叱れない教員の悩みと今の答え
教員の一人になってみて、やっぱり叱れないなぁと感じる場面がよくある。
そう感じるのは、怒鳴ってる先生の声が聞こえたとき、見たとき、淡々と注意する先生を見たとき、やめてもらいたい行動の声かけが受け入れてもらえないとき。などなど。
3つめはただ自分の課題なんだけれど。
怒るとか叱るとか、そもそもの言葉の意味から考えてみた。
怒ると叱るの違いはよくあげられている。
だから、怒りたくはないとずっと感じていた。
諭すは自分の考えにはなく、今まで自分がしていたのは注意することだったと思う。
そもそも怒りの沸点は高めで、怒りの感情を表に出すのは苦手だ。
もちろんイラッとすることはあるが、大抵のことは都合よく解釈して受け流してしまう。
例えば、委員会の仕事を何度注意してもやらない(忘れる)児童について、
ある先生は「あれだけ言ってるのに許せませんね」と言い、
私は「人間だから忘れるし、休憩時間は遊びたいよね」と心の中で思っていた。
だけど今の私は、教員の立場として無責任なんじゃないかとも思う。
代わりに叱ってくれる先生がいるから甘えてしまっている。
今はたかが委員会かもしれないけど、年齢が上がるにつれて与えられた役割に責任が伴うこともある。
それができるかどうかで信頼関係につながる可能性もある。
今はその土台作りなんじゃないだろうか。
それを伝えてあげないといけないんじゃないだろうか。
例えば飲食店で働いている頃だったら、仕事を雑にしたり役割をやらなかったりするスタッフがいたら腹が立った。
お店のためにスタッフのために(自分のためにも)そのスタッフに指摘する。
それは、スタッフを育てたい気持ちやお店を維持したい気持ち、大切にしている気持ちがあるから。
このことを飲食店を学校に、不真面目なスタッフを児童に置き換えたら、今の私では児童や学校に対する気持ちが欠けているということになるのではないか、そんな風に考えた。
そのあたりは自分がどこを目指してどうありたいかにもよるからもう一度考える機会を作ろう。
委員会の話に戻って、児童の行動を改善するためには怒る必要も怒鳴る必要もない。
怒りの感情が湧かないから指導につなげられないと思っていたけど、その行動が不適切であれば、その理由を説明して伝えればいいんじゃないか。
まずは“諭す”というのが今の答え。
ことの重大さを伝えるとか場面によっては口調を強く叱ることも必要で、使い分けられるようになるのがいいのかな。
叱れないと悩んでいたけど、無理に叱る必要はないんだろう。
この課題についてようやく自分なりにまとめ終えて、少しだけ気が楽になった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?