【ライオンの棲むところ】EP4. 拍子抜け
コロナ禍の影響で学校行事のほとんどが短縮化され、運動会もかなり種目が減り午前中で終わらせてしまう学校が多いようだ。
うちの子供が通っている学校も例外ではない。田舎の過疎化の進んでいる地域なので、運動会のプログラムを見た時には思わず目を疑ってしまった。
「本当に運動会11時に終わるの?」
半信半疑で小5の次男に問いかけた。
「そうだよ? お昼ご飯なしだからね」
昔は大判のレジャーシートを早起きして敷きに行き、何時間も前から場所取りしていたのが嘘のようだ。
「それにしても早いよね」
「ソーラン節無くしちゃったし」
「え!?」
5・6年生の集大成、遊戯のソーラン節まで削ったというのだから驚きだ。長男長女が年子だったために、前は2人が一緒に踊っているところを見ることができた。これからはもう見られないなんて…
ショックと驚きを隠せなかった。
「そういえば、去年の運動会みーちゃんとママちょっと喧嘩したよね」
「喧嘩? そうだっけ…?」
長女と喧嘩なんて、滅多に無い。だがそう言われて、だんだんと記憶が蘇ってきた。
「みーちゃん小学校最後なのに、ママがもしかしたら運動会見に来ないかもって疑ってた」
ーーーーーそうだった。
繁忙期に入った週の土曜日、私は運動会のため休みを取るか、パパ1人に任せるか、ギリギリまで迷っていた。結果休みを取って運動会へ観に行ったのだが、長女は最後まで本当に来るのか疑っていたらしい。
繁忙期のスタートはそれほど過酷で、私が休みの時のヘルプのスタッフでは、かなり悲惨なことになるだろうと思ったからである。
2023年9月中旬。
私たちのチームは急遽繁忙期のため、1人増員することが決まった。1人増えるということは、待機(欠員の補充要員)を主要メンバーに上げ、また新しい待機を1人探すということだ。うちの事業所には56人の利用者が登録しているが、早朝6時半に遅刻せず集まれる人はそうそういない。仕事場が冷凍室で寒いことや、片道1時間半の道のりも、チーム参入を断られてしまう要因の一つだった。
なかなかメンバー探しが難航するなか、先輩スタッフから1人の女性利用者様の名前が上がった。もちろん名前は知っていたが、午後の他会社チームの方だったので、すれ違いでお顔すら見たことの無い方だった。
「作業はゆっくりだけど、とにかく真面目な人。お休みもほとんどしないから、安心出来ると思うのよ」
休まないというのは1番大事なポイントだ。咲華に勤務して5年目の先輩の推薦。疑う余地もなく声をかけた。
彼女は汐田さんといい、島田屋食品の仕事に前々から憧れていたのだという。電話での依頼で申し訳ないが、今月の最終週から勤務に当たってほしい旨を伝えると、二つ返事でokしてくれた。やる気満々で、頼もしい限りだ。
だが拭いきれない懸念点がいくつかあった。
まず彼女の履歴書… そしてこれまでの受療歴が気になったのである。彼女は統合失調を30年近く患っており、天涯孤独の身。昔は特に異性関係のトラブルが尽きなかったらしい。付き合っていない異性へのつきまとい、待ち伏せでの通報歴も数回ある。
彼女はもう50代後半だし、うちの事業所では友人関係のいざこざは数年前にあったものの、最近では落ちついているようなのだが…
なんだか胸騒ぎがした。
2023年9月の2週目。
私は今日氷川課長に話しかけるタイミングを一日中伺っていた。彼は繁忙期に入るとより忙しく、作業場中を行ったり来たりするようになった。
全体をざっと見渡し、流れが滞っているところをいち早く見つけて、その前後の配置に割り込むと、あっという間に詰まりの問題点を解消してしまう。人の技術に問題があれば、そこに誰が適役かを見極めて交換し、さっきよりも円滑に回るように組み替えていく。
全体には50人ほどの人がいるのだ。課長だからと言えど、1人1人の能力をすぐに把握出来るものなのだろうか。
そんな彼と仕事をする上で緊張するのは、私がチームのメンバーを配置した時にどう思うのか、という点だった。能力や障害を配慮した配置にしているつもりだが、私はまだまだその点に自信がなかった。そしてこの増員の際には、氷川課長に思い切って相談してみようと思っていたのである。
作業終了間際に、氷川課長が手が空き、奥で定年間際の社員のおじさんと談笑し始めた瞬間があった。
(今だ…!)
