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【人狼note】人狼ゲームの振り返り注意報③〜"負けたから反省"は泥沼のはじまり

久々のnoteになりました。
皆様はいかがお過ごしですか?

今日も憧れの人狼プレイヤーに黒を出してみたり、人狼全部当ててくるプレイヤーを即噛みして楽しんでいるでしょうか?

さて、人狼ルームのスクールイベントの2回目も終わり、完全に旬を過ぎてしまいました。
でも、こういう発信を始めたころから、少し自分のTwitterの画面に映る言葉たちが変わって見えてきて、
振り返りの中でも、楽しかった!と言う言葉が多く見られるようになりました。

もしかしたら、自分の心持ちが大きく変わったことも景色が変わって見えている要因なのかもしれません。

ただ、また思い悩むひとが現れたときに
きっかけの一つになったらと思い、
最近のTwitterを読みながら感じたことを含め、まとめていきます。


1."勝ちは目指す"けど、"負けてもいい"

今回の大きなテーマは、タイトルとこの言葉に尽きます。
人狼ゲームの目標は"勝ちを目指す"ことではありますが、結果として"勝った負けた"よりも"議論内容の充実"を重視したゲームであると私は考えています。

いや、勝つことを目指しているんだから、勝てることが一番いいでしょ、と反論する方はいるかと思います。
もちろんそれを否定するつもりはありません。

ただ、その価値観で人狼ゲームをする場合は、"自分の立っている土俵"はどんな人たちの集まりなのかをきちんと理解しておくべきだと思います。

人狼ゲームの参加者は、
たまたまその日の予定が空いていて、
たまたまそのイベントに参加する機会を得て、
たまたまそのイベントに行くことを選んだ

言うなれば完全ランダムな集まりです。

いや、貸切やクローズイベントで誘ってるよ、ってケースももちろんありますが、そこに至るまでの出会いはランダムなので、ランダムです(雑な説得ですみません)

スポーツにおけるチーム戦は、チーム構成員はそのチームに所属している人に限られているため、チーム員の総合力は大きく変動することは少ないです。
ですが、この人狼ゲームでは、参加者も毎回違えば、人間陣営か、人狼陣営かもゲーム開始直前に配られるため、チーム員の総合力は毎回大きく変動します。

そしてポジションも急に変わります。

野球で1時間前まで代走をしていた人が、1時間後に急に先発ピッチャーを任されたり、
バンドでギターをしてた人が急にドラムをしたり、
占い屋さんをしていた人が急にボディガードに転職したり、普通に生きていた人の人生がある日突然狂いだしたりしているわけです。

つまりチーム構成員が毎回変わるゲームですから、勝てて当然なんてことは存在しないわけです。

2.人狼ゲームでの勝ち負けは実はもう少し細かい

さて、今度は少し視点を変えてみましょう。
みなさんは、自分が人狼ゲームに負けたときはいつだと感じていますか?

もちろん、ゲームの最後、
最後の人狼が処刑されたときか、人狼と人間が同数になるときですよね。

それが勝利条件なわけですから。

さて、人狼ゲームでの勝敗は、果たしてそこだけでしょうか。
その間に、私たちは2チームに分かれてなにかを争っていますよね。

私たちが最終的な勝利条件を満たすために争っているもの、それは"処刑"です。

人狼ゲームは言うなれば処刑合戦です。
"14人村、GJなし、狂人襲撃なし"のゲームとすると、処刑回数は6回。

これはいわゆる勝負の世界での、6本勝負の4本先取で勝利(人間陣営は"人狼"のみ処刑できれば3本先取)なゲームであると考えることができます。
そう仮定すると、人狼ゲームでの"1本"は"相手陣営1人の処刑"となるわけです。

この1本をとるためのチームの最大力の勝負をしていることになり、その1本の勝負をする上でのチームの最大力は"最多得票数"となります

つまりこの最大力は相手チームの力も加わることがあるわけで、チームの勝利を目指した行動が相手チームの力になってるときもあるわけですね。このとき、"騙されたー!"、"やられたー!"って思うわけですよ。
そこが人狼ゲームの面白いところです。

