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【越境対談】党派を超えて石垣を語る vol.4|市議会議員対談:長山いえやす×花谷シロー@石垣島
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前回、島で暮らしていくには、地域社会における自分の立ち位置が大事な要素であるが、そういうことが気にならなくなる体験があった、という花谷議員の発言があった。
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長山:そのお話、是非、聞かせてください。
花谷:はい。島での立ち位置というのは、昔は僕もそういうことが気になっていたんですね。僕は結婚していて子供がいるんですけど・・・。実は2016年に、長男が4歳で亡くなっていて・・・。病気で亡くなっているんですけど、すごく大変で・・・。思った以上に・・・。半年以上、ほぼ記憶がないという状態でした。
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(一同絶句・・・)
花谷:議員になったのは2018年なんですけど、もともと2015年ごろから自衛隊の課題があって、何となくはやっていたんですけど。
長山:確かに・・・、立候補の前から活動されてましたね・・・。
花谷:そうです。2016年に息子を亡くして、生きる意味がなくなってしまって。その中で今生きるエネルギーというのは・・・、僕は次男がいるんですけど、彼だとか、要するに外のパワーに頼っているというか。
編集部:そういう経緯があったんですね。
花谷:はい。僕は農業の生産法人を会社としてやってるんですが、以前は、いかにこれで自分が儲けて金持ちになって、と考えていたんです。でも、長男が亡くなってから、物欲とかが、全てなくなってしまって。物欲がないと生きる力がなくなるんですね。働く意欲も無くなるし。そこから僕はある意味、自分というものがないんですよ。そういう面では議員というのはとても良い・・・。
編集部:どのような意味でしょうか?
花谷:議員のように、誰かのためにやらなければいけないこととか、これをやれと言われる仕事は、自分にとってとても良いんです。自分というもの、自己の利益とかいうものを一切考えずにできる。自分のために何かをしよう、という意欲がなくなったので、誰かのためにというか、人に言われたことを全力でやるようになったんです。
長山:それしかできなかった、と言うことですよね。
花谷:ええ。そういうことがあって、吹っ切れて、また自衛隊反対の活動に入っていきました。それからは東京に自費で行って、活動にアドバイスをくれる人たちに会いに行ったり。そうやって一生懸命やっていたら、議員にならないかと声がかかりました。
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そこで「やっぱり人目があるしな」と考えていたらやってないと思います。未だに、そういうのはあんまりない。その辺が助けになって、やらせてもらっているという感じです。必ずしも自衛隊というか、そういった課題が理由で始めたのではなく、いろんな偶然とかタイミングが重なって議員をやっている。それがなかったら選挙に出ろと言われた時にやってなかったんじゃないかなと思うんです。
編集部:先ほど、少し自衛隊に反対する活動のお話が出ていたので、その辺りをもう少しお聞かせください。まず、長山さんはいかがですか?
長山:自衛隊の駐屯地ができるということについては、イデオロギー的に反対されている方が多かったと思います。あと、今まで見てきた景色がガラッと変わってしまうという発言があって。心情としては、その辛さは分かるんです。なので、防衛省・自衛隊はしっかりと向き合わないといけない。僕も住んでいたところの目の前に何かができて景色が変わることに寂しさや不安を覚えることはあります。
花谷:その辺が、市街地に住んでいる人と、本当に隣に住んでいて反対している人の違いなんです。イデオロギーとして自衛隊に反対しているわけではないんです。何でそれが自分たちの地域でなければならなかったのかというところに対して、まともな説明がないというところが重要なんです。
長山:理解はできますが、現在の中国の動きを直近でみると、それこそ駐屯地だったり、防衛体制の強化というのはそれらの解消のためには絶対に必要な備えだと思います。
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花谷:尖閣諸島に視察に行かれたとおっしゃってましたよね。
長山:はい。1月に尖閣諸島を視察させてもらったんですが、尖閣は紛れもなく石垣市ですからね。
花谷:僕が住んでいる地域は登野城の嵩田という地域なんですが、字嵩田は地番が2389なんです。で、その次番地、石垣市字登野城2390番地は、尖閣なんですよ。
編集部:えええ?!そうなんですか?ちょっと見てみます
(Webで確認をしてみると、石垣市登野城尖閣は、日本の沖縄県石垣市の字。尖閣諸島全域を字域とする。郵便番号907-0031)
本当だ・・・!郵便番号までありますね。
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長山:そこに中国の船が漂泊しているっていうのは、明らかにおかしい。でも、中国のサラミ戦術によって、そのおかしな状況がニューノーマルになってしまっていて。それを海保の方が言うと誤ったメッセージ性を持ってしまうので、非常に難しいのですが。
編集部:サラミ戦術というのは?
