『書くこと』で得た新しい自分
今までの人生で
こんなに書く事に真剣に向き合ったことはない。
しかも何かを書こうと思うとき
自然にお題が見つかって、『あ、そうだ。これを書こう』という気持ちになるのだ。
まだ初めて1ヶ月やそこらなのでそりゃ今ネタ切れになってては、本当に先が思いやられる。でもそこは心配しても仕方がないし、今の書きたいテーマが翌月も書きたいテーマとして頭ん中に登場するとは限らない。
『今、思い浮かんだ』はきっと『今この時の気持ちの自分だから書きたいテーマ』になるのだろう。
そうは言っても、私自身は未だにこの『書く』という行為が好きなのかどうか正直わからない。そんなに日頃から自己表現が出来る人でもないし、ましてや書いてるだけで文章力があがったとも思えない。
読みづらくて相手に理解力を期待してしまう酷い文のときもあるだろう。もし『この記事、読んでくれ〜!』と声を出して宣伝できると言われても自信がなくてきっと躊躇してしまうだろう。
ただここ数日『書く』アクションを始めてから自分で実感するほど大きく変化したと確実に言えることがある。それを今日は書いてみようと思う。
大きく分けて3つ!
1 怒りの気持ちを人にぶつけなくなった
私にとってはこの変化が1番デカい。イラってしたりちょっとしたことで家族に不快な態度をとってしまったり自己中な発言したりが減った。決してそういうイライラの根本がなくなったかと言われればそうではないが、イラってなる自分に気づけるようになったし、そのイライラを外に出す前に一旦抑えられるようになった。
noteを書いているから達成感とか自分の自己満足で満たされているからなのか?とかも考えたけど、それよりもどちらかと言えば、何か行動を起こすときに、頭で整理をするようなクセが自然とついてきたんだ思う。
少し前にアンガーマネジメント(怒りを鎮める方法)をテレビの特集で見たことがあるが、イラッとしたらそのまま何もせず数秒待つことが大事らしい。まさにそれと同じような感じで、冷静に反応する自分に自分自身が気付けるようになったことが大きな変化だ。
2 自分自身のことをもっと好きになった
単純にイライラで怒るが減ったので、それが出来るようになった自分への好感度アップなのかもしれないが、好きになった本当の理由は自分を自分でコントロールできているから。
つまり決めたこと=『書く』を実行に移すことができているというメリットが大きい。つまり
決めたことを行動にうつす自分が好きになれた。
書くと決める。
書くために調べる。
調べていると知識の整理ができる。
調べた結果、知識を増やすこともできる。
そういった書くで始まった行動からエネルギーを使って最後には『書く』を形作れる満足感や達成感が味わえる。(もちろん上手く書けなくて不完全燃焼なときもあるけど…)
書くことが途中上手くいかなくても、書こうとすることで頭の中の整理ができることがこんなにメリットが多いとは正直思わなかった。あくまで主観なのだが、これは書いてみた人にしかきっと味わえない感覚なんだと思う。
書くときの頭と心のお喋りは、これでもか!というくらい自分を観察しなければならない。自分で自分の行動のトラッキングをする。その自分が嫌いだと、書くはなかなか上手くいかないような気がしている。
3 知らない誰かのことを思い浮かべるようになった
これも不思議な感覚なのだけど、これを読んでくれている人がどこの誰かは分かりえない。それでも自分の経験したことや思ったことを読んでくれて、共感したり励まされたり、もしくは有益だと思ってくれる人がいて、実際にスキやフォローしてくれる方がいると、それらを実感できる。
だからこそ単純に自分の愚痴ややった事だけの羅列を記事にしようとは思わなくなる。読んだ人が『そんな考え方でもいいわけね、ふーん』と思ってくれるなら書いた記事の価値が出てくるし、それがお金になるとかならないとかは問題でなく、それが大きな何かではなくても、読んで気持ちが少し軽くなったり、良い方向に向けば、それで良い気がする。
もっと言えば、日常の生活の中でもこの人の本当の気持ちはその行動と違うかもしれない。本当は思ってもないことを口走ってるのかもしれない、と相手の事を以前よりも思いやれるようになったかも。
そんなことは人として当たり前なのかもしれないが、当たり前をきちんと意識しないといけないなぁと今だからこそ思う。
私は『書く』行為が単純に『書く』だけではないことが分かった。ネットの世界ではなく、普通の生活の面でも多くの良い影響を感じている。これから書き続けていくうちに、今こうやってポジティブな面が多いことを忘れないようにしたい。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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