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【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第11話 捲土重来編(3)

【遠距離恋愛】

初孫と離れ離れになった翌日から、LINEのテレビ電話で毎日のように顔を合わす生活が続いたが、もう目覚めたその日の朝から、それが楽しみ過ぎて毎日ワクワク♡

石垣島に居た頃は、いつもジィジの声が聞こえると、機嫌が良くても抱っこを強要して泣き出していたアンナさん。

いわゆる甘え泣きというやつだ♡

その日のテレビ電話でも、ジィジの声を聞いて甘え泣きのアピール。

それを見たジィジとバァバは思わずもらい泣き。抱っこしてあげられないもどかしさに、目頭を熱くするのであった(◞‸◟)

この時の心境は、遠距離恋愛の10倍の寂しさといえばわかりやすいだろうか?

「もうこんな生活イヤッ」と電話口でスネるジィジ。

しかし、そんなジィジの思いはそれから数年後に報われる事となるが、まだこの時は想像すらできていなかった。

この瞬間を楽しみに生きていた頃のジジババ(笑)

それから暫くは、空手の遠征で沖縄本島に行く際に会うのが唯一の楽しみとなっていたフリムン。

それはもう、大恋愛中カップルの遠距離恋愛と言っても過言ではない程の過熱ぶりであった。

ただ、先方の熱量はそれほどでも無かったので、見方によってはただのストーカージジイのそれであった。

残念!(◞‸◟)

【捲土重来】

寂しさを紛らわすため、死に物狂いで自らを律してきたフリムン。

負ければそのまま引退という覚悟を決めていた全日本の直前、沖縄支部では県代表選手を決める選抜試合が行われた。

県大会に「壮年の部」というカテゴリーが設置される以前の事である。

勿論、これに勝たなければビッグタイトルどころの話しではない。それに、新しい組手スタイルを試す絶好のチャンスでもあった。

フリムンは、緊張どころかワクワクしながら石垣空港を飛び立った。

新スタイルが功を奏し、代表権を手に入れた瞬間

こうして沖縄県代表となったフリムンは、意気揚々と決戦の地「東京」へと飛び立った。

フリムン51歳の時である。

2017年11月、東京で開催された「第48回全日本空手道選手権大会」

会場の「駒沢オリンピック公園内体育館」に入館した瞬間、今まで経験した事のない ある感情が湧き起った。

会場に並べられたトロフィーを目にした瞬間、こう思ったのである。

「あ…今日…俺優勝するわ…」

何度見直しても、トロフィーを持ち帰るイメージしか浮かばず、思わず声に出してそう呟いていた。

憧れのトロフィーを目の前に「宣戦布告」

四半世紀前のデビュー戦から今日まで、ノーダメージで試合当日を迎えた事は一度もなかった。

パワーリフティングと空手の二足の草鞋を履きながら、同時進行で試合に出続けてきたせいで、必ずどこかしら故障していたフリムン。

それが、今回は信じられないほど無傷にして絶好調。

何より、メンタル面での落ち着きぶりが尋常ではなかった。

自らの勝利に対し微塵の疑いも無い上に、勝利への執着心も希薄。よく分からない感情だが、とにかく心の中が静かなのだ。

そう、まるで「凪」のようにである。

勝ち負けなど二の次。地獄の日々を乗り越え練りに練り込んだ技を最短最速で相手に打ち抜く。

ただそれだけを考えていたフリムン。試合直前にも関わらず、こんなにも緊張感のない精神状態で本当に大丈夫なのか?

そんな多少の不安を抱えたまま迎えた開会式。

本部席には当時「理事長」を務めていた七戸師範と、沖縄支部のM城師範代、O城師範代、B先生の姿があった。

それを確認した瞬間、更に心の中は静まり返った。

理事長として開会の挨拶をする七戸師範

実は、フリムンにはある夢があった。

沖縄支部が生んだ偉大なる世界王者、あのM城師範代が全日本大会初優勝を飾った時の写真。

それと同じ写真をいつか自分も撮りたい。

それだけを胸に苦難を乗り越えてきた。

その夢を叶えるのは今日しかない。

その思いは徐々に強まっていった。

M城師範代が全日本初制覇を成し遂げた時の写真

「一番大きなトロフィーを必ず持ち帰る」
「そのトロフィーを手に師範と写真を撮る」

この二つを目標に掲げ、初戦から対戦相手を圧倒。

現役復帰から5年、最後の勝利(ウエイト制県大会)から実に11年振りに白星を挙げたフリムン。

そのまま準決勝まで駆け上った彼の前に立ちはだかったのは、関西総本部からの刺客。フリムンよりも体格に勝る重量級の選手であった。

徹底した下段蹴りで対戦者を削り続ける著者

相手の突きに合わせ、プレートの入っている右足も解禁して蹴りまくった結果、徐々に相手を失速させ完勝。

復帰後“初白星”から一気に決勝まで駒を進めたフリムン。
夢を叶える瞬間は、直ぐ目の前まで差し迫っていた。

こうして迎えた決勝戦、極真専属の名物アナウンサー(青島先生)より名前をコールされ、最後の舞台へと駆け上った。

武の道へ足を踏み入れ、既に四半世紀の時が流れていた。
感慨深い気持ちで試合場から本部席へ視線を投げるフリムン。

中央席に座る師範と目が合うや否や、「押忍」と十字を切った。

すると、笑顔を見せながら頷く師範。本人同様、勝利を信じて疑わないといった表情であった。

それを見たフリムンは確信した。

「絶対に勝てる…」

直後、主審のコールに合わせ開始の太鼓が打ち鳴らされた。

奇しくも主審を務めたのは、沖縄支部の偉大なる世界王者、M城師範代であった。

開始早々上段蹴りでガンガン攻め立てる著者


この日の突きの威力は過去一であった

スピード、パワー、スタミナ、コンビネーション、メンタル。
どれを取ってもこの日のフリムンはまるで鬼神の如くであった。

最後までアグレッシブに攻め立てた結果、元全日本王者を寄せ付けず「5-0」の判定で完全勝利。

三度目の全日本挑戦にして初の栄冠を勝ち取った。

試合後、殆どノーダメージで終えた事に驚きを隠せずにいたが、それもこれも、極限まで自らを追い込んだ結果であった。

そして努力は絶対に裏切らないと、生まれて初めて自らを讃えた瞬間でもあった。

師範より直々にトロフィーを受け取り感無量の著者
夢にまで見た表彰台のテッペンに遂に辿り着く
憧れだった師範とのツーショット写真

こうして諦めなければ夢は叶う事を証明し、生まれて初めて「日本一」という称号を手に入れたフリムン。地元でも各媒体にて大々的に報じられ、凱旋したフリムンは多くの市民に讃えられた。

あの地獄の日々は、この日の為にあったのだ。

漸く溜飲を下げる事ができたフリムンは、改めて諦めないことの大切さを身を以て学んだのであった。

道場生に祝福され御満悦の著者
同級生に祝福され御満悦の著者
親族や孫に祝福され御満悦の著者
何より祖母に喜んで貰えたのが一番であった
八重山日報
八重山毎日新聞
極真会館沖縄県支部機関紙「極真魂」

次回予告

ついに表彰台のテッペンに立ったフリムン!
に、すぐさま降りかかる、次なる戦い…!?
乞うご期待!


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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。


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