孤独、性欲、
孤独というものがついてまわる人生だった。
その恐ろしい感情は、いつでも私の行動の動機となった。孤独でいないために誰かとのつながりを求めたし、孤独でいないために誰も手放さずに生きてきた。孤独という感情に、縛られる人生だった。
しかし、私は孤独を愛していないわけではない。孤独であることはとてもきれいで、とびきり大切なもののような気もした。誰かと一緒にいるときでも、孤独は私を襲ったし、私は孤独を愛していた。孤独に対する愛は、私の中でピンボールの自我のようなものだった。私自身の感情によって愛しているつもりで、それらは全て決まっていたことだった。私がヒトとして生まれたときにはもう既に、はじかれてボートの上に放たれたピンボールだった。
孤独でいたくない私が、そのためにつながりを求めたのはなぜだろう。孤独でいないために、関係を保とうとしたのはなぜだろう。誰かと一緒にいるときにも感じてしまう孤独に、私はどうするべきなのだろうか。誰かとの肉体的なつながりによって、満たされる孤独なのだろうか。それなら孤独を嫌う気持ちとは、すなわち性欲なのだろうか。ヒトとしての本能、子孫を残すために、私たちは孤独を嫌うのかもしれない。
雨の音が、激しさを増す。思考をかき乱す、100年に一度と言われるこの秋雨に、私の懸念は溶けていかない。