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不健全な社会と不健全な私

コロナ鬱にならない私は不健全なのだと思います。

いよいよもって何をすれば感染を防げるのか私にはわからないので、結局は家から出ないっていうのが正解なのだろうと思っています。そういう状況が実はやぶさかではない。家にいるのも好きだし、外食は結構するほうだったけど、最近は糖質offな生活をしているので家で食べる方が調整しやすいし、何より人と会わないことの気楽さがあるから。気に入った靴が履けないとか新しい服を買えないし買っても着て出かけられないとかは寂しいけど。

コロナ禍で大学生や専門学校生なんかは学校に通うこともなく2年目に突入し、コロナのせいで仕事がなくなった人や、在宅勤務でストレスが溜まっている人や、危険な状況でも通勤しなきゃいけない人なんかもいて、みんながいつもの生活に戻りたいって思っていると思います。

私はというと、フリーランスで仕事もらっていますが、やろうと思えばフル在宅勤務も可能な仕事で年間で受注するので年の途中で解雇されることはほぼない、しかも仕事自体もこういった不況に左右されないという幸せな環境におります。そして、在宅が全く苦ではないので、下手すると「明日は出勤か。面倒だな」くらいのスタンスで外界と向き合っております。

元の生活に戻れる気がしない。

毎日働いてはいるけど、週の半分は在宅で、出勤しても半日くらいで帰ってきて家で仕事しています。毎日会社に行ける気がしない。不思議と人間関係はたまに会ってコロナの悪口言ってたら円滑に進んでいる気もしちゃう。

私はおそらく不健全な人間なのだろうと思います。社会不適合者なのでしょう。周りはそこまで思っていないかもしれないけど、私のことを「不愛想な人」とか「おとなしい人」とか「人づきあいが苦手」くらいには思っているんじゃないかな。それはすべて正しい。けど、私はその性質を変えようと思っていない。人と良い関係を築けないことで「残念だな」とは思うけど、どうにかしなきゃと思えない。「この人とも、仲良くなれないんだな」って思って終わってしまうのです。だからコロナがもたらした生活は私にとってはちょうど良いのです。ちょうど良い人との関わり、外界との関わり。家にこもったり人と会っていないのは私だけではないので、私の人と関わりたくなくて関わっていないという事実が目立たなくていい。

今の社会は、決して健全な社会ではないけど、不健全な社会だから不健全な私が悪目立ちせずに生きられる。多分、この生活で死にたいと思ってしまうくらいメンタルにダメージを負っている人もいると思うけど、この生活だから生きられる人もいるように思う。とはいえ、不健全なことには変わりないので、以前のように自由に人間が移動出来て、人と会えてコミュニケーションをとれる社会が戻ればいいと思っています。

自分の生きづらさが軽減するからといって、社会が不健全でいいとは思っていないので。ただ、元の生活に戻れるという状態になったときに、きっと私は少し寂しい気持ちになるのだと思う。

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