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【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第9話 逆襲編(3)
新道場
この頃から、入門者が増加の一途を辿り、道場に入りきらなくなってきたため建て直すことを計画していたフリムン。
そのキッカケを作ってくださったのが、義叔父(ぎしゅくふ)に当たるAおじさんであった。
沖縄サミットで使用されたプレハブが安く販売されていたのを受け、Aおじさんが購入手続きをしてくださった。
そして、道場の建設工事を請け負ったのは、当時業界でその名を馳せていた義理のお父さんであった。
(写真は妻方の親族)
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こうしてフリムンの成長に呼吸を合わせるかのように、徐々に石垣道場は業界TOPに躍進。
八重山空手界を牽引していく事となる。
飛ぶ鳥を落とす勢いとは、正にこの事であった。
覚醒
時を同じくして、フリムンの長女も結果を残すようになっていった。
元々気が弱く、組手が大の苦手だった長女。
デビュー当初は試合が近づくと泣きじゃくり、試合が始まっても涙が止まらずボコボコにされていた長女。
それを見た親族より、「可哀想だからもう空手は辞めさせたら?」との声が上がっていたが、フリムンだけは彼女の持って生まれたスキルを見抜いていた。
「この子の実力はこんなもんじゃない」
「そのうち必ず結果出すから見とけっ」
と親族の声を突っぱねた。
そんなフリムンの厳しい指導を乗り越え、八重山大会でも常に初戦敗退だった長女が遂に県大会入賞を果たした。
このいきなりの入賞に親族は歓喜。遅ればせながら、フリムンの言っていた事を理解したのだった。
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再挑戦
師匠である父親よりも先に決勝進出を果たした長女。
これには嬉しい反面、してやられたとフリムンは奮起。
過度な減量により、軽量級では能力を発揮できないことを知ったフリムンは、階級を中量級に上げ、娘よりも先に“県大会制覇”を成し遂げようと稽古に打ち込んだ。
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そして迎えたウエイト制県大会。
予定通り決勝戦に駒を進めたフリムン。
初優勝まで後一歩のところまで迫っていた。
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しかし、善戦空しく結果は準優勝。
夢を掴むことは叶わなかった。
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「いったい何時になったら俺は一番になれるんだ?」
中量級でもダメなら重量級に戻そうかと頭を悩ませていたが、そんな父親を尻目に、更なる成長を見せた長女が遂に県大会初制覇を果たした。
石垣道場「女子部」初の快挙であった。
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こうして、共に県内トップ選手にまで上り詰めたフリムン親子。それを機に、道場生からも続々と入賞者が誕生。
石垣道場の名が、八重山はもちろん沖縄空手界にまで浸透し出した頃である。
こうして県大会制覇こそ娘に先を越されたフリムンであったが、彼は彼でその才能をフルに活用。
他の分野で登り龍の如く快進撃を見せ始めていた。
そう、当時極真空手の次に没頭していたパワーリフティング競技である。
技は力の中にあり
これは、極真空手創始者の大山倍達総裁が提唱した言葉で、世界と戦って来た総裁だからこそ言える名言である。
真剣勝負の世界では、小手先の技では事態を収拾できず、苦汁を飲まされることは多々ある。
かのフリムンも、体格では圧倒的に押されていても、筋トレで鍛えたパワーでそれを跳ね除けた経験や、外国人選手と戦った経験を踏まえ、その考えには心から賛同していた。
それに、ルールの無い路上の緊急事態においても、筋骨隆々の見た目で事を収める事は多々あった。
戦わずしてその場を収められるほど最良の護身は他に無い。
よって、肉体を極限まで鍛え抜き、見た目でも他を圧倒することは、武道家として至極大切なことだとフリムンは解釈していた。
こうして空手の選手としてだけでなく、求道者として肉体改造や超人追及にのめり込んでいったフリムン。
完全アウェイのこの世界でも、徐々にその名を轟かせていった。
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傍から見れば、輝かしい競技人生を送っているように見えなくもないが、中々「優勝」という二文字に到達できず悩みまくっていたフリムン。
空手もパワーも常に良いところまでは行くものの、結果はいつも2位か3位。どこか勝負弱さみたいなところが当時のフリムンには付いて回っていた。
そう、俗に言う「負け癖」というやつである。
いつも最後の最後で詰めの甘さが出るフリムン。しかし、それでも対戦相手はこの業界の専門家ばかり。
フリムンが空手の指導や稽古をしいている間も、他の選手はパワーリフティングのトレーニングに没頭しているのだから当然である。
一方フリムンは、仕事と道場の隙間時間を縫ってGYMに滞在できるのはせいぜい30分程度。その後は空手三昧で筋トレどころではなかった。
そんな環境の中で、専門家相手に大善戦と言っても過言ではなかったが、フリムンだけはそうは思わなかった。
極真を代表して戦いに臨んでいるのだから、負けても仕方がないなんて事にはならない。
専門家でないからこそ、勝ちに拘らなければいけないと思っていた。
ちなみに初出場した県民大会では、記録は優勝した選手と同重量であったが、体重が2,5kg重いという理由で、体重差により準優勝となった。
この悪夢の敗北癖は、その後も長きに渡り付きまとう事となる。そんな彼のパワー競技における「準優勝歴」は以下の通りである。
【1998年】第1回石垣島ベンチプレス大会準優勝
【1999年】第1回パワーウイング杯BP大会準優勝
【2000年】第2回パワーウイング杯BP大会準優勝
【2001年】第3回パワーウイング杯BP大会準優勝
【2004年】第55回県民大会82.5kg級準優勝
【2005年】第7回パワーウイング杯BP大会準優勝
【2006年】大会直前に頸椎を痛め現役引退
【2008年】2年間のリハビリを経て復帰
【2009年】第61回県民大会82.5kg級準優勝
次回予告
「極真空手」へのパーマネントな想い。
徐々に減少する〇〇…
乞うご期待!
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この記事を書いた人
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田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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