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【ライオンの棲むところ】EP3.戸惑い

 2024年11月。

 今日は早めの大掃除に取り掛かっていた。
 作業場で使っていた手袋が、前使っていた仕事用のバッグから出てきて、思わず当時のことを思い出す。この手袋をある日移動しているときに落としたことがあった。


 朝氷川課長に呼び出され、何事かと思ったら「これ」と差し出されたのがこの手袋だった。作業着のお尻のポケットに突っ込んでいたので、落としたことに気づかなかったのである。
「ありがとうございます」
 よりによって氷川課長に拾われるなんて。。
 落とした自分を呪っていると、
「いや、気をつけて。入り口で消毒してあるから」と言い残し、さっさと行ってしまった。
 後ろ姿に頭を下げていると、パートのおばちゃん達が作業場手前の手洗い室に入ってきた。

「あら、それリーダーさんのだったの。」
おばちゃんの1人が私の手袋を指さして言う。
「あ、はい。さっき氷川さんから貰って」
「よくわかったわねえ!それ拾ったの私なのよ」
 …??? 話しが見えてこない。
「あんた駄目よ。名前くらい書かなきゃ」と言われて、ようやく意味がわかった。そうだ、名前書いてなかった。。。
「私が拾って、見たことあるんだけど誰のだったかな、ってみんなに見せて話してたの。そしたら課長がひったくって行っちゃったから、何事かと思ったわよ」
…氷川課長からは、「これ誰の?」と質問されていない。一直線に私のところに来たのだ。

 私が落とした手袋は冷凍食品を扱うため、冷たさによる霜焼けを防ぐための保護用だ。ビニール手袋の下にはめる薄い綿の手袋で、透けて見えはするが個人の使っているものまで憶えていられるものなのか…? みんな大体白い手袋で、私が使っているものも無個性なみんなと同じ真っ白い手袋だった。違いがあるとするならば、手首のところにピンクのラインが一本入っているくらいだ。
 私は氷川課長の洞察力と記憶力に、この時若干感心と恐怖を覚えたのだった。


 9月間近になり、繁忙期の準備に取り掛かっている雰囲気が漂っていた。見たことのない作業が増え、実験的に毎日色んな作業を割り振られる。私は日替わりのような仕事をその時その時で覚え、何とか迷惑をかけないように、トラブルが起きても自分が対処できるように、ととにかく必死だった。


 その中で、ある日の朝、おばちゃんたちの中に緊張が走っている日があった。メンバーもその雰囲気に圧倒され、私に思わず「今日何かあるんですか?」と何人も聞いてきた。
 私は実は理由を知っていた。
 その日は団子の餡つけの仕事を、私たち咲華のチームに任せると氷川課長が指示を出していたからである。実は前日、

「明日のあんこつけってさ、実は作業の中で1番難しいって言われているんだよね」
 と辻元係長が帰り際に、突然声をかけてきたのだ。難しい作業であることは私も知っていたので、思わず耳を疑った。
 当然今まで任されたことはなく、パートのおばちゃんが同じ作業場内で従事しているところを、通りがかりに見ることはあった。何年も勤めているおばちゃん達でも、
「つけ過ぎだよ!」とか、「こんな汚ないの返品になったらどうすんの!」と
 作業中喧嘩になることがあるくらい、難しくて仕上がりにこだわりがある人が多い作業なのである。私は思わず係長にくってかかった。
 もちろんうちに任せてください!と自信を持って言えるようになりたい。しかし、今の技術ではまたもやおばちゃん達に馬鹿にされたり、陰口言われるのが目に見えているからである。

「うちのメンバーの技術では、かなり難しいです!情けないことを言ってるのはわかってますが… どうして任せてもらうことになったんでしょうか?」
 係長の次の言葉に、私は耳を疑った。
「水原さんが器用だから、なんとかなるってさ」
…え? 言っている意味がよく、わからなかった。


 混乱しながらも、おばちゃんに促されるまま団子つけの配置につく。
「今日私達がやるんですか?!」
 50歳のおばちゃんメンバーが、不安で思わず口走る。彼女は前任時からここに通っている我がチームの初期メンバーだ。作業の種類と難易度は彼女の方がよくわかっているだろう。彼女の声からは、悲痛とも言える叫びの色が混じっていた。分かる。私はもっと怖い。

 周りで作業の準備をしているおばちゃん達の中にも緊張感が漂っていた。考えてみれば、我々が商品として出せるものをちゃんと作れるかどうかさえわからない。廃棄になってやり直しになった場合、代わりに作業に入るのは彼女達だろう。機械は一定のペースでしか商品を作り出すことしかできない。つまり、我々が失敗した時間の分だけ彼女達の残業時間が増えるのだ。
 メンバーには、そこまでの事情までは伝えることなんてできない。プレッシャーに耐えきれず、チームを抜けてしまう可能性すらあるからだ。決まった人数を揃えることが1番の守らなければいけない“ルール”である弊社にとって、欠員を作るような可能性のある難しい作業は、出来れば配慮して断りたいところなのである。


「難しいのはわかってると思うけどね、誰だって初めての日があるんだから、やるしかないんだよ。言われた仕事が出来ないんじゃ、きている意味がないでしょう」
 おばちゃんの鋭い発言に、思わず手先が冷える思いである。しかし、その通り。おばちゃんは何も間違っていない。
 ーーーーここが正念場だよ。
 みんなに心の中で話しかける。
 もちろん、私も


