![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/137350422/rectangle_large_type_2_c94f31cfd8aedafe2cb987a3259cb9e6.png?width=1200)
【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第8話 暗雲編(1)
【支部最速】
僅か3ヶ月で「緑帯」を取得したのは、後にも先にも沖縄支部ではフリムンただ一人。離島からの通いという特典を差っ引いても、これは快挙であった。
そのまま天狗になってもおかしくなかったが、心の中では既に黒帯のつもりでいたので、逆に物足りなさを感じていたフリムン。
そう思っても不思議ではないほど、まだまだ精神的未熟さを残していた。
そんなフリムンに対し、武の神様は容赦しなかった。
それから半年後、彼はとんでもない不運に見舞われる事となる。
好事魔多しとは、まさにこの事であった。
1995年3月某日。早くも「茶帯」の審査に挑む事となったフリムン。これに受かればとんでもない記録となる。
そう、どんなに早くても数年は掛かると言われていた極真の茶帯を、僅か1年足らずで締める事になるからだ。
フリムンは、同好会メンバーに「絶対に取るから楽しみにしとけよ」と笑顔を見せ、人生二度目となる審査のため石垣空港を飛び立った。
今回も那覇道場で行われた審査会。
他の緑帯メンバーと共に、筆記試験、柔軟、基本、移動、補強、型、連続組手を滞りなくこなしていくフリムン。
しかし、流石に白帯の審査と違い、内容も対戦相手のレベルも爆上がり。
フリムンは息も絶え絶えとなり、徐々に青ざめていった。
(こ、これが茶帯の審査か…)
![](https://assets.st-note.com/img/1713153349890-T6UqHbA3uP.jpg)
それでもまだ28歳と若く、息切れしながらも全ての審査をクリア。師範から言い渡された結果は、ギリ合格であった。
しかし、例えギリであっても、入門から僅か9か月での茶帯取得が快挙であることに変わりはない。
「これで道場生や他流派の先生方にも格好がつく」
フリムンはホッと胸を撫で下ろし、帰島後に送られてきた真新しい帯を見つめながら、これからの同好会や自らの空手人生について想いを馳せていた。
【好事魔多し】
そんな審査会から数週間後、これまた人生二度目となる県大会に出場する事となったフリムン。
前回はベスト16(敢闘賞)止まりだったので、今回は是が非でも入賞圏内のベスト8以上には入りたかった。
フリムンは昨年以上に稽古に没頭した。
「ここまで順調に来ている…絶対に結果を出せる」
そう自分に信じ込ませながら。
1995年4月。
昨年と同じく那覇市民体育館にて開催された「第2回オープントーナメント全沖縄県空手道選手権大会」
前回と違い、今回はセコンドに後輩が2名も付いてきてくれた。あのカツカレー事件のKと弟のY。
イニシャル的には二人合わせてKYだ(笑)
これほど心強い事はない。もう選手控室で“孤独”を感じることもないし、アップもシャドウではなくミットを叩ける。
フリムンからしたら何とも贅沢な話しであった。
(ここまでは…)
![](https://assets.st-note.com/img/1713153405963-2FPblbwYOv.jpg)
初戦の相手は、審査会でバチバチに火花を散らしていた同じ茶帯のライバル、自衛隊員のS選手であった。
先輩方の下馬評では互角と言われていたが、自分の方が上だと思っていたフリムンは正直面白くなかった。
そんな心の不純物が、死ぬまで忘れる事のできない衝撃の結末をもたらす事となる。
果たして、開始の太鼓は打ち鳴らされた。
試合開始早々、一撃でぶっ倒してやろうとフルスイングで右下段回し蹴りを放ったフリムン。
入賞するためにも初戦から延長を繰り返すのは御法度。
しかし、S選手との実力は拮抗しており、倒さない限り泥試合になるのは目に見えていた。
それを受け入れきれなかった彼の心の弱さが、開始早々の1発に込められたのだ。
次の瞬間、「パッキーーーーーーーーーーーン」という乾いた音が体育館中に響き渡り、気が付けばマットの上でのたうち回っていたフリムン。
観客はもちろん、対戦相手も審判も何が起きたのか分からない様子で、会場はシンと静まり返っていた。
ただ、フリムンだけは自らの置かれた状況を直感的に把握。
心の中でこう叫んだ。
「折れたっ」
フルスイングの下段回し蹴りを固い膝でブロックされ、古傷の右脛が音を立ててへし折れたのを瞬時に察知。
折れた足を空中で抱え、身を翻して背中から落ちた。
これは、折れた足に体重を乗せ、深刻な“二次災害”に陥らないための咄嗟の判断であった。
![](https://assets.st-note.com/img/1713153517416-7M9PrkmkC6.png?width=1200)
この一連の動きは、過去に脛の骨折を経験済みだったが故に可能となったもので、人間が本来持ち合わせている「防衛本能」が成せる業であった。
よく、空手やキックなど“立ち技系格闘技”で同じような事故は起きるが、殆どの選手が折れた足をそのまま地面に着地させ、自らの体重で更に折れ曲がるという二次災害に陥っている。
