【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第8話 暗雲編(2)
【大脱走】
術後、そのまま入院する事となったフリムン。
病院のベッドで天井を見つめながら、あの東京での悪夢を思い出していた。
「俺はどうしてこんな星の下に生まれたのだろう」
生まれてこの方、上手くいった試しがなかった我が人生。
もうこのまま朽ち果ててしまうのだろうか。そんな事を考えながら、同好会の先行きや家族のことで頭を悩ませていた。
そんな入院中に、突如沖縄本島より先輩が二人お見舞いに来た。あの九州チャンピオンのM先輩と、別のM先輩だ。(ややこしいわw)
二人のM先輩は、多忙な七戸師範の代行として石垣島に送り込まれたのだという。
フリムンは嬉しかった半面、こんな自分なんかのためにと恐縮しまくった。
しかし、今は悩んでいる場合ではない。わざわざ遠方から二人も先輩が会いにきてくれたのだ。
ここは島人(シマンチュ)特有の“おもてなし”しかないだろう。そう頭を切り替えた。
それが大事件に繋がるとも知らずに。
それから暫く病室で談笑したあと、フリムンは皆と病院を抜け出し、後輩の運転する車で保育園へと向かった。
先輩方には、前もって同好会メンバーに稽古を付けて頂く約束を取り付けていたからだ。
点滴を腕に刺したまま、スタンドごと避難階段から脱走を試みたフリムン。病院側に伝えれば、絶対に許可を出してくれないと思ったが故の苦肉の策であった。
若気の至りとは、正にこの事である。
1時間ほどの稽古を終えたところで、そのまま帰るのも“あれなんで”と、石垣島観光に繰り出す事となった面々。
もちろん、車中ではビール片手にプチ宴会である。
フリムンは久々に先輩や後輩たちと羽を伸ばす事にした。
ちなみに入門前は強度の下戸だったフリムン。
しかし、那覇道場へ稽古に行く度に、先輩方から飲みに誘われ、それが嬉しくて飲み続けた結果、気が付けば下戸どころか酒乱に変貌。
骨折や術後の傷にアルコールは厳禁だと知っていながら、後先考えずに飲みまくった。(それや…それがお前のアカンとこやっ)
こうして長時間に渡り観光を楽しんだ面々は、日帰りの先輩方を空港まで見送り各々岐路に着いた。
ちなみにフリムンは直接病院には戻らず一旦帰宅。
何も考えずに「ただいま~♪」とルンルン気分で帰ってきたが、血相を変えたカミさんから大目玉を食らった。
「どこ行ってたの?ヽ(`Д´)ノプンプン」
「え?え?え?」
「捜索願いが出てるのに、なに呑気に飲んでんの?」
「あ、いや、先輩方が……」
烈火の如く叱られたフリムンはシドロモドロとなり、その一部始終を見ていた後輩たちに情けない姿を晒すこととなった。
マジ“ゆ~しったい”である(笑)
※注:ゆ~しったいとは「ザマー見ろ」という意味
またもや新たなる伝説を作りあげたフリムン。
彼の辞書に“大人の振る舞い”という文字が書き足されるのは、まだまだ先の話しであった。
こうして持ち前のポジティブスピリッツでホスピタルライフを楽しみまくっていたフリムン。
入院中は筋肉を落とさないよう、他の患者さんが驚愕するような筋トレを毎日のようにリハビリ室で行った。
いつか返り咲く日を…夢見て。
【報い】
入院から1ヶ月後、何とか退院を許される事となったフリムン。
しかし、選手生命は当然の如く奪われ、完治するまでは指導者として生きて行く選択肢しかなかった。
そんな彼の戦績は、入賞歴なしの敢闘賞のみ。
これから華々しい実績を積み上げ、石垣島で不動の地位を築くという彼の目論みは脆くも崩れ去ったが、このまま終わるつもりは毛頭なかった。
ただ、テレビであの骨折シーンが放映され、それを見た方々から胸をエグられるような誹謗中傷を受けていたフリムン。
「自分で蹴って自分で足を折る奴いる?」
「お前ホントはメチャクチャ弱ぇ~だろ」
「もう空手なんて辞めたら?」
傲慢な性格の彼には余りにも堪え難きこの現実。
自分よりも格下の奴に言われるほど屈辱的なことは無いが、これも日頃から大口ばかり叩いてきたが故の報いであった。
それでも、自ら立ち上げた同好会を蔑ろにはできないし、選手として活躍できなくとも名伯楽として歩む道もある。
とにかくどんな形であれ、この世界で前に進もうと歯を食いしばった。
そんなフリムンの同好会に、初めて少年部が入会してきた。子どもに教えるのは未経験だったが、直ぐにその楽しさに惹き込まれていった。
極真に入門して、まだ1年目の事であった。
【全力少年】
二十代の若者ばかりだった当時の石垣同好会にも、少しずつ少年部が増えつつあった。もちろん、その殆どが身内と保育園関係者である。
そんな第一期生の中に、今でもフリムンを崇拝し続ける熱血少年がいた。
彼の名はKシロウ君。30年に及ぶ歴代少年部の中でも、ずば抜けてクソ真面目な一風変わった男の子であった♡
歳の差はかなりあるものの、フリムンとは従兄弟に当たるKシロウ君。彼の肉体からも、常に溢れんばかりのエネルギーが発せられていた。
最強のランバージャックの遺伝子はここでも威力を発揮し、県大会でもフリムンと同じ敢闘賞を受賞した。
また、余りにも心が清らか過ぎて、全くと言っていいほど人を疑う事を知らなかったKシロウ君。
それが彼の長所でもあり、短所でもあった。
こんな事があった。他支部で黒帯を取得したばかりのS初段が、諸事情により石垣同好会に移籍してきた時のことだ。
当時、責任者でありながらまだ茶帯だったフリムン。例え同好会代表であっても、帯的にはS初段より格下となる。
しかし、フリムンの事を“崇拝”していたKシロウ君は、まだ茶帯のフリムンを庇うため、同期の少年部に「黒帯より茶帯の方が本当は強いんだよ」と必死に弁明。
否定する他の子ども達を論破しようとしていた。
ただ、その一部始終を盗み聞きしていたフリムンは、心の中で「すまんKシロウ、申し訳ないが茶帯は黒帯より下なんだよ」と涙を堪えながら天を仰いでいた。
彼の心を傷付けないよう、声に出すことを憚かりながら。
そんな彼に報いるため、死ぬ気で黒帯を取ると心に誓ったフリムン。
例え選手を引退しても、それだけは早急に果たさなければならない最低限の目標となった。
ちなみに中学時代に「作文コンクール」で優秀賞を受賞したこともあるKシロウ君。
今読み返しても、溜息が出るほど素晴らしい内容だ。
しかし、この受賞からそう時を待たず、彼は校内で喫煙を見つかってしまう。
それは程なくフリムンの耳にも入り、思いっきりメーゴーサー(拳骨)を食らわされたのは公然の秘密である(爆)
★ちなみに演劇が好きで2017年に「劇団ゴジゲン」に入団。夢を叶えるため、現在も舞台で活躍中である。興味のある方は是非コチラ http://5-jigen.com から♡
次回予告
次回、来る人、ゆく人、そのあいだに、フリムン。
乞うご期待!
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この記事を書いた人
田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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