【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第13話 最後の聖戦編(3)
【約束】
空手以外にも、パワー競技や古武道やトライアスロンなど、様々な分野にチャレンジしてきた好奇心旺盛なフリムン。
それを見てきた方々には俄かに信じて貰えないかも知れないが、彼の右足は思いの他、厄介なほどに使えない状態である。
それも、粉砕骨折したその日から35年間ずっとだ。
足首はスキーブーツを履いているが如く固くなり、片足で体重を支えるのも困難な状態。
そんな足で、30年間も現役生活を続けてきたのである。
ただ、その使えない足よりも厄介なのが、「それを言い訳にやらない」という選択である。
フリムンはそれを良しとせず、知ったうえでこの世界に飛び込んだ。
普通に考えれば、こんな足で空手の門など、ましてや極真の門など叩かないはずだ。
それでもこの道を選んだのは、それを以てしても“絶対にやれる”という根拠のない自信があったからだ。
自分を信じると書いて「自信」と読む。
信じるだけの経緯がなければ沸き起こることなきもの、それが「自信」という感情である。
自分に嘘をつき、自分との約束を簡単に破り、自分を蔑み、見下し、裏切り続ける。
そういう人間を数多く見てきた。
決してそんな生き方だけはしたくない。
あの世で親父に合わす顔がなくなるような生き方だけはしたくない。
これが、フリムンが走り続けてきた一番の理由であった。
そして30年前に沸き起こったこの根拠なき自信は、今こうして花を咲かせたのである。
そんな足で長きに渡り戦い続けてきたが、現役生活もいよいよ残り数日。
これが終われば30年振りにゆっくりと休める。
だから今はこれでいい。これからどんな事が起きようが、今はこれでいい。
そんな事を考えながら、静かな時間を過ごすフリムンであった。
ちなみに世界大会は「前日計量」となるため、大会の2日前には島を飛び立つことになっていたが、もうこの頃には優勝するイメージしか湧かなくなっていた。
それほど、近年稀にみる仕上がりであった。
ただ心配なのは、試合中に肉離れが再発することだけだ。
それについては、出来るだけ蹴り技を封印すること。
そして脹脛に負担が掛からないよう、間違っても帯より上は蹴らないようにすること。
そう戦略を練った。
(いや元々足上がらんだろとか言うなっ)
それに、突き技には絶対的な自信を誇っていたフリムン。
例え蹴りが使えなくとも、負ける気などさらさらなかった。
それほど、メンタル的には過去最高に充実していた。
あの全日本を制した時の「凪」以上に、である。
ちなみに当初87㎏あった体重も、最終的には申告体重ドンピシャの80㎏に達し、更に自信を深めた。
試合は無差別のため、実際には申告体重より上下限7㎏以内はセーフであったが、フリムンはそれを良しとしなかった。
自分で決めた体重に到達できない心の弱さを許すことが出来ず、絶対に落としてみせると周囲に公言。
しかし、大会前の追い込みも佳境に入った頃から、残り2㎏が中々落ちず、体重計に乗る度に溜息を付くようになった。
それを見かねたカミさんから
「もうこれくらいにしたら?」
「7㎏以内であれば大丈夫なんでしょ?」
と再三告げられるも、絶対に意志を曲げる事なく、おにぎり一個で1日を乗り切ることも度々あった。
そして迎えた軽量前日での目標達成。
フリムンのプライドが勝利した瞬間である。
これには流石のカミさんも驚きを隠せず、フリムンの鉄の意志に感服。
普段、中々褒める事のないフリムンを前に、この時ばかりは「流石っ」と称賛の声を上げた。
ちなみにフリムンが減量に失敗した事は、過去一度たりとも無い。
自分との“約束”は必ず守る。
これが、フリムン流の自信の保ち方である。
【螺旋】
幼き頃から強さに憧れ幾星霜。
実に半世紀以上も“勝った負けた”に振り回され続けてきた。
思い返せば、それはガキ大将たちに蹂躙され、尊厳を踏みにじられた幼少時代に端を発す。
いじめっ子たちを「一撃」で返り討ちにしたい。
そんな小さな野望から始まった強さへの探求。
空手(功夫)映画に出てくる超人たちに心奪われ、人目を忍んで技の習得に没頭した十代の頃。
日夜続けられたその秘密特訓のお陰で、たった一人でも強くなれる事を自然と学んでいった。
こうしてイジメられっ子だった泣き虫フリムンは、いつしか友達の輪の中心となり、のび太からジャイアンへと変貌していった。
ただ、それはのび太の気持ちを誰よりも知り尽くしているジャイアンである。
否、逆にジャイアンの気持ちを誰よりも知り尽くしているのび太と言った方が正しいのかも知れない。
何ならスネ夫でも…(どっちでもエエわっ!)
閑話休題…話しを戻そう(-_-;)
悲しいかな、人間はそう簡単に変われる生き物ではない。
根本的には、まだあの泣き虫フリムンのままである。
何時まで経っても何かに怯え、そこから逃げ出しそうになる自分が居る。
しかし、それを覆い隠そうと必死に自らと戦い、振り払いながら何とかここまで辿り着いただけだ。
決して別人に取って変わったわけではない。
怖かった。
縮み上がるほど怖かった。
腕力では絶対に勝てないと悟らされた
あの人やこの人。
祖父のゲンコツは、
全てを葬り去る威厳があった。
ガキ大将たちの見下したようなあの態度は、
一瞬で全身を凍らせた。
自信を根底から奪い去る、
才ある者たちにも数多く出会った。
そしてその才ある者たちを前に、
底が見え隠れする己の限界。
そんな目の上のタンコブ達を少しずつ排除し、
漸く辿り着いた今。
時間を掛けて手に入れた勇気。
それを手に入れるために費やした時間と覚悟。
「何があっても絶対にあの頃には戻りたくない」
ここで逃げたら、自分に打ち勝ったあの“戦い前夜”に戻ってしまう。
たった一度の逃走により、またあの情けない自分に戻ってしまう。
そうすれば、せっかく手に入れた勇気や覚悟を根こそぎ奪われ、もう二度と手に入れる事は出来なくなってしまう。
そんな気がしていた。
だから逃げるのが怖かった。
それに、例え逃げたという現実から目を背けたとしても、死ぬまで瞼の裏にこびり付いて離れなくなるのは目に見えている。
(いや目と瞼が入り乱れてややこしっ)
そんな諸々を引きずりながら生き続けるのは、真っ平御免だ。
この人生最大の試練を乗り越えなければ、試し合いの“螺旋”から降りることが出来なくなってしまう。
勝っただの負けただのという螺旋に縛られたまま、ズルズルと残りの人生を消化するのがオチだ。
それに、初めて自らの意思で螺旋を降りる権利を手に入れたのに、それを手放すのは本末転倒だ。
降ろされるのではなく、自ら降りる。
その違いは限りなく大きい。
何度も何度も他者より最後通告を言い渡されてきたフリムンだけに、今回だけは自らの意思で進退を決めたかった。
螺旋という、強さを求める者たちの執着が生んだ、この異様な世界からの進退を。
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この記事を書いた人
田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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