1本目の勝負で、どちらかのチームが負け、1人退場します。
2本目の勝負では、人狼チームの闇討ちで、人間チームが1人減ってます(闇討ちを防ぐのがBGですね)。その状態でまた負けた方が1人退場します。
3本目以降も同じように続きます。

ただ、一般的な勝負と少し違うのは、
クローズルールにおいて、この1本1本の勝敗がわかるのは人狼チームと霊媒師だけです。
(こう見ると少し霊媒師の重要性が伝わるでしょうか)


つまり、人狼ゲームでの勝敗は最後だけにあるのではなく、この処刑結果も実は一つの勝敗の形なのです。

この意識を持つと、

"勝ちは目指す"けど、"負けてもいい"

の捉え方も、少し変わりますよね。

3."負けたから反省"には注意〜大枠に囚われると本質が見えなくなる〜

さて、この上で本日のタイトルに戻りましょう。
このタイトルでの"負け"は最後の結果発表での"負け"です。今回のコラムや①のコラムでも説得し続けてきたように、ゲームでの勝ち負けは結果論です。

この最後の勝ち負けに囚われて、負けたから悪かったと振り返るのだけは本当に注意が必要です。
先程も言った通り、最後の勝ち負けは処刑回数という1本1本の勝負の積み重ねの結果です。

つまりそのゲームで勝つには、1本1本の勝負に勝つための行動をしなくてはいけないのです。

この1本1本の勝負の難しい点が、チームの最大出力が人間チームにも人狼チームにもコントロールしきれないところです。

サッカーに例えると、人間チームのGKがゴールキックをしたものが相手チームにゴールすることがあったり(1確予言者or真決め打ちした予言者の黒出しなど)、
人間チームが人狼チームにパスをすることがあったり、
はたまた人狼チームにゴールをした人が人間チームかと思ってパスしてたら実は人狼チームだったり(人狼チームの生存戦略※(俗に言う身内切り))

これが特別なことではなく、普通に起こり得るなかで勝負をしています。

このムラのあるチームの総合力を、少しでも自チームの力に変えるためにすることが"説得"や"弁明"、"誘導"です。

だから、"最後の勝敗(=勝ち負け)"ではなく"1本1本の勝敗に至る行動(=議論の内容の充実)"が大事だと私は考えているのです。

最後の勝ち負けに気持ちが引っ張られて反省会をすると、めちゃくちゃ気分的にしんどいですし、なにより振り返りの先の本質を見失い、改善の見えない泥沼にハマってしまう可能性があります。

4.でも、負けたときには反省しちゃうよね

負けたから反省することの危うさを伝えましたが、これは自分の戒めでもあります。

だって負けたら悔しいし、自分が処刑されて負けたゲームは悔やんでも悔やみきれなくて、処刑されたあとも悔いが残って成仏しきれないゲームが沢山ありますから。

でもまあ、人狼ゲームは、あくまで趣味や遊びの一環です。

その勝ち負けで会社が倒産して借金大王になったわけでは御座いません。
あんまり悔やんでも、なんだかんだそれは悔やんだ時間としての記憶になってしまいがちです。

それでも負けたら反省はする。

そのときは、是非、こう考えてみましょう。

このゲームの中で、処刑者を変えられたとしたら、それは何日目だろうか。
誰を処刑できただろうか。
そのときになにが自分にできただろうか。

ここまで何度もお伝えしたとおり、
処刑という1本1本の勝敗が、最後の結果に結びついています。
この1本1本の勝負の負けを勝ちにできなければ、陣営の勝敗をひっくり返すことができません。

なので、結果を知った上で反省することは、
推理があってたかあってなかったか云々よりも、1日1日の処刑者を、相手チームの処刑に変えることができたかです。
それが一番結果に結びつくからです。

このときのポイントは、投票できたか、ではなく、処刑できたか、です。
チームの最大出力は最多得票です。つまり1票は最大ではないので、合ってるのと勝てるのでは少し意味合いが変わります。
(でも、この認識は慣れてきてからで大丈夫です!)

