【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第13話 最後の聖戦編(8)
【背水の陣】
遂にここまでやって来た。
後二つ勝てば夢の世界チャンピオンである。
しかし、準決勝の相手は南米王者であり、優勝候補No.1のリンコン選手だ。
簡単に勝てる相手ではない。
それを裏付けるように、フリムンの周囲では
「気を付けてください」
「蹴りがヤバいです」
「ガードに気を付けて」
と危機感を煽るような言葉が飛び交っていた。
それでも、フリムンの頭の中には「優勝」の一文字しかなかった。
後退のネジを取り外し、絶対に倒すと気を引き締め壇上に上がったフリムン。
これに勝たなければ、その時点で世界制覇の夢は断たれる。
開始早々、フリムンは30年分の思いを胸に、勢いよくレジェンドに飛び掛かった。
スタミナ配分などしている余裕はない。
ただでさえ右足は使えないし、それに加え、左足の肉離れが再発する可能性もある。
延長、延長を繰り返せば、その確率は更に高まる。
本戦決着…それが現時点での最善策であった。
リンコン選手の得意技は蹴りである。
上中下の回し蹴りは勿論のこと、後ろ回し蹴りや踵落としなどの大技をビュンビュン飛ばしてくる。
スピード、威力、タイミング、どれを取っても壮年部の域を遥かに超えていた。
身長差も10㎝はあるが、足の長さはそれ以上だ。
リンコン選手の蹴りの間合いでは、フリムンの攻撃はかすりもしない。
それにバックステップが速過ぎて、中途半端な運足では間合いを詰める事さえままならない。
フリムンは階段ダッシュで鍛えた猪突猛進力で、兎にも角にもガンガン前へ出た。
その鬼気迫る攻めにリンコン選手も溜まらず後退。
開始早々場外まで押し出すことに成功した。
しかし、フリムンの攻撃パターンを瞬時に見抜いたリンコン選手。
再開後、同じ戦法で右サイドに回り込みながら、蹴りに行こうとするフリムンの軸足を刈り、見事に転倒させて見せた。
「流石は南米王者…空手IQもかなり高い」
そう踏んだフリムンは、今度は同じく軸足を刈りに来たリンコン選手の先を読み、蹴りを躱しバランスを崩させ、再び場外近くまで追い込んで見せた。
これぞ空手IQ対決である。
その時である。蹴りにカウンターの突きを合わされるのを嫌い、 瞬時に突きの打ち合いに転じたリンコン選手。
不利になるや否や、直ぐに切り替えるその早さも一流であった。
そうして意識を中段に集め、加えて中段膝蹴りで更に意識を下げさせるリンコン選手。
得意の上段膝蹴りを狙っているのは見え見えであった。
その直後、続け様に上段膝蹴りが来るのは読めていたが、その読みを更に上回る膝蹴りが、ドンピシャのタイミングでフリムンの顎をクリーンヒットした。
「ガッコーーーーーン」
左膝が右顎を捉え、そのまま顔が反対方向へと持って行かれた。
その時、一瞬だけ顎が外れたが、反動で直ぐに元通り。正に“キャッチ・アンド・リリース”とはこの事である(笑)
幸い脳を揺らされる事はなかったが、外れた反対側の顎に激痛が残った。
「これが世界のコンビネーションか」
見事であった。
見事過ぎて蹴られながら感動すら覚えていた。
しかし、次の瞬間けたたましい笛の音が会場に鳴り響いた。膝蹴りの際、掴みがあったとの事だ。
どうりで避ける事ができなかったのだと、その時初めて知った。
しかし、それもテクニックの一つ。
案の定、笛を吹いたのは副審一人。他の審判は誰もそれに気付いていなかった。
当の本人も含めて、である。
もちろん、蹴られた本人が一番悪い。
それに、倒れるほど脳を揺らされた訳ではなかったが、当然ノーダメージでもなかった。
開始線に戻る際、少しだけ足がもつれた。
これはヤバい…この状態であの高速バックステップに付いていけるのか?
それに、肉離れを起こした左足の脹脛が少しずつ悲鳴を上げ出してきた。
両足とも、もう筋肉がカチカチである。
ただそれは、決してこの二日間の激戦のせいだけではなかった。
30年間積み重ねてきた全身のダメージが、ここに来て少しずつ肉体を蝕みだしてきたのだ。
それに加え、リンコン選手のタイミングの良い内股へのインローが、フリムンの下半身を徐々に壊し始めてきた。
それでも、フリムンの心は攻めの一点張り。
腐っても“元”全日本王者である。
海外勢に弱みを見せるわけにはいかない。
それに、空手母国日本を背負って今日の日を迎えたのだ。
骨折や筋断裂を繰り返しても絶対に諦めなかった。
頸椎を痛めた時も、病に倒れた時も、再びこの舞台に戻って来ると信じて突き進んできた。
その思いだけでなく、ここまで自分のことを信じて付いてきてくれた道場生や保護者の方々。そして30年間ずっと応援し続けてくれた仲間の為にも、終了の太鼓が打ち鳴らされるまで諦めることなく攻め続けた。
しかし、ポイントを挽回することは叶わず、無情にも劣勢のまま太鼓の音が鳴り響いた。
満身創痍で戦い抜いた2分間。
レジェンドと称された世界トップクラスの選手相手に、1秒たりとも気後れする事はなかった。
空手の道に入って30年、漸くこの領域まで辿り着くことができた。
それでも、リンコン選手の牙城を崩すことは叶わなかった。
応援してくれた皆との約束を果たせず、半ば放心状態で壇上を降りたフリムン。
そんなフリムンを、応援団は温かい拍手で迎えてくれた。
「申し訳ない…本当に申し訳ない…」
そんな思いで塞ぎ込むも、まだ「三位決定戦」が残っている。
感傷に浸っている暇はなかった。
フリムンはスイッチを切り替え、次の戦いに備えた。
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この記事を書いた人
田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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