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【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第11話 捲土重来編(6)
【儚く散った連覇の夢】
そんな海神祭から3ヶ月後、昨年と同じく東京代々木で開催された、空手全日本無差別大会。
当然二連覇を狙っていたフリムンもエントリーし、それに備え猛稽古を積んでいた。
しかし、その頃から少しだけ体調が落ち込み、これまた少しだけ覇気が湧かなくなっていた。
「これ、もしかして燃え尽き症候群かな?」
そう思っても仕方のないほど、前年度のフリムンとはどこか違っていた。
これは後に知った事だが、この頃からフリムンの肉体には、少しずつ魔の手が差し迫っていたのだ。
そんな事とは露知らないフリムン。
いつものように気合で何とかなるだろうと高を括り、いつものように無理やり肉体を酷使し続けた。
そして迎えた全日本大会の前々日。
何と石垣島に暴風が接近し、大会前日には飛行機が欠航するという知らせが飛び込んできた。
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慌てたフリムンは、飛行機が飛ぶとされていた前々日の便に変更。
これに乗れば東京まで無事に着くと言われ一安心したが、彼の運の悪さはここでも遺憾なく発揮された。
何と一つ前の便は無事飛んだものの、彼の便から欠航が発表されたのである。
「ウッソーーーーーーーーーーーーーーーン」
こうして人間には如何ともし難い自然の驚異により、いとも簡単に二連覇の夢はアッサリと断たれたのであった。
それから1年後、あの泣くに泣けない悪夢を払拭するため、再び全日本の舞台に上るべく、予選の「全沖縄県ウエイト制大会」に臨んだフリムン。
しかし、先述した通り全日本を制した頃のフリムンに比べ、少しだけ覇気に欠けていた。
後で知った事だが、理由は燃え尽き症候群などではなく、軽い脳梗塞に見舞われていたのが原因であった。
よって常に倦怠感に襲われながら日々を過ごしていたが、単に稽古による疲れだと甘く考えていたフリムン。
これはもう極真空手家あるあるなのだが、毎日のように自らを追い込んでいるのだからそう思っても致し方ない。
ただ、知らぬが仏という言葉があるように、知らなかったからこそ続けて来られたのも事実。
そう思えば、それはそれで良かったのかも知れない。
ちなみにこの全日本大会の予選には、石垣道場から高校生を含め6名が出場し、何と全員が決勝戦へ進出。優勝4名、準優勝2名(共に決勝の相手は石垣道場生)を出す快挙を見せた。
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こうして県大会を制し、初めて全日本王者として迎えた「第50回全日本空手道選手権大会」
セコンドにはあの小さな巨人、Y道先生が付いてくれた。
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体調が悪いながらも、あれよあれよと決勝まで駒を進めたフリムン。
しかし、そこで待ち構えていたのは、当時壮年男子で絶対的な強さを誇っていたK藤先生であった。
K藤先生の肉体はウエイトなどで鍛えたような厚みはないものの、中国武術の練りや這などを駆使したかのような体感の強さが感じられ、過去に戦った日本人選手とは雲泥の攻撃力を持ち合わせていた。
決勝戦の太鼓が鳴るや否や、いきなり後ろ回し蹴りや踵落としを振ってくるK藤先生。そのスピードは目を見張るものがあり、避けるので精一杯。
更に突きの威力は壮年のレベルではなく、過去に戦った一般男子にも決して引けを取らない強さであった。
更に技のコンビネーションも自然で、開始早々に見事な足払いを決められ尻もちを付いてしまったフリムン。
余りの印象の悪さに「ヤバっ」と思わず口に出てしまったが、ここから挽回しなければ間違いなく本戦で敗れてしまう。
焦りながらも打ち合いに転じたものの、アッと言う間に本戦終了。
二度目の全日本王者への道はそこで断たれた。
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結果は準優勝に終わったが、それでも台風で飛べなかった昨年の全日本を考えれば収穫は十分。
無事に出場できて本当に良かったと胸を撫で下ろしたフリムンであった。
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こうして王者から没落したフリムンであったが、まだまだ気持ちは挑戦者。必ず返り咲いてやると心に誓った。
フリムン52歳の年である。
【帰ってきたエンジェル】
石垣島を離れて9ヵ月後、1歳になった孫のアンナさんが、タンカー祝いのため島に帰ってくる事となった。
ただそこに居るだけで、周りを幸せの渦に巻き込むアンナさんのLOVE POWERに、笑顔が止まらない親族の皆さん。
僅かな滞在期間ではあったが、その間フリムン家には幸せそうな笑い声が響き渡った。
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タンカー祝いの後、再び沖縄本島に戻って行ったアンナさんであったが、それから1年後に弟が誕生。
何とそれを機に、石垣島に完全移住する事となった。
それを聞いたジィジとバァバは歓喜。
あの地獄の日々から一転、毎日が薔薇色となったのは言うまでもない。
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孫一家の石垣島移住で俄然やる気の出たフリムン。
そんな最南端の空手フリムンの闘いは、まだ始まったばかりである。
次回予告
次回より新シリーズ「隠忍自重編」に突入。
乞うご期待!!
▼「フリムン伝説」の記事をまとめてみました!
この記事を書いた人
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田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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