そしてこの振り返りをするときは、必ず、その日の自分の気持ちを重視してください。
結果を知った上で、自分の気持ちを棚に上げて、その日信じていた霊媒騙りAさんなどを処刑しなかったことを反省はしなくて大丈夫です。

もし、1日1日の処刑を振り返って、自分が投票を変えられないな、と思ったら
相手チームが強かったな、と最大限に相手に賛辞を送りましょう。

このときに味方チームを攻めるのはよくないです。チーム員はランダムで、チームの最大総合力もランダムで、チームの最大出力はコントロールできないのですから。

もちろん、味方チームには、自分も含めて、ですよ!
チームメイトにかけない言葉を、自分にだけかけるのも、良くないです。

処刑を変えられる、と思ったら、是非次ゲームでチャンスがきたら試してみましょう。

この処刑の反省をするのは大事な考え方で、"処刑"の振り返りをしていくと、ゲーム全体を通して、陣営の勝ち負けを決める要因の処刑がわかるようになってきます。

また、勝った試合でも、よくなかった処刑ってどこかにあるはずなんです。そういう勝ったゲームでも有効的な反省ができます。
この、勝ったときにより処刑を変えられる考えができると、自分のやってきたことがより最大限発揮できる方法を考えることができていいと思います!

同時に、この処刑がなければ勝てなかったって感じるゲームも出てきます。
私はこの処刑がなかったら、と感じて、処刑を受け入れてくれた人たちを讃えたたくなるようなゲームは総じて良いゲームだと感じています。これが内容の充実なんだと思います。

人狼ルームの振り返りは、この点をすごく振り返ってます。
自陣営の勝利のため、1日1日の投票時間に向かってしてきたこと、自分が処刑されたとしても、仲間のこれからの逆転勝利のためにした遺言、そのよかったことが詰め合わせになっています。(特にアリサさんはその良いところ探しが上手!)

振り返りイベントって、素敵ですね〜。

5.さいごに

最近noteの文字数見えるようになったのですが(自分が見てなかっただけですかね?)
今回も4000字を超えるそこそこな文書となりました。

書き出すと止まらないです。

旬は過ぎましたが、でも伝えてみたいことがまた一つ言語化できた気がします。

ただ、最初に申し上げたとおり、最近自分のTwitterの景色が変わってきた、と感じていて、noteで発信しはじめた頃に感じていたもやもやが、いろんな人の発信をみてなくなってきた気がしています。

というわけで、自分の中での目的も達成できた気がするので、一旦このコラムも終わりにしようと思います。次回のコラムはまた、もやもやが生まれた頃ですかね。

また、実は言語化してみたいものがあり、しばらくは新noteの準備をしていこうと思います。

最近人狼をしていなくて、なんだか人狼を語る感じもくすぐったくなってきたのもあり、
このnoteも、人狼のお話は今日少し踏み込んだ処刑にまつわるエトセトラを小出しにするくらいに留めながら、
転職とか引越しでの学びとか、日常のことを少し増やそうかなあと思います。

今度はストックを用意して、連続投稿目指していきます。
是非また見かけたらフォローしたりコメントしてみてくださいね。

最後のさいごに。
"ゴールキック"の意味違ってたらなんか恥ずかしいなって思って調べてみたら、

ゴールキックされたボールが、直接、自陣側ゴールラインを完全に越えて自陣ゴールに入った場合には、相手側の得点にはならず、インプレーになっていなければゴールキックのやり直し、インプレーになっていれば相手側のコーナーキックとなる。(Wikipedia参照)

ゴールキックのオウンゴールってオウンゴールにならないことを学びました。
滅多にならないんでしょうけど...。
いや、あるんですか?

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