あの「K-1」で有名な極真出身のニコラスペタス選手も、まさにこの二次災害で怪我を深刻なものにした一人だ。
テレビ画面に映し出された「折れたっ」「折れたっ」とパニくる姿に、格闘技関係者やファンから「空手家のくせに不甲斐ない」とネット上で叩かれまくったペタス選手。
しかし、フリムンだけは違った。
「あの痛みに耐えられる人間なんて皆無だ」
「騒いでいる連中は何も分かっていない」
「何なら一度折ってみろ」
そうテレビの前で叫んでいた。
ちなみにこの大会も前回と同じく「沖縄テレビ放送」にて放映され、そしてぺタス選手同様、フリムンもまた視聴者の失笑の的となった。
![](https://assets.st-note.com/img/1713153563014-5awzYuZbxs.jpg)
タンカに乗せられ、会場からそのまま救急車で病院に直行したフリムン。
応援に来ていた後輩のKも同行したが、フリムンは余りにも情けなくて暫し放心状態に陥っていた。
「ごめんな…せっかく応援に来てくれたのに…」
これでカツカレーの件はチャラにしなきゃバチが当たる…フリムンは心の中でそう呟きながら、救急車の窓から見える街並みに視線を逸らせた。
病院に到着後、レントゲンを撮り終えたフリムンに医師はこう告げた。
「完全に折れてますね」
「は、はぁ…」
「ここで手術したらそのまま入院しなければなりません」
「え?石垣に帰れないんですか?」
「どうします?石垣で手術しますか?」
「はい、早く家族の元に帰りたいです」
「分かりました、それでは車いすを用意しましょう」
そう言うと、八重山病院とのやり取りを始め、直ぐに車いすを手配してくれた。翌日には帰れるよう空港にも連絡を入れ、車いすのまま搭乗できる手配も進めてくれた。
こうして手術をせず機上の人となったフリムンだが、これが地獄の始まりでもあった。
なんと気圧の関係で、折れた骨がミシミシと痛むのだ。
流石に他の乗客の迷惑になるので、フリムンは歯を食いしばり呻き声を押し殺した。
ただ、当時の石垣空港は滑走路が短く、着陸の際に急ブレーキを掛けるため、凄まじい衝撃に見舞われることを余儀なくされていた。
初めて体験する乗客は、漏れなく悲鳴を発した。
もちろん、いつもなら慣れっこで声など出さずに済むのだが、着地の衝撃が折れた足に伝わり、我慢できずに「アウチッ」と声を漏らしてしまった。(お、お前は帰国子女かっw)
当時の石垣島では、「この滑走路で離着陸できて初めて本物のパイロットである!」という都市伝説がまことしやかにに広まっていた。都市でもないに(笑)
そんな悲惨な目に遭いながらも、なんとか石垣空港に到着したフリムンだったが、既に麻酔が切れ始めていたため、激痛でノイローゼ寸前となっていた。
「は…早くこの苦痛から解放してくれっ」
そう心の中で叫びながら、そのまま病院へと直行した。
【空手フリ〇ン伝説】
八重山病院到着後、直ぐさま緊急手術が行われた。
下半身麻酔で痛みをなくし、膝をメスで切り割いてから、折れた骨の空洞にプレートをハンマーで叩き入れるという一連の工程が説明された。
粉砕ではなく、綺麗にポッキリと折れていたため、この方法が最適との事であった。
しかし、これじゃまるで日曜大工である。
フリムンはゴクリと唾を飲み込んだ( ̄▽ ̄;)
![](https://assets.st-note.com/img/1713153648069-tIcyMGw0Y2.jpg)
それ以外にも追い打ちを掛ける出来事が待ち受けていた。
何と看護婦さんが高校時代の同級生で、麻酔で暫く機能しなくなる尿道に管を通す役目を務めるというのだ。
膀胱と尿瓶のパイプ役と言えば分かりやすいだろうか?
(いや言い方っw)
そんな事とは露知らなかったフリムン。
彼女も黙ってそれを遂行していれば良いものを、わざわざマスクを外し、顔を晒しながらフリムンに声を掛けた。
「あいっ、フリムン、私のこと覚えてる?」
「あっ?えっ?うそっ?」
「今日はフリムンの担当だからよろしくね♪」
そう言いながら、いきなりフリムンのムスコを鷲掴み。
フリ〇ン状態で成す術もなく自己紹介されたフリムンは、瞬時に事の重大さに気付いた。
そう、麻酔が効いているという事は、彼のムスコは間違いなく縮み上がっているという事だ。
「イヤイヤイヤイヤ・・・」
「これ通常サイズちゃうし」
「本当はもう少し立派だし」
「何なら元気な時は・・・」
と心の中で涙ながらに訴えたが、当然その声は彼女には届かず、気のせいか失笑されたように見えなくもなかった。
そんな人生最大の屈辱を受けたフリムンが、骨折のダメージよりも鼻で笑われた事による心的ダメージにより、暫く立ち直れないほど“意気消チン”したのは言うまでもない。
次回予告
次回、フリムンの「若気の至り」とその報い…
乞うご期待!
▼続きはこちら!▼
▼「フリムン伝説」の記事をまとめてみました!
この記事を書いた人
![](https://assets.st-note.com/img/1713153746113-wJMbBRulGB.png)
田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
▼月刊まーる運営のため、「応援まーる」をいただけると嬉しいです!