仮面ライダーの精神~50周年記念レジェンド3人の舞台挨拶備忘録~

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 2021年7月19日。丸の内TOEIにて行われた「KAMEN RIDER FILM ARCHIVE SPECIAL NIGHT」に参加した。仮面ライダー1号/本郷猛役の藤岡弘、さん、仮面ライダー2号/一文字隼人役の佐々木剛さん、仮面ライダーV3/風見志郎役の宮内洋さんのレジェンド3人が奇跡の集結。仮面ライダー50周年を祝う素晴らしいイベントであった。また、御三方のトークショーの後には、「仮面ライダー対ショッカー」「仮面ライダー対じごく大使」「仮面ライダーV3対デストロン怪人」の3本の映画が4Kリマスター版で上映された。

 会場にはたくさんのライダーファンが詰めかけていた。後にTwitter等で知ったが、特撮関係者の方々も多数来ていたようである。マスコミの方々も多かった。
 ファン層はやはりいわゆる往年のファンといった方々が多く見受けられ、ライダー50年という歴史を感じた。私は19歳であるが、ぱっと見た感じ私よりも年齢が低いファンの方はいなかったように思う。
 私はもちろんレジェンド3人のご活躍をリアルタイムでは見ていない。とはいえ、一特撮ファンとしては仮面ライダーのレジェンドに一度お会いしてみたい、その生の姿とお言葉を受けとりたいという思いから今回参加した。何より、御三方が揃われるということがかなり貴重であったので、行かないという選択肢はなかった。


 御三方を拝見して、その存在感の大きさに震えた。リアルタイムで応援していたファンの方々にとっては、かけがえのないヒーローの久しぶりの復活として映っていただろう。私にとっては遠い存在としてのレジェンドであり、極端な話、「トリプルライダーは実在したんだ…」というレベルである。だからこそ、お目にかかれたことが光栄である。そして、その大きな存在感を感じられたことが嬉しかったのである。

 藤岡さんは立ち姿がとても格好良く、今でも変わらず本郷猛であり続けているように感じた。テレビなどで見る重厚感のあるしゃべり方もそのままで、その言葉の一つ一つに藤岡さんの想いがこもっていた。
 佐々木さんは年を取られてはいるものの、そこには昭和ライダーの哀愁が漂っていた。ところどころで皮肉を交えた愛のあるトークに聞き入ってしまった。
 宮内さんはやはりヒロイックで飄々とした立ち居振る舞いだった。喋る回数は少ないものの、一言にユーモアがあり惹きつけられた。
 御三方とも個性を強く持っていらした。御三方とも健在でいらっしゃることが何より素晴らしいことである。


仮面ライダーの精神とは何なのか

 トークでは当時の思い出やライダー50周年への想いを話されていた。トークの詳しい内容はネットニュース等で確認していただきたい。ここではそのトークを通して、私なりに考えた仮面ライダーというヒーローの生き様について話したい。

