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ミュージカルSIXの話⑥:キャサリン・パー編
数年前のトニー賞授賞式を見て心奪われたミュージカルSIXがついに日本上陸!ということで、実際の王妃たちの歴史や楽曲について自分なりにdigったことをメモしていきます。
※英国史もポップミュージックも特に専門ではないので、個人の理解やフィーリングに基づいて書いていることをご了承ください。
最後はサバイバーのキャサリン・パー!
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出自
パーの家はもともと地主の騎士階級でしたが、貴族の縁者もおり、宮廷で働く親戚もおり、地元では王室に次いで力のあるような一族でした。元々はカトリックの家でしたが、途中でプロテスタントになっています。ヘンリー8世が即位するとパーの父は近衛兵長や会計検査官に任命され大出世。ただナイト止まりで爵位はありませんでした。また父はパーの幼い頃に亡くなっています。
パーの母親は教養が高くフランス語も堪能で、キャサリン・オブ・アラゴンの女官として宮廷で働いていました。アラゴンとパーの母はよき友人で、パーの名前“キャサリン“もアラゴンにちなんで付けられたと言われています。
パーは外国語が堪能でしたが、裁縫は苦手だったようです。「私の手は王冠に触れるためにあって裁縫のためではない!」と母親に口答えしたという逸話が残っていますが、まあこれは後世の作り話でしょう。少なくともこの頃は貴族ですらなく、王妃を目指すような家柄ではありませんでした。
パーは16歳で同世代のサー・エドワード・バーグと結婚しますが、数年後に夫が亡くなってしまいます。ちなみに年上の精神異常のある男と結婚したという記述もありますが、それは同名の夫の父親で、パーの結婚相手は息子の方だったと言われています。親子で同じ名前つけるのややこしいねん…。このヤバ義父には夫婦で苦労していたようです。
最初の死別から1年後、21歳のパーは今度は当時アラフォーのラティマー男爵ジョン・ネヴィルと結婚します。ラティマーにとってはパーは3番目の妻でした。また彼は父方の遠縁の親戚でした。カトリックだったラティマーがカトリックの反乱軍に自陣に加わるよう脅され、パーも人質になったり、あわや反逆罪で領地没収になりそうになったりと、結婚生活は大波乱でした。ラティマーは何とか首の皮一枚繋がり、ロンドンに移ります。このあたりで後に4番目の夫となるトマス・シーモア(ジェーン・シーモアの兄、パーの歌はこの人に宛てたもの)と出会ったと言われています。2度目の結婚生活は10年弱続きますが、ラティマーが亡くなり、パーは夫の領地やら財産を相続して裕福な未亡人となります。またラティマーの継子(前妻の娘)の後見人も任せられていました。
2人の夫との間に子供がいた記録は残っておらず、夭逝した子供がいた可能性はゼロではないですが、まあ素直に考えて多分いなかったのでしょう。
結婚までの経緯
ラティマーの死後、パーはトマス・シーモアと交流を重ね恋愛関係になります。しかし宮廷に出入りしていた時にヘンリーに見そめられ、お邪魔虫のトマスはブリュッセルに送られてしまいます。ヘンリーの求婚を断ることはできず、パーは王妃となることを受け入れました。
病気のヘンリーのお世話要員として王妃になったという説は、19世紀に家庭的な女性を良しとするプロパガンダ的に言われるようになったとされており、実際ヘンリーのお世話は医師や使用人がやっていたと考えられています。そりゃそうだよな。
それよりもパーに求められたのは、教養高く威厳ある王妃として振る舞い、外国語の才を活かして外交の場に同行し、3人の子供たちを王族としてふさわしいように教育することだったと考える方がより自然かなと思います。
