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【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第10話 七転八倒編(1)
転落人生
20人組手を完遂して弐段位を許されたフリムンであったが、その翌年、GYMでのトレーニング中にまたもや悲劇に見舞われる。
ウエイト制県大会(今回は重量級)に向け更にパワーアップするため、当時ベンチプレスのMAXであった150㎏を持ち上げようとしたその刹那であった。
肩甲骨付近の筋肉に激痛が走り、そのまま力尽きて撃沈。その痛みたるや、まるで日本刀で切り付けられたようであった。
(切られた事ないから知らんけどw)
右上半身が痺れ、右腕には全く力が入らない。
それでも直ぐに治るだろうと高を括っていたが、治るどころか痛みは増し続け、遂に寝る事さえままならなくなった。
これは只事ではないと、慌てて脳神経外科で診断した結果、頸椎の変形により神経が圧迫され、それが原因で痺れが生じているとの事。
もし神経が切れていたら、即「車イス」であった。
その名も「頚椎症性神経根症」←(お、覚えきれん)
※頚椎症性神経根症(けいついしょうせい しんけいこんしょう)とは、頚椎の変性(椎間板ヘルニア、骨棘形成など)により、椎間孔の狭窄が生じ、神経根が圧迫され、主に片側に痛みやしびれが生じる疾患である。
これまで数えきれないほどの怪我に見舞われてきたが、そのどれとも違う神経系の痛み。
どんな体勢を取っても痛みは消えず、常に姿勢を変えなければ寝付けない。
そして遂に、フリムンは不眠症へと陥った。
それから首の骨を真っ直ぐに伸ばすリハビリに打ち込んだが、もはや空手や筋トレどころの騒ぎではなかった。
スパーリングは勿論、衝撃による痛みでミットを持つことが出来ない。それどころか、ミットを叩くことさえも不可能となっていた。
完治するまで選手稽古は無理だろう。
それもいつ完治するか分からない。
何なら一生治らないかも?
頭の中を、常に良くない事ばかりがグルグルと駆け巡った。
それから1週間後、GYMを訪れたフリムン。
最近まで150㎏拳上できたベンチプレス。それがどこまで落ちているのか試してみたかったからだ。
しかし予想を遥かに越え、セット重量の65㎏がビクともしない。
少なくとも100㎏前後は挙がるだろうと踏んでいた為、流石のフリムンも心折れまくった。
血の滲むような長い年月を掛け、漸く手に入れたものが、瞬時にしてその掌から離れていく切なさ。
呆れるほどの運の悪さに、自らの境遇を逆恨んだ。
更に、筋肉も右上半身のみ削られ、右腕は左腕の三分の二にまで細った。
大胸筋も右胸だけペッタンコ。
自らの拳で叩いても激痛でうずくまる程だ。
「こんな状態で試合なんてできんのか?」
既にウエイト制県大会の申込書は提出済み。
対戦相手も決まっていた。
今なら躊躇せずに棄権を選ぶのだが、当時はまだ精神的に青く、棄権=敵前逃亡というプライドが邪魔をした。
また、初戦の相手が他流派だった事も災いした。
極真が逃げたと思われるのが嫌で、強行出場する事にした。
これが、より事態を悪化させるとも知らずに。
そして迎えた大会当日。
対戦相手も極真が相手という事で気合い十分。
開始早々いきなり仕掛けてきた。
(ヤバッ)
若干出遅れた感の否めないフリムンだったが、後退を余儀なくされながらも徐々に反撃。
そこから一進一退の攻防が続いた。
頸椎を守るため、突きの打ち合いを避け蹴りで攻め込むフリムン。
パンチを胸に食らわない為の苦肉の策だ。
当然、プレートの入っている右足ではなく、反対側の左足で蹴りまくった。
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硬い膝でブロックされてもお構いなし。相手の心が折れるのが先か、足が折れるのが先か。
それくらいの気持ちで蹴りまくった。
当然、自分の脛のことなんて度外視。心が折れるなど有り得なかった。
大声援をかき消すほどの「ゴツッ」「ドゴッ」という骨と骨がぶつかる音が会場に鳴り響く。
その音に波長を合わせるかのように、徐々に対戦相手の表情が歪んでいった。
これは明らかに効いている。顔に出るという事は、心が折れ始めている証拠だ。
「先生っ、効いてますよっ」
セコンドの声が盛り上がるのと同時に、更に回転を上げるフリムン。
左下段回し蹴りの雨あられである。
結局、最後は二度のダウンを奪い、フリムンの「合わせ一本勝ち」で幕を閉じた。
これには会場も大盛り上がり。
駆け引き無しの分かりやすい内容だからか?
