八重山闘人祭|文:渡辺直由@石垣島|柔術家/歌手/海人の独り言
今回は今冬に新たなイベントとして立ち上げ、その後も定期開催を目指します石垣島の武道/格闘技の祭典《八重山闘人祭》について書きたいと思います。
頭に浮かんだ八重山の武道/格闘技の祭典のイメージ
私がこのイベントの構想を思いついたのは2015年、ある大会の後でした。
※もっとぼんやりとしたイメージはその前からあった。
その2015年の大会についてはまた後述するとして
石垣島ではかつて何度か大きな規模の格闘技大会が行われて来ました。
最初に先ず、ジャッジとしてですが関わらせていただいたのは
2011年のあの3/11のすぐ後に行われた前田日明さん主催の《TEPPEN》と言う大会名だったように記憶しておりますイベントでした。
※まだ移住前で東京から石垣へ避難中でした。
次が2015年
ボブ・サップの来島が話題になった《武勇伝》石垣島大会です。
それらの大会の内容詳細などはまたいつか書きたいと思いますが
今回はそれが話題のメインではないので簡単に触れますと
今までの石垣島のビッグイベントは
島外の有名選手やプロ選手の参加ありきの大会であって
島出身の参加選手はあくまで前座でした。
今まで地方で行われた格闘技イベントと言うのはおそらく全てそのような感じだと思いますので
そのことが悪いとかそんな風には全く思わなかったのですが
そこに何か小さな違和感のようなモノを感じていたのは確かでして
後に私はその違和感の正体に気付く事になります。
違和感の正体
私が2013年から海人になり
漕がせていただいた海神祭。
その地元の方々の熱狂ぶりには大変驚かされました。
老若男女、おじーおばーから若者までが声を枯らして血眼になって力の限り応援する姿…
それはまさに島人ぬ宝、島人みんなの魂が宿っていたのです。
誤解を恐れずに言えば
まだ石垣島の格闘技イベントにここまでの熱を感じた事はありません。
これは悪い意味ではありません。
文化も、その歴史の積み重ねも全然違うわけですからね。
石垣の人たちが大切にしているもの
石垣島の人たちは身近にあるものを本当に大切にします。
それがハーリーや豊年祭の熱に表れていると私は思います。
最初、内地の感覚しかない私は
海神祭をネットで検索してみて
「な〜んだ、あんまり関連投稿も無いし盛り上がってないんだな」と勘違いしていました。
最近はちょっとわかりませんが
数年前までは盛り上がりの熱に対して
SNSなどの投稿の割合は非常に少なく
[SNS投稿が少ない=盛り上がってない]が判断基準だった私は
実際に参加してみてのその熱量の凄さに圧倒されまくりでして
改めて「ネット情報が全てではない」と言うことを思い知らされたのです。
で、逆に考えるとですね
八重山でイベントをやる時にSNSなどで話題になっている有名な選手を内地から呼んだとしても
費用対効果としてはあまり効果が期待出来ないのではないか?と考えるようになりました。
その辺が私の感じた違和感の正体だったんですね。
そして
それよりも海神祭のヒーローのように
八重山から始まった武道や格闘技の祭典を開いて、そこからハーリーの1番エークのようなスターを作りたいというアイデアが頭に浮かんだのです。
最初はぼんやりとしたイメージでしたが
それは前述したボブ・サップの《武勇伝/石垣島大会》後に更に明確になりました。
八重山闘人祭のイメージ
八重山闘人祭のイメージは
こちらで頑張っている武道/格闘技の色々な流派や団体、道場/ジムなどが一堂に会するイベントで
そこに序列や上下は無いのですが
それでもやはり八重山発祥のものやオリジナリティのあるものはメインに持って来たいと考えています。
※空手、柔道、MMA、キックボクシング、柔術なども参加予定です。
そのメイン候補はやはり八重山角力(相撲)です。
そして八重山の空手の先生方が考えたという新ルールがありまして
これを初めてお披露目するのが第一回八重山闘人祭になる予定です。
私はあくまで発案者であり
実行委員長や会長、理事などは島の先輩に務めていただきますので
そちらの発表なども楽しみにお待ちください。
夢は海神祭や豊年祭に並ぶようなお祭りです。
※あくまで“夢は大きく”という意味での夢の話ですのですから、お気を悪くなさらないでください。
いつの日か八重山に冬を告げる風物詩となるようなイベントを目指して
実行委員会のメンバー全員
力を合わせて頑張りますので
応援よろしくお願い致します。
役職やイベント詳細はまた追ってご報告させていただきます。
この記事を書いた人
渡辺直由(柔術家/歌手/海人)
1975年8月4日生まれ。東京都出身。19歳でメジャーレーベルから歌手デビュー。2004年に盟友早川光由と共にトライフォース柔術を創設。柔術世界選手権や欧州選手権、プロの舞台でも活躍。2011年に現役を退き憧れの八重山に移住。電灯潜り漁師(現在休業中)を経て2022年6月に美崎町にカラオケ&弾き語りバー《アームバー》をOPEN。現在も代表としてトライフォース石垣島支部で柔術クラスを持ち、後進の育成に努めている。
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