ヘンリーはおそらく彼女の知性や教養に惚れ込んでいて、医療的なケアというよりも話し相手となることでヘンリーの心を和らげていたんじゃないでしょうか。アン・ブーリン然り、結局教養のある女性が本命なんですよね彼。クレーヴスと全くうまくいかなかったのは多分そこが根本原因で、シーモアやハワードも王子を期待して王妃として迎えたものの、たぶん本命としては物足りなかったんじゃないかなと。
王子を産むということについては、パーの年齢や以前の夫との間に子供がいなかったこと、また当時のヘンリーの年齢や体調も考えると、今回の結婚にはそこまで期待していなかったと思われます。
結婚生活とその終焉
そんなこんなでパーはイングランド王妃となり、また史上初めてアイルランド王妃の称号もセットでゲットしました。これは他の5人とは異なる点です。
パーはまず庶子とされ王位継承権を剥奪されていた2人の王女、メアリーとエリザベスを宮廷に呼び戻し、再び王位継承者とすることに尽力します。ただこの時王女としての身分回復まではできず、2人の呼称はレディのままでした。でも彼女の努力がなかったら、後のエリザベス1世の黄金時代はなかったかもしれませんね。
パーは3人の継子たちにとても慕われていたと伝えられています。長女メアリーとは宗派は違いましたが、アラゴンと自身の母のかつての友情を通して心を通わせていました。エリザベスもパーをお母様と呼んでよく懐いていたようです。
エリザベスとエドワードへの教育も熱心に行い、また後見人をしていたラティマーの継子も女官として宮廷に置き、抜かりなく面倒を見ていました。
ヘンリーのフランス遠征中パーは摂政に任命され、もし戦争でヘンリーが亡くなったらエドワードが成人するまで摂政として政治を執り行うようにとされていました。すごい信頼ですね。兵糧や財政、兵士の招集を取り仕切り、軍の官僚とも緊密な連絡を取り、その威厳ある姿はエリザベスにも影響を与えたと言われています。
この時パーは1冊目の著書を出版し、戦争に際して国民の士気を上げるプロパガンダとしてめっちゃ効果を発揮します。この中の一部、“王のための祈り”はのちにエリザベス1世の時代に英国国教会の祈祷書に加えられ、今でもイギリス君主のための祈りとして使われています。
この1冊目の本は匿名で出しており、2冊目からパー自身の名前で出版しています。パーはイングランドで初めて自分の名前で本を出した女性でした。2冊目の本は宮廷でも手書きの写本や豪華装丁版が広く流通し、またエリザベスが父ヘンリーへの新年のプレゼントとして、この本を複数の言語に翻訳し手刺繍の表紙を付けて贈っています。源氏物語も豪華装丁版が帝へのプレゼントにされていたので、似たような感じですかね(何でもかんでも平安時代に重ね合わせるのやめましょう)。
また反プロテスタント派がパーを陥れようとした動きもあり、一時は逮捕状まで作成されまたもや王妃の打首か!?という危機的な状況になりましたが、すぐにパーはヘンリーと会話して誤解をとき、逮捕状は取り下げられています。逮捕状の取り下げを知らない大法官がヘンリーと歩いているパーを見かけて逮捕しようとし、ヘンリーが激怒してこの大法官を解雇したというエピソードも伝わっています。ヘンリーのパーへの信頼の厚さが伺えます。
5年弱の結婚期間の後ヘンリーは亡くなり、パーは王からサバイブした最後の王妃となります。やったね!ちなみに結婚期間の長さランキングではアラゴンに次いで2位です。
ヘンリーの死後パーは王太后になりましたが、実質イングランド王妃としての待遇を受けていました。どう違うねんという感じなのですが、持てる財産(衣装や宝飾品)や年金周りの額が違ったっぽいです。
幼王エドワードの後ろ盾としての活躍も期待されていましたが、エドワードの戴冠を見届けるとパーは宮廷を去ります。
そしてヘンリーの死から4ヶ月後にトマス・シーモアのプロポーズを受け、こっそり結婚します。I Don‘t Need Your Love♪と歌っていますが実際はちゃんと恋が成就しています。本当に良かったね。
後見人をしていたエリザベスやヘンリーの血縁ジェーン・グレイ(9日女王の有名な絵の子)も家庭に迎えています。