 50年前の仮面ライダーの撮影は、文字通り命がけであった。佐々木さんも「落ちたら死ぬぞ、という指示が飛んでいたが、そんなところでやらなきゃいい」といった旨の発言をされていたように、本当に命がけだったようである。しかし、佐々木さんいわく「撮影当時死者は一人も出なかった」のである。死者が出てしまうと番組が終わってしまうのは当たり前であるが、それでも命がけの撮影を続けていたという事実に、演者とスタッフの並々ならぬ覚悟を感じる。良い作品をつくるために命を懸ける。それは決して「捨て身」というわけではない。もちろん「死ぬ気でやる」というのも違う。命がけで「生きる」、または「生かす」。私はそのような精神を感じた。この「生きる」「生かす」精神は、藤岡さんのバイク事故を2号ライダーの登場につなげた精神そのものではないだろうか。本郷猛を死んだことにせず生かした判断が、その後の変身ブームとダブルライダーの共演を生み出したことは言うまでもない。藤岡さんと本郷猛が生きていたから、佐々木さんと一文字隼人が二人を生かしたから、仮面ライダーが終わることはなかったのである。命を懸けながらも、仮面ライダーが生き続けられる理由はこの精神に由来するのであろう。
 そして、V3へと作品が移ってもその精神は変わらない。宮内さんのヒロイズムがまさに命がけの生還にあるからである。すなわち、宮内さんの「爆破好き」、「危ないところ好き」である。ヒーローのアクションを命がけで追い求めるそのエンターテインメント性、そこに内在するのは捨て身の精神ではない。危険なアクションを切り抜けて生還するという格好良さ、それが宮内さんの、V3のヒロイズムであり、ダブルライダーの精神をより派手な絵面で体現したのである。このV3の姿勢も、命がけで生きるという仮面ライダーの精神に他ならない。
 この精神論は、言うまでもなく作中の仮面ライダーという改造人間の精神論と同じである。仮面ライダーは改造人間になった時点で戦いに命を懸けている(または懸けさせられている)のである。しかし、彼らはその命をショッカーのために懸けるのではなく、人間の自由と平和のために、人間が生きていくために懸けている。まさに命がけで生きている生きるために命を懸けているのである。
 命を懸けることはつらいことであり、恐ろしいことである。悲しみも伴う。それでも、希望をもって堂々と突き進んでいくのである。その強さが仮面ライダーというキャラクターから、さらに仮面ライダーを製作するキャストとスタッフから感じ取れる。これが仮面ライダーの精神であり、子供たちが熱狂した理由ではないだろうか。宇宙の神秘性をともなったウルトラマンや、協力や団結をテーマにしたスーパー戦隊にはない、仮面ライダーの持つ魂である。

 藤岡さんはトークの中で、繰り返してスタッフやスタントの大野剣友会の方々に感謝を述べていた。バイク事故を経験したからこそ、仮面ライダーを生かしてくれた方々への感謝が人一倍大きいのであろう。命を懸けるということの重さ、そしてそこには他人からの支えが不可欠であるということを感じた。
 宮内さんは「仮面ライダーは不滅です」とおっしゃった。まさに仮面ライダーは死なないのである。仮面ライダーの精神を端的に述べた一文である。

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レジェンドを体感して

 トークのあと、御三方の生の変身ポーズを拝見した。
 藤岡さんの変身には魂がこもっていた。50年の歴史の重みと感謝を込めた圧巻の変身であった。これを生で見られたことは一生の思い出である。
 佐々木さんの変身。「ショッカーの敵、そして人類の味方。お見せしよう!」の文言にしびれた。当時の一文字隼人が浮かび上がるような、衰えを感じさせない変身だった。
 宮内さんの変身。「おのれデストロン!」の一言がとてつもなく格好良い。スタイリッシュな変身ポーズと「Vスリャー!」の掛け声にほれぼれした。
 19歳でこのような表現を使うことは正しくないかもしれないが、童心に帰った気分になった。ヒーローを見る子供のキラキラした目になっていたはずである。

 時間はあっという間に過ぎてしまった。鈴木美潮さんの司会も素晴らしかった。進行台本を持っていなかったことに驚いた。あの方の特撮愛は尊敬する。

 こうして奇跡のような時間は終わった。仮面ライダーの神髄を見たような気がして、本当に来てよかった。


 その後、映画の上映。
 「レッツゴー‼ライダーキック」のイントロと同時に仮面ライダーという文字がスクリーンに大きく映し出された瞬間、自然と涙が浮かんだ。50年前、当時の子供たちが映画館で味わった興奮を味わうことができた。まるでタイムスリップしたように感じた。その感動に涙が流れてきたのである。
 3本ともとてもきれいな画質で復刻されていた。現代の技術力の高さを実感した。それと同時に、スクリーンの中に映るアナログな風景が味わい深い。危険なスタントや大迫力の爆破が多く登場して、御三方のトークを踏まえてそれらを鑑賞すると、本当に誇張なく命がけだったのだなと思った。口で言うのは簡単だが、すさまじいことである。


 こうして興奮冷めやらぬまま上映は終わり、劇場を後にした。19歳の特撮ファンは、また一つ歴史を体感した。


 仮面ライダー50周年、改めておめでとうございます。レジェンド3人がご健在なことが本当に嬉しいです。仮面ライダーは命がけ、しかし永遠に不滅。これからも仮面ライダーにたくさんの勇気と感動をいただいて生きていこうと思います。これからも応援しています!



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