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ハッシュタグの奇妙な世界

SNS歴をざざっと自分で振り返っていました。

最初にmixi(ミクシー)→歳がバレますね。
気がついたらFacebook。情報の発信受信ともによく使ってました。後々そこにInstagramが加わります。そして今年は新たにやり始めたコトがあります。

フェイスブックをやめて
ツイッターを始め、
ノートも始めた。

Twitterに関しては5年前くらいにアカウントはあったのだけど、自分はそれを使ってどうしたいか分からなくて完全に放置してました。当時は扱いが全く分からなかったんです。興味がなかったのにみんながやってるからって世間に同調したんですね、おそらく。

なぜ今フェイスブックをやめたのか

理由は結構はっきりしていて、ふたつあります。

1 友達がみんな知り合いで見る人が特定されている
2 情報に対する自分自身のスタンスの変化

実はどちらかというと2つめの変化が大きいです。
去年は受け身で流れてくるものを受け取っていたんですが、今は発信する側になりたいと思ったからなんです。

そうなると、発信する内容にもよりますが、
知り合いはもう私の事をもちろん知っているから友達になっているわけで、それこそFacebookの上で今以上に知って欲しいと思う内容やそれをしたいって思うモチベーションが湧かないというの気持ちになりました。

FB上は趣味のダンス仲間(ペアで踊ります)が多いこともあり、コロナで踊れないってのも大きく影響していて、発信する内容が現状特にないってのも理由かもしれません。業務連絡(例えば引っ越した、とか子供が産まれたとか)はあっても…苦笑。

ハッシュタグのある世界

こう書くと変な感じですが、
最近始めたTwitterに関してはハッシュタグで調べた先の世界に全く広がりを感じられなくて、自分でも驚いています。

なんて言えば良いのかなぁ。
囲い込み感がすごい。隅に追い込まれる感じ。
(イメージだけを言葉にしてすいません💦)

特に自分に興味あるのが英語なので、#英語学習とか#英語とかって検索してみて、リサーチ含めて英語系のツイートをよく見るのですが、ものすごく圧倒されてしまいます。こんな風に思うの私だけでしょうか?勝手にもっとゆるくやれるモンだと思ってました。というか、ゆるく見られるものかと…。

あ、そういうことか!気付きました。

と書いているうちに、頭の中の整理が出来てきて、気づいたことがあります。

私が感じた圧は何かというと、受け身でなく自分が発信者として他のライバル(すでに何年も前からいる先輩たち)でもある人のツイートを見るからだと思いました。

TOEIC満点や英語検定1級の人たちの素晴らしい経歴や名言みたいなもので励まされるし、有益な情報はたっくさん得られるのだろうけど、英語を資格試験や受験や何かの点数で測れるものの枠内に押し込めようとしている雰囲気に、違和感を感じたのだと自己分析してます。

英語は得点を目指したり合格を目指さないのなら、具体的な目標にどう落としこんだらいいのか?

そもそもはっきり落とし込む必要はないの?

と自問自答しています。答えはなんとなくあるんですけど…。それと同時に数値って他人には分かりやすい便利なバロメーターだなぁともツイートする人のプロフィールを見たりすると感じます。フォロワーの数も然り、ツイート数も然り。FacebookにもInstagramにも数字はあるけどTwitterほどに意識させられませんでした。

いわゆるこれがSNSの合う合わないというやつなんですかね??まだ発信する立場として始めたばかりなので分かりませんが、Twitterの世界に片足だけ突っ込んで冷たい水をぶっかけられた気分の私としては、英語は今だけでも未来だけでも得点だけでもないと強く思います。

『満点や!』=『英語がペラペラや!』『凄い人なんや!』のからくり(決して疑ってるわけでは無いけど100パー信用するのも違うかと。)が講師の私には少しおっかなびっくりしたということにしておきます。苦笑。

最後にまとめ

こんな乱雑なのにここまで読んでくれた方いたら感謝です。英語は生涯あなたと共に生きてくれると思うのです。点数で測れないし急ぐ必要もない。やったら覚えたら終わりじゃない。

もし私のように同じような気持ちの学習者や先生がいたら、ハッシュタグの世界に惑わされないようにしましょうね!!

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