朝井リョウ『生殖記』
『多様性の名の下に隠された傲慢を暴く』
【本作のテーマ】
マイノリティが社会に適応する形での多様性推進は、多数派の価値観を変えずに進められているため、不完全である。本当の多様性とは、少数派が適応を強いられることなく、そのまま尊重される社会を作ることである。
【感想•考察】
主人公の尚成は、同性愛者としての自分のアイデンティティと、社会が求める「生産性」や「成長」といった価値観の間で深い葛藤を抱えている。幼少期から自分の性指向を隠し、周囲に適応するために「擬態」を続けてきた。その結果、社会や共同体に対して共感を持てず、企業での成長や拡大にも関心を示さず、ただ淡々と日々を過ごしている。
物語の後半で尚成は颯という人物と出会う。颯は、自分のために積極的に社会と関わろうとする同性愛者であり、尚成とは対照的な生き方をしている。この出会いによって、尚成は自分の生き方や価値観を見つめ直す機会を得る。颯の影響を受け、尚成はこれまでの「擬態」から抜け出し、自分らしく生きることの大切さに気づき始める。
本作の面白いところは、語り手が主人公尚正の「生殖器」である点だ。この「生殖器」は、単なる器官として描かれるのではなく、人格を持ち、独自の視点で物語を進めていく。さらに、この「生殖器」はこれまでに多種多様な生物の生殖器に転生?しており、それぞれの生殖行動や繁殖戦略を基に、独特の哲学や視点を語る。
例えば、トリカヘチャタテやホンソメワケベラといった生物の生殖行動を比較しながら、人間の「生殖」に付随する社会的な意味や倫理観の偏りを批判的に描写する。この視点から、人間が生物としてもつ本能と、社会が作り上げた価値観の間にあるギャップを浮き彫りにしている。
【『正欲」との共通項】
映画化でヒットした『正欲』もまた、朝井リョウの作品である。『生殖記』と『正欲』はどちらも、“マイノリティが抱える孤独や、他者に理解されないことへの諦観”が描かれている。
『正欲』では、水が出ることに興奮を覚えるという性的嗜好を持つ主人公が、「この気持ちを他人に分かってもらえない」という孤独や諦観を抱えている。また『生殖記』でも、尚成が同性愛者として「自分を押し殺し、多数派に擬態して生きる」過程で、社会との隔たりを強く意識している。
両作品ともに、マイノリティが抱える「理解されない」という深い孤独感、そして、適応を求められる苦しさを描きながら、物語が展開する。そして、物語全体を通して、それらが単なる個人の問題ではなく、社会全体の価値観や構造に根差していることを浮き彫りにしている。諦観を起点としながらも、最終的には「その価値観自体を問い直す」姿勢が、両作品の共通点であり、朝井リョウのテーマ性の一貫性だと言える。
【『僕のヒーローアカデミア』トガヒミコの叫び】
「何一つ不自由なんかなかったくせに ルールに合ってただけのくせに!! 生きやすく産まれただけのくせに!!」(『僕のヒーローアカデミア』第392話)
『僕のヒーローアカデミア』にヴィラン(敵)として登場するトガヒミコは、吸血嗜好を伴う個性を持つが、それが「普通」の社会には受け入れられず、異常とされて排除される。トガヒミコは、「生きやすく生まれただけのくせに」というセリフからも分かるように、多数派が作るルールやその恩恵を受けている人々へ嫉妬を抱えている。
トガヒミコと尚成は、どちらも「社会の枠組みに適合しない者の苦しみ」を象徴するキャラクターであると言える。トガヒミコは反抗と破壊に、尚成は冷静な観察と再生に向かうという違いはあるものの、「理解されない孤独」と「社会への批判」というテーマで深く繋がっているように感じた。