【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第12話 隠忍自重編(1)
【ユース育成合宿】
全日本のセコンドでもお世話になったが、普段から懇意にしていた「うるま道場」責任者のY道先生。
当時からよく話していたが、離島の子どもたちのために「ユース育成合宿」を石垣島で開催しようという企画を練り続けていた。
そして遂に、それを実現する日がやってきた。
2020年2月の事である。
「うるま道場」「宮古道場」「石垣道場」の3道場で行われた初の石垣島合宿。
参加者は道場に寝泊まりし、食事は石垣道場の保護者が担当。予想通り、二泊三日の熱い合宿は大成功に終わった。
こうして大成功に終わった石垣島合宿。
別れ際、「これから毎年やりましょう」と固い握手を交わしたが、これがY道先生との最後の対面になるとは互いに知る由もなかった。
世界を揺るがせた、あのパンデミックが迫りくる直前の事である。
【オンライン稽古】
全日本大会から5ヵ月後、そして石垣島合宿から1ヵ月後、世界を震撼させるある出来事が起きた。
コロナである。
世界規模で一気に広まったこの感染症に、全く以て成す術のない人類。
生まれてから既に半世紀以上経っていたが、こんな事は初めてであった。
結局、職場からは自宅待機を命じられ、道場も泣く泣く閉鎖。
いきなり収入減が経たれる事態に陥ったが、そこで、行動力の権化であるフリムンのフリムンの真骨頂が発揮された。
道場を閉鎖し、国から補助金を貰いその場を凌ぐという選択を選ばず、当時ほぼ誰も手を付けていなかったオンライン稽古を早々に取り入れたのである。
最初は自宅で細々とやっていたが、一人なら道場でも何ら問題はない事に気付き、そこからZOOMを駆使して本格的なオンライン稽古開始。
空手だけに留まらず、フィジカルトレーニングや笑いのレクチャー等も取り入れ、惜し気もなく世界中に向け配信した。
これには、道場関係者だけでなく島外や海外の参加者も大絶賛。その内容は、普段中々やれないオンリーワンダフルな世界であった♡
オンライン稽古は自宅待機が解除になるまで続いた
こうして持ち前の機転を利かし、何とか難を逃れたフリムン。
コロナ期間中も道場生と共に日々精進を続けた。
しかし、その直後に彼の人生を根底から覆すような大事件が立て続けにぼっ発する。
それは、余りにも酷な出来事であった。
【永眠】
コロナ期間中、何の前触れもなく、突然フリムンの下に衝撃的な知らせが届いた。
今後も石垣合宿を続けて行きましょうと固い約束を交わしたY道先生が、末期癌に侵され余命幾許(いくばく)もないというのだ。
それを宮古道場責任者であるS地先生とのLINEグループで本人から明かされ、気が動転する2人。
当の本人が一番辛いはずなのに、それでも気丈に振舞うY道先生。
それは尊敬に値する胆力であったと、フリムンは当時を回顧する。
この衝撃の事実を知った石垣道場関係者は、何かやれる事はないかとスグサマ行動に打って出た。
道場生、保護者を問わず道場に集まり、本人が元気を取り戻せるようにと千羽鶴を折る事にしたが、これが良い事なのかどうかは誰も分からなかった。
ただ、何かしていなければ平常心を保てなかった事だけは確かである。
結局、医師により宣告された余命を超えることなく、37歳という若さで永眠。
惜しまれながら天へと召された。
37歳と言えばフリムンが、まだ高校生だったY道先生とウェイト制県大会で戦った年齢である。
本当にまだまだこれからという若さだ。
この天才空手家の余りにも早すぎる旅立ちに空手界は悲しみに包まれ、それは今も尚続いている。
ちなみにS地先生とのLINEグループは、きっとY道先生も見ているだろうと、今でも先島の情報交換用に使用し続けている。
そして現在、父M道先生の後を引き継いだY道先生亡き後の「うるま道場」は、愛弟子の金城姉妹の姉(M先生)が後を引き継ぎ、Y道チルドレン達と師の築いた城を守り続けている。
【連鎖】
そんな悲しみから時を待たず、今度は宮古道場責任者のS地先生が緊急入院するという報が届いた。
幸い命に別状はなかったものの、長期入院を余儀なくされるとの事。
その報を受けた石垣道場関係者は、気が動転しながらもY道先生の時と同じく直ぐに動き出した。
ちなみにS地先生は、初期の沖縄支部を支えた強豪選手で、天才空手家の走りでもあった。
同じ軽量級という事もあり、Y道先生も目標にしていたというその組手スタイルは、現在でも十分通用するフットワークを駆使したもの。
もし、当時「ウェイト制県大会」があれば、間違いなく軽量級チャンピオンとなり連覇を重ねていたであろう。
そんな無差別しかなかった当時、S地先生の戦績は県大会4位。
当時の軽量級ではダントツの最高成績である。
回復に向け、S地先生のリハビリも順調に進んでいた矢先の出来事であった。
LINEグループで最年長だったフリムンは、立て続けに起きる負の連鎖に、「もしかして?」と覚悟を決めていたが、その予感が的中。
今度はフリムン自身に負の連鎖が降り掛かった。
まだコロナ禍で、世界中に暗雲が立ち込めていた頃である。
仕事中に急にロレツが回らなくなり、異変を感じながら帰宅したフリムン。
それでも、いつものルーティンでGYMに行く支度を済ませ、自宅の階段を下りている途中での事だ。
そこで帰宅したカミさんとバッタリ遭遇。
事の次第を説明したところ、そのまま筋トレに行こうとするフリムンを制し、強引に病院に連れて行ってくれたカミさん。
案の定「脳梗塞」と診断され、そのまま緊急入院。
もし、カミさんに会わずそのままGYMに行っていれば、その後の彼の人生はどうなっていたか分からない。
更に数年前にも脳梗塞を発症していた形跡があり、2回目である事が発覚。全日本制覇後に訪れたあの倦怠感も、これが原因であった事が判明した。
ちなみに脳梗塞の場合、3回目は命にも関わるとの事で、空手の試合はもちろん、ハードなトレーニングも御法度。
現役も“即”引退するよう言い渡された。
これには流石のポジティブ芸人も意気消沈。
この瞬間、フリムンの世界制覇の夢は無残にも崩れ去った。
ちなみに入院中の道場は、道場生と保護者の協力により継続。
周りに迷惑を掛けたフリムンは心から反省し、今度こそ指導に専念しようと決意を新たにするのであった。
またしても医師の判断により引退を余儀なくされたフリムン。今度こそ復帰は有り得ないと、周囲も本人も現実を受け止めるしかなかった
フリムン53歳の時である。
次回予告
フリムン、ついに引退…!その瞳に映るものとは?
乞うご期待!!
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この記事を書いた人
田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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