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じいちゃんばあちゃんから学んだこと

以前も書いたけど、私は田舎育ち。

自然豊かな環境が溢れていたけど、私自身はインドア大好きゲーム大好きの子どもだったから、我が家の子どもたちと比べたら、全然外遊びをしなかった。


ただ、外遊びはしないけれど、自然との暮らし方をじいちゃんとばあちゃんは知っていたから、自ずと暮らしに自然が溶け込んでいた。


じいちゃんとばあちゃんが育ったのは、ほぼ自給自足の時代。

自動車もなく、燃料で動く機械が身近にない時代。

その頃子どもだったじいちゃんとばあちゃんは、家の畑仕事や田んぼ仕事、家で飼っている農耕用の牛の世話、風呂炊き等の家の仕事をやっていた。

ご飯ができるまでテレビを見ながらこたつでぬくぬくしていた私には想像できないくらい、働いていた。


そんなじいちゃんばあちゃんも、便利な機械が増えたことで、しなくてもいい仕事が増えた。

それでも、季節の手仕事と山仕事、畑仕事は私が子どもの頃もずっと続いていた。


私が覚えているのは春。

ワラビを取ってきてくれて、食卓に煮物や味噌汁が並ぶ。

味噌汁の中のワラビの色が全然美味しそうじゃない紫みたいな深緑みたいな色で、食感がふにゃふにゃするし、わたしはあまり好きではなかったのを覚えている。

毎年食卓に並んだので、「あぁ、またワラビの季節か」と季節の巡りを子どもながらに感じていた。


ワラビが生えてからしばらくして、今度は山にタケノコを取りに行く。

籠を背負って、帰ってくると籠にたくさんのタケノコ。

庭で大きなドラム缶みたいな筒に大量のお湯を沸かして、そこでタケノコを一気にあく抜きする。

それで、タケノコの皮むきを家族総出でやっていた。

わたしは見ているだけだったけど、普段は見かけないドラム缶と煙のニオイと、家族がみんなで同じ仕事をしていて、なんとなくお祭りみたいでワクワクした。

あのタケノコの味噌汁と炊き込みご飯が出ると、ご馳走で本当に嬉しくて、穂先の柔らかいところばかりを食べて、固いところはばあちゃんに食べてもらったのが懐かしい。


秋で印象深いのは、畑に生えていた栗の木。

その栗の下にたくさんイガが落ちていて、それをじいちゃんやばあちゃんは器用に長靴で剥く。

そのときの、秋特有のどんよりした曇り空がいつまでも忘れられないでいる。


冬には漬物を漬ける。

赤いカブと緑の葉っぱを塩で漬ける。

赤い色素がにじみ出た汁の透き通るピンク色の綺麗さ。

あの漬物特有の酸っぱいニオイ。

懐かしいなぁ…


もっと色んなこと、聞きたかったなぁ…

美味しい漬物の漬け方とか、タケノコの上手な皮の剥き方とか…

ワラビがよく出る場所とか…


景色が、味が、ニオイが、今の自分の中に、かけがえのないものとして残っている。

今はもう会えないじいちゃんとばあちゃんが、暮らしの中で伝えてくれたこと。


季節に合わせた暮らし。

自分で食べ物を採ったり作ったりする喜び、楽しさ。


それを教えてもらったわたしは子どもたちと、

住む場所は違えど同じように、できる限り採ったり作ったりして暮らしている。


周りを見ると、私が子どもだったときよりも更に、自然を感じる暮らしが遠くなっているような気がする。

便利に溢れて、夏も冬も同じものを食べられる暮らし。

冬の寒さを感じない暮らし。夏の暑さを感じない暮らし。


私は子どもたちと味わいたい。そして、繋ぎたい。

季節と共に移りかわる暮らしを。

こんな時代だからこそ、便利で快適な生活は、自ずと入ってくる。

だから敢えて、

不便で知恵を絞る生活

自分の手で物を作り出す生活を、今できる限りしたい。


子どもたちがどちらを選ぶかは自由。

だけど、選択肢がなかったら、選ぶこともできないから…


私はまだまだ知恵が少なく、便利なものにも大変お世話になっている。

更なる心地よさを求めて、日々暮らしていきたい。


最近知ったターシャ・テューダーさんの暮らし。

とてもとても素敵だなぁ、と本を買ってみた。



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ゆり/Physis−自然に自然と子どもと暮らす
私の暮らしを応援してくださると嬉しいです。私の心地よいと思う世界に繋がるように循環させていきます。