気の抜けた声でそういった。こんなに疲れた様子を見たのは、初めてだった。
「お疲れ様でした。お先に失礼しますね」
久しぶりに話したいことがあったが、迷惑かもしれない。速やかに退散しようとしたその時だった。
「待って」
振り向き彼の顔を見ると、なんて言うか、言おうか言わまいか、という雰囲気の彼が立っていた。… 呼び止められたものの、なかなか言葉が出てこない、と言った様子だ。私が不思議に思い待っていると、
「…話さないで、辻元と」
という言葉が小さく聞こえた。
「…え?」
自分に言われた言葉が、聞こえた言葉の意味が、聞こえたままで合ってるのかどうか分からない。
聞き返そうか考えていると、
「辻元が病気になっちゃうから」
と、小さな声でそう言った。
自惚れるつもりはないが、“好きになってしまうから”という意味だろうか。だが、私はあくまで状況的に辻元係長に仕事を聞いているだけで、別に好きで辻元係長に話しかけているわけじゃない。
「…噂の件でしょうか。節度をもって関わりたいとは思っていますが、冷凍庫が止まってしまう状況もあって、話しかけざるを得ないタイミングがどうしてもあって…」
ここまで言ったところで、手で私の話しを遮った。
「分かってる。状況は分かってる。」
でも、と氷川課長は続ける。
「でも、あいつと話さないでほしい」
はっきりと私の目を見て、課長はそう言ったのである。自分の体が一気に熱くなり、なんだかぐらついてきた。心だけじゃなく、身体までも。私は今どんな顔をしているんだろう。なんて言ったら良いのか、分からない。
「分かりました、」と、
かろうじて言っただろう。私の性格を考えれば。だが本当はなんと言ったのか、どんな反応をしたのか、全く思い出せない。
逃げるように印刷室を出た。
理屈に合わないことを言っている。
いくら噂が立っているとはいえ、事実では無く、おばちゃんたちが面白おかしく若者を観察し、茶菓子と一緒に楽しんでいるだけである。
私が辻元係長に話しかけているのも、氷川課長が対応できない状況だから故に、である。
「話さないで」
とは、あまりに横暴で、支配的で、はっきり言って子供のわがままのようだ。
自分のおもちゃを他の人に触って欲しくない。。。そんな小さな男の子の、でも切実な、願いのような。
戸惑うのと同時に、言いようのない喜びに近い感情が湧き上がっていた。
もしかして、嫉妬されてるの?
その翌週、私の所属している事業所に島田屋食品から連絡があった。
冷凍庫がついに完全に動かなくなり、週5日から3日に契約を一時変更したいと。それから今頑張って復旧しようしようと職員一同調整中だが、それがうまくいくかどうか分からない、うまくいかなければ業者を一定期間呼び、作業を完全停止して待つしかないと。
その日はちょうどエリアマネージャーがうちの事務所に来ているタイミングだった。
「一年半か… 潮時なのかね」
厳しい表情でそう言ったマネージャーの顔が、いまだに忘れられない。
終わりの始まりだった。