
【ライオンの棲むところ】EP13.苦しい日々の始まり
2月から始まった男性利用者さんからのセクハラは、実はダラダラと続いていた。先輩スタッフが気を回して、私とその人が2人きりにならないようにチーム分けをしてくれていたのだが、終業時間まで待ち伏せされていたり、裏口から出ると次の日恨み言を言われたりと、ストレスの溜まる日々を送っていた。
極め付けは、やはり島田屋食品からの撤退だった。何の楽しみも無くなってしまった。。。
だが落ち込んでいるのは私だけじゃ無い。チームの皆さんは頑張っていた仕事を取り上げられ、給料まで下がっているのだ。A型事業所に来ている人たちは疾病や障害が軽度なため、障害年金の額も微々たるもの。生活への影響は大きいだろう。弱音を吐いている場合ではない。
セクハラをしてきた山里さんはというと、東京本社へのクレームがクセになってしまったようで、未だに数日おきに電話しているようだった。事業所でどんなに優しく対応をしても、状況は変わることはなかった。
先輩が私をあえて遠ざけるよう配慮してくれたことに対し、不満が募ってしょうがない様子だった。彼は作業するときのチーム分けで私のチームに入りたがるのだが、入れなくても「俺のことが嫌いなんだ」と怒るし、入れても「俺のこと嫌いなんでしょ?」と詰め寄ってくる。仕事中でもお構いなしにそんな話題を至近距離で持ちかけてくるので、作業ペースに影響が出てしまいチームのみんなに迷惑かけることになる。雰囲気まで悪くなってしまうのだ。
そんな中、期間限定のお試し期間ではあるが新しい外就が決まり、そのスタッフに私が選ばれることになった。エリアマネージャーから呼ばれ、正式に辞令を頂く。
「島田屋食品に一年近くも根気よく通ったんだから、水原さんだったらきっと大丈夫。お試し期間の大事な時期だから、向こうの現場職員さんとのやりとりもしっかり頼むわよ」
前回は引き継ぎという形だったが、今回はまるっきりオープニングスタッフという訳だ。2週間のお試し期間を経て正式に契約となる訳だが、今回の仕事は時間給を頂くのではなく出来高制だという話だ。仕事のノルマがある訳では無いので、作業が早い人も遅い人も、気軽に挑戦できるチャンスだ。
やっと切り替えられる… 早く島田屋食品のことを、氷川課長のことを忘れたいと思っている私にとっては、願っても無い展開だった。
「そしてお願いがあるんだけど」
エリアマネージャーの表情に、一抹の不安がよぎる。
「はい」
「…山里くんを、あなたのチームの固定メンバーに入れようと思っているの」
…え?
新しい契約先は段ボールの再利用が目的の会社で、大きい段ボールを10束ほど抱えて運ばなきゃならない。仕事の性質上女性よりは男性の方が向いているとは思う。山里さんは180センチ近く身長があり体重もあるので、体格で言ったら適任ではあるだろう。でも−––––
イヤとはもちろん言えない。それが分かっていて私の反応を見るために、あえてこんな話をしているのだ。
「…分かりました。彼の興味が新しい仕事に向くように、精一杯サポートしようと思います」
「水原さんならそう言ってくれると思ってたのよ!」
途端にパッと声色が明るくなり、媚を売るような気味の悪い視線が絡みついてくる。
「所長が山里くんに余計なこと言ったせいでクレームが止まらなくてさ、どうにかしろって本社から私もせっつかれて大変なの。この件は水原さんにかかってるから。宜しく頼むわね。」
つまり自分の管轄のエリア内で起こった面倒ごとをいつまでも解決できなければ、自分の手腕が疑われる。私のメンツのためにも、あんたが何とかしなさいよ… 皮肉だが、私にはそう言っているようにしか感じなかった。
セクハラをする男性を目当ての女のそばであえて働かせる。
––– 正気か? 一般的な企業であればありえない展開だ。だがここではそれがあり得る。イヤなら“辞める”しかないのだ。
この時の私自身の心境について、自分でも不思議に思う。なぜここまで頑張る必要があるのか。なぜ島田屋食品との契約が切れたその直後に、すぐ辞めることをしなかったのか。その理由は一つ。島田屋食品の部長と氷川課長の言った言葉だ。
部長はまた冷凍庫が直って縁があれば、頼む展開になるかもしれないと言っていた。そして氷川課長も。。。
「俺は諦めた訳じゃないよ」と、私の顔を見ながら言った時の目が、表情が、忘れられない。
次回の繁忙期近くになったら、また島田屋食品からウチのチームが呼んでもらえるかもしれない。そんな気持ちが、ギリギリの状況でも耐えるための一種の原動力になっていたのだ。