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【バトン連載】私の移住ストーリー vol.17|霜田弓子@石垣島
はじめに
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空海が開山した高野山のふもと九度山で生まれて、和歌山県の端っこ新宮で育ち、高校卒業後は東京に住んでいました。
上京する時「司書の資格が取れるって、あんた本好きやから良かったなぁ!」と言って母が送り出してくれたのですが、陸の孤島から上京した私は大都会に浮かれて、司書資格が取れる授業を取らず、心の片隅で両親に申し訳なく思いながら卒業しました。
卒業後は大手企業に就職しましたが、なんか違う…と思い早々に退職。そのあとは書店で働いたり、(公社)日本アロマ環境協会のアロマセラピストとアロマテラピーインストラクター資格を取って、フリーランスで助産院のセルフケアクラスやアロマクラフト作りの講師などをしていました。
そして、すっかり大人になっていろんな経験をした後、ずっと心に引っかかっていた司書資格を取るため、司書講習に通うことにしました。
この講習、約3ヶ月近く月~土の9:00→18:00、3日に1回試験またはレポート提出、1日でも休んだら資格取得は次年度に持ち越し…というハードさで、仲間たちと励まし合いながら無事に資格取得。
幼い頃から「自分のことは自分で決めなさい」という教育方針だった両親から何か言われたことはなかったけれど…やっと申し訳なさから開放されました。
その後、保育専門学校の図書館や世田谷区の公立中学校で学校司書として働いていました。
私が石垣島に移住した理由
ひとことで言うなら「八重山が好き過ぎて!」
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ある日、雑誌で見た夜の竹富島、オレンジ色の街灯に照らされた珊瑚の道と赤瓦の家があまりにも美しくて、「あ、この風景の中に私もいたい」と思ったのが、八重山病にかかった瞬間でした。そしてどんどん重症化していき、とうとう不治の病に…
東京で八重山古典民謡を習い始めて、日々稽古しているうちに、歌に出てくる場所をどうしても自分の目と体で確かめたくなり、八重山の島々に行くようになりました。
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コロナ禍の頃、私生活で精神的にしんどい時期があり、時々ひとりで八重山に来て癒されていました。羽田で乗った飛行機のドアが閉まると心底ホッとして、数日間島に滞在してなんとか心を立て直して日常に戻る、そんな日々がしばらく続きました。
問題を整理しつつ東京から離れることを決め「今がチャンス!」と移住を実現することにしました。
「石垣に移住したい」と言うと、ほとんどの人が冗談と思って大笑いするか、ものすごく心配するかのどちらかでしたが、私は本気だったので移住の準備がスタートしました。
移住するためにクリアしなければならなかったこと
シンプルに仕事と住居を見つけること、そして、就職のため自動車運転免許を取得すること。
仕事はハローワークインターネットサービスで求人情報を検索し応募しました。2つは司書業務、1つは某財団、もう1つは某ホテル。
某財団は面接後に選考から漏れ、某ホテルは二次面接の約束をしていましたが、教育委員会から勤務校決定の連絡が来たところで辞退しました。
3月25日まで世田谷区立某中学校に勤務、3月30日にスーツケース1つで石垣へ…。職場に近い民宿に泊まり、観光客の皆さんと一緒に朝ごはんを食べ、私は仕事へ…(笑)
数日後、知人から声をかけてもらい民宿からお引越し。ホッとしたのも束の間、ご家族がその家で仕事を始めたいということになり、あらためて家探し。
東京で借りている部屋の退去期限が迫る中、急ぎ内見した物件はベランダから海が見えて、その瞬間、この部屋に決めました。赤瓦の家が点在する景色も優しい人たちも、とても気に入って住み続けています。
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そうそう。東京で仕事をしながら通った自動車学校には結構苦労しましたが、今となってはいい思い出です。いや、正直に言うとパワハラだった教習指導員1名はいまだに思い出すたび腹が立ちます(笑)
移住してみて、今おもうこと
大好きな石垣で自立して暮らしていること、この島にいられることがとにかく幸せ。
私が八重山に惹かれたのは、景色や料理、音楽や踊りや言葉もそうですが、なにより八重山で出会う人たちが魅力的だったから。
島人も移住者も本当に興味深くおもしろい人が多くて、人が大好きな私にはたまりません。
これからもできるだけ長く石垣で暮らしていたいと思っています。
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次のバトンは…
移住後すぐからサバニの操船を習ったり、丸木舟を作るチームに入れてもらい、私の心のよりどころになっている吉田サバニ造船。
そこで出会った素敵なサッチーさんにバトンを渡したいと思います!
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この記事を書いた人
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霜田弓子
石垣市内で学校司書をしています。
八重山の島々はバラス島、幻の島(浜島)、カヤマ島も含めて、行ける島すべて行きました。八重山オタク。好きな言葉は「みしぅこーみしぅこー」。
一番の自慢は令和5年度とぅばらーま大会作詞の部で
優秀賞をもらったこと!
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