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頑張ったけど、"頑張った"と思ってしまった。

高校3年生、部活動最後の試合に負けた時、俺は「やっと終わった」と思った。


あなたは「ハイキュー‼︎」をご存知だろうか?
4シーズンもアニメ化されている、大人気のバレー漫画だ。

あらすじ(?)

身長僅か164.2cm且つ技術不足でありながら、抜群の身体能力で攻撃的なプレーを生み出す主人公・日向翔陽(画像中央)と、
機械のように精密な技術を持つ一方、独りよがりで"コート上の王様"と呼ばれるセッター・影山飛雄(日向の右後ろ)のコンビが属する烏野高校バレー部が、
仲間と共に全国優勝を狙う物語である。

先に言っておくが私はアニメしか観てないので、原作のネタバレは勘弁してください。
ほんとマジで。

んで、
あらすじ的にはまあよくあるスポ根漫画なのだが
なんと言ってもこの作品、人間の熱量の描き方が異様に上手い。
やり直しのきかない3年間という短い時間の中で、
天才と呼ばれる選手、惜しくも才能に恵まれなかった選手、選手の背中を押す人達、
それぞれの立場の”本気”に心が震える作品になっている。

毎話涙が出てくるほどこの作品が大好きなのだが、
観ていていつも思うことがある。

俺はこんなにバスケを好きじゃなかった。


努力とも言えるし、惰性とも言える


私は小学校から高校まで、9年間バスケをしていた。
最初にバスケに触れたのは小学3年生の秋。
4年生になったら部活をはじめるみんなよりも一歩早く、クラブチームでバスケを始めた。

矛盾するようだが、私はちゃんとバスケを楽しいと思える。
でないと9年も続かない。
今でもたまにバスケをしたいと思う。

情けないことに、最初はナヨナヨした引っ込み思案な私を見かねた親に、無理やりクラブチームにぶち込まれたことがバスケに触れるきっかけだった。
空手かバスケかの2択で、武道は死んでもしたくなかったから断腸の思いでバスケを選んだ。
最初の練習に向かう車の中で大泣きしながら、目を真っ赤にして練習に行ったのを今でも覚えている。

それほど嫌でしょうがなかったが、まあ通っていれば次第に技術も身についてくるもので、いつの間にか苦ではなくなっていた。
いつ頃から通うのに抵抗が無くなったかは覚えていない。

はじめはまだ週に1回、2時間だけの練習だったのだが、
その中の精鋭(?)的な、月曜日以外毎日夜9時まで練習する部隊に入ってしまった(別に選抜された訳ではない)。
それだけ練習していれば当然チームとして強くなるので、全国に駒を進めるような実力のある名チームだった。

そんな強いチームでさして才能があった訳でも無いので当然スターティングメンバーにはなれず、
それでも週に6回の練習というのは小学生にはなかなかにハードで、
学校の部活動とも並行してやっていたので(実際はクラブチームを言い訳に4年生の間はかなりサボっていたが)
かなりバスケづくしの学校生活だった。

それほどまでに打ち込んだことであるので、中学に上がってもバスケ部に入ったし、高校でもバスケを続けた。

そう、バスケが好きだからバスケ部に入ったのではなく、
今までバスケ部だったからバスケ部に入ったのだ。

そんなこんなで高校でも人並み以上くらいにはバスケを頑張りながら、人並み以上くらいには嬉しい思いも悔しい思いもした。
しかし、それだけ心血注いだことであっても、最後の試合が終わったときに残ったのは、悔しさや達成感以上に「やっと終わった」という開放感と安堵だった。

ハイキュー!!の話がしたいんだった


で、先日ハイキュー!!を観たわけだ。
日向は弱小中学校出身でバレーが出来る人数すら満足に集まらず、最後の大会では他部活から助っ人を集めて出場。
当然初戦でボロ負けするわけだが(対戦相手は影山率いる強豪校)、
そんな日向にとっては、毎日人数が揃ってバレー出来るだけで贅沢。
「バレーが好き」という気持ち一本で居並ぶ強豪たちに立ち向かっていく。

