俺の友達の友達の社長の、その親友の話。

去年の今頃はマンガが出て、毎日不眠不休が続く中でも前向きで、とても充実してた。

それが出版社立ち上げの第一作だったのだが、1年経ち、色んなことがあった。
人のせいにしたいことばかりだけど、結局信用情報に傷が付き、人の信頼がなくなったのは、俺だけだ。とにかく自分が悪い。

これが社長として名義を張るということ。それをわかっているようで、わかってなかったと思う。






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ちょっと日が経つが、先日の話。ケンカして2年ぐらい会ってなかった友人に、知人の結婚式で再会した。

彼は不思議な友達で、ちゃんとした大学から超一流企業に入って、とにかくエリート街道を突き進んでいる。
謎の雑草魂で這いつくばる俺とまったく真逆の存在。


だが小さい頃からずーっとお互いを高め合ってきた仲だった。




仲違いの原因はとても小さいことだった。仲直りのキッカケが無かっただけで、何の問題もない。

そんな彼が2次会3次会と酒が進むにつれて、すごく怒りはじめた。








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気がつくと我々のテーブルはポツンと取り残されている。
邪魔するものはなく、久々にゆっくりと話が出来たのだが、温厚な彼が俺に対してガラにもなく声を荒げてくる。



その怒りの対象は俺ではなく、俺の周りに向けられていた。







コイツすげえな…
同時に、俺は彼を改めて尊敬した。






怒りの内容は、普段俺が思い抱いているコトを代弁したかのような内容だった。的確だった。



「龍也は人が良いからさ」
「わかっててやってるのもわかってるけど」
「資本主義ってそういうことだから!」




デリケートな話も多く、細かい内容は割愛するが、指摘はかなり的を得ていた。近くにいたってこの核心に迫れている人はいない。

俺の性格もよくわかってくれているような気がした。







この2年、SNSや人伝いで俺の活躍(?)は彼にも届いていたのだろう。

それを陰ながら応援してくれた反面、サラリーマンながらMBAもサクッと取っちゃうことになる彼だから、伝播する情報からアレコレ汲み取ったのかもしれない。俺が外に出していないようなことも、知ってるかのように見抜かれていた。




もちろん情報は不足してるので「それは違くてさ」と、弁明というか補足をすることも多いのだが、時に孫正義、時に田中角栄の言葉を借りながら、彼の説法は続く。




「友達だからいうけど、このままじゃお前マジで幸せになれねえよ!」

何回言うねん、とツッコんでしまうほど、酔った彼は何度も俺の幸せを憂えていた。そして怒っていた。



不思議な気持ちになったのは、怒りの対象が俺ではなかったことだった。


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彼に会ってない2年は、俺が社長になった2年とほぼ重なる。

社長になるということは責任を負うということで、全ての事象は自分に降りかかってくる。


そんなことは、サッカーばかりやっていた時からわかっていたつもりだった。結果が出ないのは監督やチームメイトのせいではなく、全て自分が悪い。自分に矢印を向ける。

パスが来ないのは自分のポジションが悪くて、ポジションが悪くないならコミュニケーションが取れてないのが悪くて、コミュニケーションが取れてるのなら……


そう思ってやってたから、「社長ってのは全部自分のせいなんだよ」と色んな先輩に言われても


「ですよね!わかりますわかります!そうですよね!そう心得ております!」って感じだった。




確かに俺はそれなりにわかっていて、考え方の方向性は正しかったのだが、諸先輩方が言ってた"責任"は自分の想像を超えていて、思っているよりも責任は大量に降りかかってきた。




「部下のミスは社長である自分の責任」みたいなことは十分腹を括っていた。

のだけれど、うちの玄関をノックする責任クン達の地元は全国津々浦々にあり、多岐から俺を訪ねてやってきた。
下からではなく、上からも、横からも、ひょんなところからも顔を出してくる。