ただこっそり婚とはいえ流石にバレるもの。王の死から日が浅いのになんてこと!と議会では大スキャンダルになり、特にメアリー王女が激おこします。
また色々あって夫トマスと兄エドワード(幼王エドワードの外戚として実権を握っていた)のシーモア兄弟が仲違いしたりします。義兄エドワードの妻とパーも色々揉めていたようです。
パーは3冊目の本を出版したり、聖書の英訳を出して全ての教区に配置し、イングランド国民が母国語で聖書を読めるようにします。すごいことです。歌の中でも出てきましたね。
パーの偉業の一方、夫シーモアは預かっていた当時14歳のエリザベスに興味を持ち始め、パーは間違いが起こらないうちにとエリザベスを別のところに送ります。これがエリザベスとパーの最後の別れでした。
パーは36歳の時にトマスとの間に女の子メアリーを生みますが、産褥熱で亡くなってしまいます。ヘンリーの死から2年弱のことでした。6人の王妃たちは順番通り離婚→打首→産褥死を2周しているんですよね(ヘンリーとの関係で言えばサバイブですが)。
娘メアリーについては2歳頃までしか公式記録が残っておらず、幼いうちに亡くなったと考えられています。名前はメアリー王女から付けられました。パーの名前はアラゴンから付けられているので、母娘セットで名前をもらっていることになりますね。
パーの葬儀はジェーン・グレイが執り行いました。
生涯でトータル4度結婚したパーは、イングランドで最も結婚回数が多い王妃とされています。回数だけ見るとヘンリーと良い勝負ですが、ミュージカルで彼女が言うとおり誰も殺してないので偉い!
ちなみに夫トマスはのちにエリザベスに再度接近し求婚しましたが拒否られ、さらに兄エドワードに取って代わって甥のエドワード王に取り入ろうとして失敗。反逆罪で処刑されています。これは兄エドワードの立場も悪くし、兄も政争に負けて処刑されています。なんでこんな人好きになっちゃったのキャサリン・パー…
パーの死について、エリザベスと結婚したいトマスが暗殺したという説もありますが、まあ信憑性はあんまないです。
またパーについては今月映画が公開されるようです!衣装とかの評判が良いので楽しみ。
インスピレーション
パーのインスピレーション元はアリシア・キーズとエミリー・サンデーです。プロデューサーのトビー・マーロウは映画化するならビヨンセかアリシア・キーズに演じてもらいたいと言っています。
楽曲
パーのソロ曲“I Don‘t Need Your Love”は、知的でソウルフルなR&Bバラードで、ピアノ伴奏と力強いボーカルというスタイルはまさにアリシア・キーズやエミリー・サンデーのよう。アリシア・キーズもよく使っている7メジャーが使われています。
↓このあたりが雰囲気よく分かると思います。
“Fought for female education. So all my women can independently♪”あたりの彼女自身が何を成し遂げたかを語る下りは、デスティニーズ・チャイルドの“Independent Women”からのインスパイアっぽいです。
また最初の全員曲Ex-Wivesの自己紹介パート、“I'm the survivor, Catherine Parr♪”には同じくディスティニーズ・チャイルドの“Survivor”と同じメロディーが使われています。
トビー・マーロウが映画化した時の夢のキャストにパー役としてビヨンセの名前も挙げているので、ビヨンセの自立した女性というイメージもキャラクターに反映しているのかもしれないですね。
衣装
衣装のテーマカラーは青。6人の中で唯一のパンツスタイル(クレーヴスのショートパンツは別として)で、肩にボリュームがある感じも含めアリシア・キーズっぽいスタイリングです。髪型もキャストによりけりではありますが、サイドにまとめた感じがアリシアっぽいですよね。短髪のキャストは刈り上げでエミリー・サンデーぽいスタイルにしている人もいます。
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