 機械が動き出し、私は作業台の先頭に立たせられた。先頭は、作業のペースを作るいわばペースメーカー的な役割だ。緊張しながらも、目の前の配置に誰も立っていないことに不安を感じる。メンバーの顔を見れば、余計緊張が伝播して体が強張るのを感じた。

 出てきた団子のグラム数が規定に合わないらしく、出しては計り止め、調整し、を繰り返している。
 その様子を先頭の配置から見ていると、作業場の奥から氷川課長が足早にこちらに向かってくるのが見える。 うわ、こっちくる…
 違う緊張が自分の中に走っている。
 作業をチェックするつもりなのかもしれない。そうなると、ますますヤバい。余計手が動かなくなりそうーーーー

 氷川課長の動きを視界の端で追ってしまう。作業場出入り口のそばへ行ったので出て行くのかと思ったら、手袋を新しいものに交換しているようだ。手袋は配置の仕事が切り替えるたびに、交換しなければならない決まりだ。
 ーーーーということは、そんな、まさか。


 予想通り、氷川課長は唯一空いていた私の目の前の配置に滑り込んできた。始めて至近距離で、真っ正面で彼と向かい合った。
ーーーーー嘘でしょーーーーー
 
 宜しくお願いします、と声をかけようかどうしようか迷っている合間もなく、調整が整い団子が流れてくる。メンバーの不安そうな声が背中から漏れ聞こえてきた。この先頭の配置では、みんなの作業の様子が全く見ることができない。今更私はここにきて、マズイ。と思った。

「課長、ここからじゃ皆んなの様子が分かりません」
気づくと私は、氷川課長に訴えていた。
「パートさん達を周りにつけてるから大丈夫。さすがに水原さんも、今日の作業は一定時間集中して覚えないと難しいと思うよ。水原さんは俺のやり方を見ながら真似してとってみて。コツはやりながら伝える」

 課長の言葉を聞き終えたかどうかのタイミングで、私たちの真横に団子がベルトコンベアーで流れてきていた。急いで団子を手に取り、目の前の課長の手元を食い入るように見つめる。


ーーーーー早い!おばちゃん達の比ではない。そして無駄な動きがなく、仕上がりがめちゃくちゃ綺麗だ。
 見るのとやるのでは大違い。あんこが重たくて団子が柔らかいため、気を抜くとあんこの重たい海の中に団子が外れて潜ってしまう。そうなると救出不可能だ。団子が少なくなってしまった串も勿体無いが使えなくなってしまう。
 背中からはメンバーからの「うまくできないー!」「水原さーん!早いよう」と悲痛の叫びが聞こえてくる。周りのおばさん達からも、やっぱりね、という空気の中、仕事をなんとか成り立たせるためにコツを必死に教えてくれている。
ーーーーせめてもう少しゆっくりのペースで作業させてあげられたら。
 うちのチームは、技術職ということもあり事業所の中で1番手先が器用な人たちを集めて連れてきている。彼らに出来なかったら、うちの事業所では誰もこんな仕事出来る人はいないのである。
ーーーーーもう少し余裕を持って作業させてあげられたら、彼らだって絶対できる!

 私は作業しながら、しばらくそんな事を頭の片隅で考えていた。すると、


「水原さん、すごいな」
氷川課長から「水原さん」というワードが飛び出して、ビックリして思わず彼の顔を見た。かなり私自信、一定時間集中して作業していたらしい。氷川課長の手元を見るのも今は辞めていた。

「俺長年やってるけど、2本同時にあんこつけてる人って初めて見たよ」
 見ると、いつの間にか私は両手に団子を握ってあんこつけしていたのだ。一体いつからこうしていたんだろう。でも感覚として、かなり一定時間このやり方をしていた気がする。
後ろに立っていたパートさんから、
「何勝手なことしてるの。一本だって難しいのに、2本同時になんて雑になるでしょう」
と怒られてしまった。しかし、

「いや、俺目の前でしばらく見てたけど、綺麗につけられてるよ。初めてにしては有り得ないくらい早いから、面白くってしばらく放っといちゃった」

 おばちゃんが「でも駄目よ!」とむきになって怒っている声が背中から聞こえる。
「本当器用だよ」
と氷川課長が私に対して声をかけた。
私は必死なのと、今まで声もかけられなかったのに急に褒められている展開に理解が追いつかず、正直この時どんな反応を自分がしたかも覚えていなかった。
「すみません」とかろうじて言った気がする。


 この日はやたらと目の前で器用だ器用だと褒めちぎられ、とにかく反応に困りただただ黙々と手を動かし続けていた。いつの間にか利用者様への配慮も心配も忘れ、ただただ早く今日の日の仕事を終えたかった。


 今思えば、彼に対する特別な感情はこの辺りから始まっていたのかもしれない。
 そもそも彼の顔を真正面から見た時の、目元の印象を未だに忘れることができない。
 もっと冷たい人かと思っていた彼の目元は、まるで初めてのことに挑戦する我が子を見守るような暖かさがあったからだ。
 
 初めて“ちゃんと”彼に会った。
 そんな感覚を憶えていた。

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