長山:サラミを切るように、相手に気づかれないように、現状変更を少しずつ続けていくと、それが当たり前になってしまうということが起きる。それをやるのがサラミ戦術です。
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編集部:なるほど、中国が国境線を超えている状況が、徐々に当たり前になってきているということなのですね。
長山:はい。なので、駐屯地ができたことで、色んな思いがあるのもわかりますが、すでにできてしまったわけで、思いが叶わなかった人たちには、新しい見方をしていって欲しいと思います。
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花谷:うーん。一緒に活動している人たちにもイデオロギー的に反対している人も大勢いますが、実は、僕らの感覚っていうのはちょっと違うんですよ。僕のいる嵩田の人たちは、みんな基本的には保守なんです。石垣島への配備がある前は自衛隊に理解があった人もいるし、自民党支持者だった人もいます。
編集部:詳しくお聞かせいただけますか?
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花谷:はい。これには、石垣の集落の成り立ちが関係しているんです。石垣では、市街地には、石垣生まれ石垣育ちの人たちが代々住んでいる。一方、バンナ岳を越えて、中部から北部など、川平以外の場所は移住者がほとんどです。最近でこそ本土の人が増えましたが、昔は離島、宮古島や沖縄本島からの移住者だった。戦前戦後くらいの話で、古い話じゃないんです。ここ70年とか80年の話なんです。で、この集落を作った人、というのがまだ存命しているんですよ。その集落の歴史をスタートした人や、その人の親が開墾し始めたということなんです。
長山:現在でも石垣には地元の人が住めるような宅地が少ないですからね。市としても宅地を増やしていかないといけないんですが・・・。昔はもっと無かったんでしょうね。
花谷:そういう意味では、代々続いてきたものを守るんだというよりも、自分たちが作ったという思いがある。その土地をスタートした人が、目指した方向があったんです。それが大きく曲げられようとしている。というのがポイントで。
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花谷:僕も、公民館などで、色々な地域の役割があって、参加してきたので、方向性や起点が分かる。気持ちも分かる。代々先祖からの歴史があるところとはまた違った理由がある。於茂登集落についても、嵩田も、戦争の影響があるんです。僕が住んでいる嵩田という場所は、台湾の人が切り開いた場所なんです。そこに住まわせてもらってる。元々は台湾の人たちが、名蔵というところに住んでいた。日本が敗戦して、台湾人は日本人じゃなくなった。その時に経過措置的に嵩田地域に移動しました。元々誰も住んでいなかった場所を開墾して始まった。国としても、国籍がない台湾人をどうするか、というスタートだったんです。
編集部:於茂登の方はどうでしょうか?
花谷:於茂登集落は、沖縄の北谷に住んでいた人たちが、嘉手納基地の設置で農地を接収されて、どうしようもなくなり、計画移民で石垣に来た方もいます。誰も触ってない土地があるから、行きませんか?という。つまり戦後に、戦争の煽りを受けた人たちが、道も水道もない状況から集落を作ってきた。集落は三世くらいまでいくと形作られる。おじいさんがいて、子供、孫がいて、という感じになる。そうやって作ってきた自分たちの集落が、変えられようとしている。それに納得いく説明がない。
編集部:まさに自分の土地が勝手に変えられる、という印象なんでしょうね。
花谷:はい。今すでに、自分たちの住んでいる場所には自衛隊の人たちも住んでいる。彼らは同じ地域の住民でもあるので、彼らとどうやって今後うまく付き合っていくのか、というのが近隣住民のテーマなわけです。そこに対して出てけという話をこれからしてしまうと、自分の中で敵を作ってしまう。隣人を敵にしてしまう。彼らとの共通点をどうにか見出して、うまくやらないといけない。基地自体には反対だけど、自衛隊とは、ちゃんともめずにうまく生活していきたいということなんです。沖縄本島の人たちの基地の感覚とは、ちょっと違うと思う。
編集部:花谷さんご自身はどう思っていらっしゃるのですか?
花谷:僕個人としては、基地があるとやっぱり、平和に問題が出るだろうと思っている。ただ、もうできちゃったわけで、だったらある上でどうやって石垣島の平和を維持していくのか。うまく自衛隊とかともやりながら、その中でどうやって、自分たちらしさを出していくか。今は正に過渡期です。これから一年くらいかけて方向性を見出していきたいと思っています。
(続く)
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