フリムンの試合は何故かいつも盛り上がる(笑)
しかし、続く2回戦では薄くなった大胸筋に突きを食らい、余りの激痛に後退。あえなく戦線離脱を余儀なくされた。
ある時期より首から下を効かされることは殆ど無くなり、自らの肉体に絶対的な自信を誇っていたが、この最悪な内容での敗北に意気消沈。
こんな体ではもう戦えないと、空手もパワーリフティングも第一線から退く事にした。
フリムン40歳(前厄)の年であった。
ちなみに今回の通院で発覚したのが、血圧の下が100を超え、上も200を超えるというとんでもない数字であった。
医師より「このままほっておくと死にますよ」と最後通告を言い渡され、ビビったフリムンはその日から降圧薬を飲むことにした。
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長年、肉体のケアを顧みずにハードな練習を続けてきた事により、取り返しのつかない程のダメージが蓄積。
その代償は計り知れず、確実に選手寿命を縮めていた。
そんな彼の転落人生は、これでもまだ始まったばかりであった。
ファイン・プレー
大会を終え、意気消沈して島に戻ったフリムン。
空手は選手を引退しても後進の育成という大切な仕事が残っているが、筋トレは試合に出なければ続ける理由がない。
それに、また以前のようにバーベルが持てるようになる保証もない。
そう考えたフリムンは、考えた末にこの世界から去ることを決意。
会長の元を訪れ、退会届を提出した。
しかし、帰ってきたのは予想だにしなかった返事であった。
「フリムンが居るだけでGYMが明るくなる。会費は要らないからリハビリのつもりで毎日顔を出せ(笑)」
その言葉に胸が締め付けられたフリムンは、即座にこう答えた。
「ありがとうございます。ならばこれまで通り会費を徴収して会員として扱ってください。もう死んでも辞めませんから(笑)」
こうして会長のファイン・プレーにより元の鞘に収まった二人。
そこからリハビリの枠を超えた“メガリハビリ”を始めた彼が、後に八重山パワー界を動かすまでに成長するとは、その時は互いに知る由もなかった。
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世界大会沖縄初開催
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2008年1月19日(土)~20日(日)の二日間、空手発祥の地オキナワで、極真空手の世界大会が初開催された。
何とその記念すべき大会で、地元沖縄の日本代表選手が「軽・中・重」全ての階級で決勝進出する快挙を成し遂げた。
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一方中量級では、前人未到の“全日本中量級6連覇”を達成したM城選手が決勝進出。
軽量級のK山選手と重量級のS尻選手は惜しくも準優勝に終わったが、中量級のM城選手がタイのモンコン選手を圧倒。
沖縄支部で二人目の世界王者に輝いた。
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開催中、舞台袖で大会スタッフとして激戦を見守っていたフリムン。
世界の舞台で活躍する地元選手に一喜一憂しながらも、憧れの眼差しで見つめるしかない己の不甲斐なさに落胆していた。
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頸椎ヘルニアにて戦線を離脱したばかりのフリムンにとって、もはや全日本や世界の舞台で活躍するなど夢のまた夢。
「到底、自分なんかが辿り着けるような場所じゃなかったんだよ」と自らを納得させ、今後はこの舞台に立てる後進の育成に努めようと覚悟を決めた。
ただ、そうは言っても未練タラタラである事に変わりは無い。
フリムン42歳の時である。
ちなみに下の写真は、孫や曾孫の活躍を報じる新聞記事をバックに、道場の事務所でパチリした時の祖母。
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この記事を書いた人
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田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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