世の中って責任のなすりつけあいだな。と、缶コーヒー飲みながらため息をついたことは、何度あっただろうか。

子どもの頃、ジョージアやボスのCMを見て「飲むならもっと美味そうに飲めよ」と思っていたが、正しいのはジョージアやボスのCMだった。





俺は社長だけど、皇帝でも大統領でもない。社会の中で「下の人間」になることは無数にある。

自分が謝るやつなのコレ?と思いながら謝ることもあるし、謝るんじゃなくて突っぱねることが必要だと思って選んだ時もある。


相手が誰であろうと、部下を守ってあげないといけない時だってある。そう思ってたって、部下は守ってくれないし、部下だけでなく誰も俺を守ってくれない。

守られたいわけではない。「守ってやるよ」があるなら、それは駆け引きがある。パパ活で金もらう女は、臭いおっさんに抱かれないといけない。



責任だけじゃない。お金、恩、感謝、感情…



いろいろなものが飛び交うこの社会だが、出来ることなら、守られるより自分が損した方が良いかなと思うし、とにかく全ての森羅万象が自分に跳ね返ってくる。





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と思って、2年。

2年って結構長い。俺の処理能力が10だとしたら、30000ぐらいが毎日降り注がれてきた。

処理できなかった29990は俺をどう見てるんだろう。

仕事できないやつ、人を使えないやつ、裏切るやつ、かわいそう、シカト、無視、死ね、色んなものが通り過ぎていってる。


次の日、俺はレベルアップして10.05ぐらい処理できるようになっている。成長した。再び30000がやってくる。処理できなかった29989.95は俺をどう見るのだろうか。






どれもこれも俺が悪い。処理できないのも、処理せざるを得ない状況も、全て自分が悪い。とにかく悪いのは俺。


白い封筒、茶色い封筒、黄色い封筒、赤い封筒、郵便局員と共にやってくる封筒、あえて手書きの文字を添えられてる封筒、知ってる番号、知らない番号、登録してないSMS、語気の強いメール、連打されるLINE、Twitterのリプライ、インスタのDM、FBの投稿、みんなみんな俺が悪い、責任を果たせと言ってくる。






一方、がんばれ!と言ってくれる友人がいる。

こうやって乗り切ったよと教えてくれる友人がいる。

何も言わず見守ってくれてる友人もいる。




死ななきゃ何でもいいよ!と言ってくれる友人は結構助けになっている。


生きてりゃいいのね?!知らないよ?でもまあ、そんなに言うならそれでやりますハイハイ。と思えるのも有り難い。



そうやって心のバランスが保たれていた中、冒頭の友人である。

彼は、頑張れでも見守るでもなく、俺に怒るでもなく、俺の周りに対して怒っていた。











斬新だった。


確かに、2年近く不仲だったわけで、久々の仲直りタイムですから、「お前の敵は俺の敵」理論でドンチャンしてくれた方が距離は縮む。

ここでガチ説教でもされたら、俺もキレて、いよいよ絶交となるかもしれない。
それに実際に、彼が一緒になって誰かに抗議してくれたわけではない。

むしろ、そんなことより俺が払った帰りのタクシー代、早く返してくれ的な話もある。笑



それでもこの2年近く、誰も、俺の周りに怒りの感情を出してくれる人はいなかった。



「俺がヒトコト言ってやるよ!」と酔っ払いながら言ってた人はチョロチョロいたけど、まあそれって一緒にコントやってるに近い感じだ。
マジっすか!?あざす!かっけーっす!とりあえず乾杯しましょう!!!あはははは!!!!!…それで十分なのだ。


そういうのではなく、本当に「龍也をこんなんにしやがって!」的な感情だった。

てめえ、大して知らないくせに勝手に想像してベラベラ喋ってんじゃねえ、的な俺もいるにはいる。

し、お前が言うほど俺は落ちぶれてねえ!ってプライドも出てくるのだけど、それよりも嬉しい気持ちというか、我に帰るというか、不思議な気持ちになった。




「俺の気持ち考えてくれた!嬉しい!友達って最高だな!死ぬまで一緒にいようぜ!」で酔えるような状況でもないし、歳でもない。


それよりも、ただただ、なぜか彼の怒りのおかげで、今まで考えてなかったことを、ハッと考えるようになった。

自分がスーーーーっと幽体離脱して、俯瞰的な感覚になった。




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オチは特にない。

友達が大事だ、とかそういうアレでもない。劇的に状況も変わらない。言い訳したいわけではない。



自戒も込めておくと、やっぱり全ては自分が悪い。自分の責任だ。そこから逃げるつもりない。逃げたいけど。


人のせいにすることは何もない。この状況は全部自分が引き起こしてるから、自分でどうにかするしかない。



依然、ゴミのような毎日を送っている。

ただ、ゴミの下にいるのか、ゴミの中にいるのか…ひょっこり顔を出して、ゴミ山の上に立ったような気分ではある。

でも周りはゴミだ。明日もゴミだ。


処理能力は17ぐらいにはなったかな。



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丸山 龍也
サポートしていただいたお金は、未来に残るエンタメを研究する個人的研究費に当てられます。新しいスタイルのマンガや、サッカーをイノベーションしていきたいです。どうぞよろしくお願いいたします