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【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第13話 最後の聖戦編(1)

【キッズ・リターン】

「俺たち終わっちゃったのかなぁ?」
「バカヤロウ、まだ始まっちゃいねぇよ」

これは、あの北野武監督の名作、「キッズ・リターン」のラストシーンで描かれた主人公たちの名台詞である。

フリムンの心は、正にこの映画のシーンの如く、スタートラインを前にした若き主人公たちの心境であった。

それでも、不安要素は限りなく大きかった。
2年振りの実戦な上に、準備期間はたったの半年。
これほど短期間で試合に臨むのは初めての事だ。

ただ、今回は会場に道場生が付いてきてくれた。
それも、応援ではなく選手としてだ。

これは本当に大きかった。
いつも道場で汗を流している信頼のおける仲間が、共に試合場に上がるのだから当然だ。

お陰で、たった一人で出場していたこれまでの全日本と違い、アウェイ感は全く感じなかった。

それに、ここまで辿り着けたのは間違いなく道場生のお陰。
毎日のように稽古に付き合ってくれただけでなく、ずっと励まし続けてくれた子どもたちのお陰である。

もし、道場生の後押しが無ければ、全日本に出場するレベルには到底辿り着けなかっただろう。

そんな事を思いながら、フリムンは肩をすぼめ極寒の東京に降り立った。

そう、寒さに弱い彼にとって、この時期の東京は正に冷凍庫そのものであった(笑)

子どもたちとフィジカルトレーニング
子どもたちとスパーリング
子どもたちと打ち込み(決して虐待ではありません)
フリムンを支え続けた選手コースの子どもたち♡

子どもたちから日々パワーを吸収し、まるで太陽光パネルの如く(み、見た目のことちゃうでっ)エネルギーを充電しまくったフリムン。

もしかしたら、出場選手の中で最も恵まれた環境にいたのはフリムンなのかもしれない。
そう思えるほど、日に日に元気を取り戻していった。

そして迎えた2年振りの試合。

会場に着いたフリムンは、まるで夢を見ているかのような錯覚に陥っていた。

「東京代々木運動公園内体育館」の外観
共に出場した教え子たちの勇姿

しかし、残念ながらフリムン以外は早い段階で姿を消し、共に世界大会出場という夢はこの時点で潰えた。

ただ、何とかフリムンだけはベスト4に進出。

内容は決して良いものではなかったが、それでも世界のキップを手に入れる事はできた。

後は残り2試合をどう戦うかだ。

そんなフリムンの前に、これまで出会ったことのない強豪選手が現れた。

あの伝説の世界王者が所属する「城西三和道場」からの刺客であった。
リーチを駆使してガンガン攻めてくる長身の選手。
フリムンが最も苦手とするタイプである。

それを裏付けるように、本戦は押され気味で終了。

副審2名が相手選手に旗を挙げ、フリムンの進退は主審に委ねられた。

主審が相手をコールすれば万事休すである

完全に追い込まれたフリムンであったが…
結果は…
引き分けであった(あっぶなっ)

ただ、ここでフリムンにスイッチが入った。

せっかく首の皮一枚で生き残れたのだから、死ぬ気で勝ちに行こう。
そう覚悟を決めた。

ちなみに過去の対戦相手によると、スイッチの入った時のフリムンは非常に厄介との事。特に延長になると、無尽蔵の粘り強さで対戦相手を困らせた。

案の定、延長では一気に形勢逆転。

得意の突きがボディに突き刺さり、確実に対戦相手の体力を削っていった。

得意の突きでガンガン前に出る著者
結果は「4-0」でフリムンの逆転勝利となった

脳梗塞によるブランク明けからの復帰戦で、いきなり決勝進出という快挙を成し遂げたが、これには当の本人が一番驚いていた。

しかし、この戦いで全てのエネルギーを使い果たし、決勝戦では良いところなく敗退。

残念ながら準優勝に留まった。

精も魂も尽き果て、気力のみで戦った決勝戦

ただ、病床で天井を見つめながら涙をこぼしていたあの日々を思い返せば、この結果は奇跡と言っても過言ではない。

復帰するだけでも大変なことなのに、いきなり表彰台に上がったのである。

表彰式では、まるで夢を見ているかのような感覚に包まれながらトロフィーを受け取ったフリムン。

大会申込書を見て、全身に電流が走ったあの日を思い出し、胸が熱くなるのを感じていた。

ここまでやれるとは夢にも思わなかった復帰戦

ちなみに初優勝した時は、嬉しいという感情ではなく、ただただホッとしたのを覚えている。

頂点に立てば、手放しで歓喜するものだと思っていたが、そこへ辿り着くまでにかなりの時間を要したからなのか、そんな感情には至らなかった。

逆に大騒ぎする周りとの温度差に驚いたくらいだ。

そして連覇の掛った翌年、台風で飛行機が欠航した時は思わず噴き出してしまった(笑)

二連覇を果たせば、真の喜びを味わえると思っていた矢先での自然の悪戯に、ただ笑うしかなかった。

翌々年の全日本では、決勝で敗れ王座から転落。

準優勝ながら死ぬほど悔しく、必ずリベンジすると憤慨した事が昨日のことのように思い出された。

(その後、脳梗塞が発覚し現役引退…)

しかし、今回の準優勝は全くの別物であった。

再びこの世界に戻れた喜びと、世界のキップを手に入れた喜びに、フリムンは柄にもなく心から酔いしれていた。

そして、心の中で自らにこう語り掛けた。

「よくぞココまで戻ってきた…お帰りなさい♡」

フリムン54歳の時である。

共に戦った石垣道場の仲間たちと
共に世界のキップを手に入れた沖縄選手団と
壮年部のレジェンドK選手とA選手も出場権を獲得
全国紙フルコンタクトカラテ(写真カッコ悪っw)
地元紙でも大きく報じられた(写真カッコよっ♡)

ちなみに地元紙の影響力は絶大で、その日から道行く人々に「世界大会頑張ってください」と声を掛けられるようになったフリムン。

コンビニのレジで支払いをする際にも、
「フリムンさんですよね?」
「わー新聞観ました♡」
「世界大会頑張ってください♡」
と店員さんに声を掛けられる程。

これには島の人々の温かさを感じると共に、「もう優勝しかないな」と腹を括らざるを得なかった。

世界大会まで残り1年と3カ月。

フリムンは人生最大のチャンスを手に入れるため、“過去最凶”のトレーニングメニューを自らに課すことにした。

目標であった全日本三連覇は遂に叶わなかった

次回予告

“過去最凶”のトレーニングメニュー…!乞うご期待!


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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。


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