私は意を決して突撃した。
「今お時間空いてますか」
いつも話しかけず挨拶のみの私が話しかけて、若干驚いている様子だった。
「どしたの」
「今月末から人数が増えるにあたって、配置の相談をしたくて」
次の言葉に、耳を疑った。
「え、人数増えるの」
聞いていないというのだ。そんな話しがあるだろうか?島田屋食品からの依頼だというのに、現場の責任者がそのことを知らない。訳が分からず戸惑っていると、
「あー、うち、そういう所なんだよ」
…どういう所なんだろう。
「全部事後報告というかさ、現場には上の決定って間際になるまで全然降りてこないんだよね」
あっけらかんと話す氷川課長。きっとこんなこと、日常茶飯事なのだろう。
でも、現場で受け入れることなのに…と、なんだか納得出来ない気持ちになっていた。
「配置なんだけどさ、」
言葉が繋げないながらも、「はい、」と返事をする。
「水原さんの好きにして良いよ。全部任せる。出来るでしょ」
またもやあっけらかんと言い放つ。これは、この言葉は、信頼してもらっているって事なんだろうか。
私が返事に困っていると、彼はこの場を離れようとしている。
「あの、まだお伝えすることが」
「うん?」と氷川課長が向き直る。
「私今週の土曜日、申し訳無いんですが小学生の運動会があって。来てから5ヶ月1日も休んでないので、ヘルプのスタッフが約半年ぶりに連れてくるんです。流れが分からないと思うので、迷惑かけるかと…」
私が言い切るかどうかで、
「結婚してんだ!てか、小学生?」
と驚いた様子を見せた。気にしてほしいところはそこではないのだが。
「してますよ。上の子は中学生です」
え?中学生…?
と、私の顔を見ながら一時停止。といった雰囲気だった。
「いくつなの」
躊躇ない質問が飛び交う。
「35です」
さんじゅうご…
噛み締めないでほしい。人の年齢を…。
「若いって言われない?」
「…そうですかね?まぁ、たまには」
「ここ一年で一番びっくりした」
「そ、そうですか」
「俺、20代前半かと思ってたよ」
「え??!」
…今度は私が驚き無言になる番だった。
食品の現場では目元以外は出ないよう、帽子とマスクが一体になっているものを着用する。その人の顔立ちは分からず、胸元の名前と目元の印象、声でその人を認識しているのだ。
…それにしても、20代前半とは。少し若く見られることはあっても、そこまでは流石に言われたことはなかった。
私が何と言ったら良いのか戸惑っていると、氷川課長が ニカッと 笑ったような気がした。
「なーんだ」と、一言そう言ったのである。
な、なーんだ?私は真意が分からず、ますますどう反応したらいいか分からない。
そんな私を他所に、氷川課長は「じゃ、ね」とジェスチャー付きで持ち場へ向かっていく。
背中に「お先に失礼します!」と慌てて声をかけた。
この日を堺に、今までの会話無し問題はどこへやら。むしろ、家庭のことなどプライベートな会話まで合間にするようになったのである。
今思い返せば、課長という立場のある身だ。若い(と思っていた)女性と親密に見えることを、警戒していたのかもしれない。ましてやおばちゃんばかりの職場だ、悪い噂はあっという間に広まってしまう。
20代前半・おそらく独身
30代半ば・家庭持ち(子供5人)
どちらが声を掛けやすいかは、後者なのか…?男性心理はよく分からないが、そういうことだったのかもしれない。
そして9月末に新規メンバーとして入ってきた汐田さん。彼女の誰にも止められない暴走が、いよいよ始まるのである。