そんな姿を観て、高校時代の自分と重ね熱くなるわけだが、
ひとつだけ、「好き」の大きさだけが圧倒的に自分と違う。

話が前後するが、やはり自分のバスケは受動的だったと思う。
中・高と二度選択の余地はあったが、もったいなさと、親が悲しむなの気持ちでバスケを続けることを選んだ。
出来ることなら毎日怒られながらバスケなんてやりたくなかった。

自分にとっての”頑張った”は、強くなるため、勝ち進むため、もっと”良い”バスケをするための努力ではなく、
逃げなかった、耐え抜いたの”頑張った”だった。
最後の試合が終わった後に残ったのは、悔しさではなく、終わったこと、もう耐えなくていいことへの安堵だった。”頑張った”と思ってしまった。

しかし、日向や影山にとっての努力は違う。
そもそも”頑張った”なんて本人たちは思っていない。
強くなるための練習は、好きなバレーをもっと好きなようにやるための経路に過ぎない。

私も人の努力に貴賤は無いと思ってはいるが、どうしてもその本気の「好き」に胸を打たれると同時に、
あまりにも眩しく、羨ましいと感じる。
自分もこう出来ていたら、と思わずにはいられないのだ。

人生の精算

今、私はバスケから一転、よさこいをしている。
2013年の大学入学から続けているけっこう長続きの趣味だ。
はじめはこちらも成り行きで始めた趣味だったが、なんだかいつの間にか情熱を持って、社会人になっても本気で取り組むようになっていた。
どうやら自分は自己表現が好きらしい。

そしてこの本気は、きっと本当の本気だ。

はじめは踊ることが好きだと思った。
次によさこいが好きだと思った。
いつの間にか仲間たちと踊ることが好きになっていた。
そして今は、この人と、この仲間たちと目指したい場所がある。

これだけ熱中できるているのは、元々の性分に合っているのもそうだが、
バスケに対する罪悪感のようなものが自分の中にあるからだと思う。

本当の意味で頑張れなかったあの頃。そして本気になれている今。
お金を費やし、家族との時間を費やし、逃げ出したい気持ちと常に戦いながら、実らない結果に何度も苛立ちながら。
それでも人生で初めて心からやりたいことに出会えた。これを道半ばに終わらせてしまったらきっと自分の人生に意味が無くなる。
そんな呪いにも似た重々しい情念が、ずっと自分の中に吹き溜まっている。

これはきっと自分の人生の精算なのだと思う。
「目標に向かって達成するまでやり遂げる」なんて月次な言葉だが、
それを出来た人間がどれほどいるものか。
これを頑張り切らずに、私はまだ死ねない。
これまでの自分の人生を肯定出来ない。

そんな情熱もつい先月、一歩どころかまるで刃が立たずにへし折られた。
今年は行けると思った。来年ではダメなんだと思った。
このメンバーでないと意味がない、このメンバーだからこそ見たい景色があるのだと。
それでも届かなかった。また来年にかけるしか無くなった。
そこに安堵は無かった。あったのは、まだ終われないというドス黒い、炎とも言えない何かだった。

まだ、来年に意味は見出だせない。
それでも、来年にまた来年の今をぶつけるしかない。
過去の自分のため、未来の自分のため、
そしてこの歩みをともに行く家族と仲間のため、
私はこの呪いを解かなければならないのだ。

BURNOUT SYNDROMES 『ヒカリアレ』

そんな戦いに挑むような、清濁併せ持つ情熱を表す一曲として、
ハイキュー‼︎の第3期OPがまさに自分にとってピッタリと当てはまる。

いつもここぞという時には、
”躰中の細胞に火を熾すように
目一杯に空気を吸い込”むのだ。

光あれ
行け 闇を滑走路にして 己の道を敬虔に駆けろ
光あれ
一寸先の絶望へ 二寸先の栄光を信じて


見て

うちのチーム、すんごいのでぜひ見てください。



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