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【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第11話 捲土重来編(5)

【痙攣祭り】

いよいよ始まった「特別昇段審査会」

基本稽古から移動稽古、補強、型を終えるのに丸3時間。その後の組手だけでも1時間以上を費やす過酷な審査である。

そんな最中、体に異変を感じたのは補強直前の移動稽古の時だ。

ただでさえ辛い「5本蹴り」を10往復するのだが、途中からハムと脹脛がパンパンとなり、徐々に足が上がらなくなっていった。

延々と続く5本蹴りで大苦戦

それでも気合で何とか乗り越えたが、続く補強で遂に肉体が悲鳴を上げた。

実は日頃からウエイトをしているという理由で余り力を入れていなかった補強。

時々気が向いた時に、拳立て100回、腹筋100回、スクワット100回でお茶を濁していたが、当日のメニューを聞いて愕然とした。

なんと拳立て50回、腹筋50回、スクワット50回、背筋50回を5セット。つまり、種目合計200回×5セット(トータル1000回)という経験した事のない数字であったのだ。

重いバーベルやダンベルを担ぐウエイトと違い、自重のみだが延々と続く補強は筋肉へのダメージが質的に別物。

あれをやったからこれが出来る。
これをやったからあれが出来る。

そういう事ではなく、結局やってない事はできないのだという事に改めて気付かされたフリムンであった。

これまた延々と続く補強

しかし、時既に遅し。

もはやフリムンの肉体は頭の先から爪先まで全身痙攣状態。

続く型の審査でも、騎馬立ちで攣り、前屈立ちで攣り、後屈立ちで攣り、最後は不動立ちでも攣るという地獄の痙攣オンパレード。

「何が全日本王者だ」と、自分の不甲斐なさに落ち込むフリムンであった。

型の最中も全身痙攣しっ放しのフリムン

こうして何とか連続組手を残すのみとなったが、この状態でどうやって40人組手を乗り越えれば良いのか?

頭を抱えながら組手審査に挑むフリムンであった。

しかし、組手になると急に水を得た魚の如く息を吹き返すのだから不思議だ。

これを乗り越えれば解放される。

そう思うだけで、急に元気が出てくるお調子者のフリムンであった。

最初から最後まで飛ばしまくるフリムン

この時の経験が、後の世界大会で活かされるとは思いも寄らなかったが、体の大きな海外の空手家にも、フリムンの攻撃はシッカリと効いていた。

それを知れただけでも大収穫である。

こうして何とか40人組手も完遂し、無事に山形から石垣島に戻ったフリムン。

八重山初の「極真空手四段」という手土産を胸に、新たなる空手道の追及に身を委ねる決意を固めたのであった。

長く辛い審査を終え、自然と笑みのこぼれる受審者
生涯の師である七戸師範と
地元誌でも大きく報じられた
道場生から昇段祝いで頂いた記念の二升瓶

【ひのえ馬有志会】

フリムンは言わずと知れた「丙午」生まれである。

同級生は丙午と未年の早生まれで構成され、他の年代に比べ全国的に少人数。

生徒数も1~2クラスほど少なかった。

ただ、この年代は結束力が強く、今でも先輩後輩が羨むような仲の良さを見せつけている。

フリムンが東京から戻った時には既に野球チームも存在し、忘年会なども出身校を問わず盛大に行っていた。

きっと、少ないからこその結束力なのだろう。

家族参加型のイベント等も毎年企画

当時はまだSNSが普及していなかった頃で、代わりに同級生の機関紙「ひのえ馬会」を毎月発行。

世界中の同級生に郵送するなど、その活動はワールドワイドに飛んでいた。

新聞の編集や印刷はフリムンが担当

現在も全国に支部を置き、行事の際は、声を掛ければ直ぐに動き出す素敵な仲間で溢れている。

そんな同級生が、夏になるとあるイベントに参加するため、全国から続々と島に終結する。

そのイベントとは、夏の風物詩「海神祭(ハーリー大会)」である。

散々な目に遭ったHNKのど自慢から半年後、未だ傷心中のフリムンもその海神祭に出場。

これは毎年行われている恒例行事だが、あの中学時代に恐れられていたN中とI中の卒業生メンバーで対抗戦を行うのが慣わしだ。

ただ、負けたチームには人としての尊厳を踏みにじられるような信じられない罰ゲームが待っている。

初期の頃は会場でそのままバリカンにより断髪式。丸坊主にされるという罰ゲームもあった。

これはもうイカゲームどころの話しではない(笑)

ちなみにフリムンはO中出身だが、何故か毎年N中ジラーして何気にメンバーに加わっている。

それについては誰からもクレームは無いし、何なら本当にN中出身だと信じている同級生もいるくらいだ(笑)

そんなN中だが、この頃はライバルのI中に連勝を許し、苦汁を舐めさせられっ放しであった。

しかし、この年はこれまでの雪辱を晴らそうと過去に類を見ないほどの盛り上がりを見せ、N中の気合は沸点に達していた。

更に、その年のフリムンは初孫の誕生でノリにノッており、様々な分野で負け知らず。

引退したまま出場したパワーの県民大会でも優勝しており、勝利の女神に微笑まれっ放しであった。

そして迎えた本番当日。

大方の予想を覆し、N中がライバルI中を撃破。

それどころか、そのまま「壮年の部」で優勝を飾ったのである。

(いやマジ勝利の女神ヤバッ)

激戦を制し初優勝を飾ったN中とN中ジラー(笑)

そんな同級生だが、ハーリー以外にも様々な取り組みを行い、今でもその絆を深め続けている。

フリムンにとって無くてはならない最高の仲間、それが「ひのえ馬有志会」なのだ♡

忘年会
ツーリング
バンド活動
毎年恒例のハーリー対決
敗戦チームの罰ゲーム
地元紙でも大々的に取り上げられた(笑)
合同生年祝賀会

早いもので、あの合同生年祝賀会から10年以上の月日が流れた。

2026年には還暦を迎え、石垣島で3回目の合同生年祝賀会が開催される。

世界中から同級生を集結させ、これまでで最高の祝賀会にしようと今から盛り上がっているところだ。

そんな、まだまだ元気一杯な同級生である♡

次回予告

フリムンの傷心と、帰ってきた〇〇…
乞うご期待!


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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。


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