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ミュージカルSIXの話⑧:おまけその2(バンドメンバーの侍女たち)
ミュージカルSIXではバンドメンバーも全員女性です。彼女たちは侍女と呼ばれ、役名がついているのにお気づきでしょうか。彼女たちにもちゃんと実在のモデルがいるのです!
マギー(ギター)
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正式な名前はマーガレット・リー、旧姓はワイアット。
騎士階級の家に生まれ、ブーリン家の領地の近くに住んでいたことからアン・ブーリンと交流があり、後にアンが宮廷に上がると女官として同行しました。アンとは年齢も近く、姉妹のように親しい友人同士だったと言われています。
アンが王妃になると王妃付衣装係長になり、アンの贅沢三昧に大きく関与しました。
アンがロンドン塔へ送られるとマーガレットはアンの元を訪ね、最後のプレゼントとして祈祷書と短い手紙を受け取りました。
ちなみにマーガレットの兄トマス・ワイアットは政治家兼詩人で、アン・ブーリンのことと思われる恋愛の詩をいくつか残しています。アンの浮気相手として一時ロンドン塔に幽閉されますが、トマス・クロムウェルなどの支援で釈放され政治に復帰しました。ワイアットの妻はアラゴンの元侍女で、ハワードの処刑後次の王妃候補として噂されたこともあります。
またマーガレットの夫サー・アンソニー・リーはクロムウェル派閥の政治家で、アナ・オブ・クレーヴスがドイツからやってきた時に出迎え役もしています。
マーガレットの子供達はエリザベス1世の有名な家臣となったり、スペイン無敵艦隊との戦争で活躍したり、イタリア語↔︎英語の辞書を編纂したりしています。
ベッシー(ベース)
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正式な名前はエリザベス・ブラント。
地主階級の家に生まれ、父親はフランスとの戦争で活躍していました。
ベッシーは美人として有名で、陽気で音楽やダンスの才能もあり、キャサリン・オブ・アラゴンの侍女として宮廷に入るとすぐにヘンリーの愛人になりました。そして1519年にヘンリーの息子を出産します。そう、アラゴンの歌に出てきたあの「指輪をもらっていない誰かさん」が彼女です。愛人関係は8年程度と結構長く続きました。
息子はヘンリー・フィッツロイと名付けられます。フィッツロイは「王の息子」という意味で、王の庶子に付けられる名字でした。彼は王妃以外が産んだ中で、ヘンリーが唯一認知した子供でした。
この子が生まれたことで、ヘンリーは男の子が生まれない・育たないのは自分のせいではないのでは…?と、王妃を変えるという考えが頭をもたげたようです。
出産後ベッシーは貴族の男性と結婚して宮廷を去っています。ヘンリーの愛情はこの頃すでにアンの姉メアリー・ブーリンに移っていたのと、まあ流石にアラゴンの侍女を続けるのは気まずかったのでしょう。
息子の養育にはあまり関らず、後に一瞬だけアナ・オブ・クレーヴスもしくはキャサリン・ハワードの侍女として宮廷で働いたと言われています。ただ体調を悪くしてすぐに家に戻り、その後しばらくして亡くなっています。
息子のフィッツロイくんはヘンリーから屋敷を与えられ、まるで王子かのような待遇だったと言われています。6歳の頃に宮殿に招かれ、貴族の最高位である公爵の位を2つ与えられました。庶子としては本当に破格の待遇です。当時ヘンリーの子供はメアリー王女しかおらず、フィッツロイに接近する政治家たちもいたほどでした。その後伯爵の位ももらい、さらに一時アイルランド国王にする案も出ましたが、結局イングランド王がアイルランド王を兼ねることになり、総督止まりとなりました。また1年間だけフランス宮廷にも滞在し、王太子フランソワと共に過ごしています。
王位継承権を渡すためにメアリー王女と結婚させる案も出ましたが、結局ハワード家の娘(アン・ブーリンやキャサリン・ハワード、ジェーン・シーモアとは従姉妹)と結婚しています。しかし子供はいないまま、1536年に若くして結核で亡くなりました。
彼がもし長生きしていたら、エドワードからエリザベスまでの王位継承争いのどこかに巻き込まれていた可能性もあるかもしれませんんね。
マリア(ドラム)
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正式な名前はマリア・デ・サリナス。
名前からお察しの通りスペイン出身で、カスティーリャ王室とも血縁関係があったと言われています。最初はカスティーリャ女王イザベルに侍女として仕え、その後キャサリン・オブ・アラゴンの侍女となり、アラゴンの結婚に付き従ってイングランドへ渡りました。アラゴンとはとても仲が良かったと言われています(カーテンコールでの紹介もアラゴンからされていますよね!)
ヘンリーからの覚えもめでたく、結婚を機に城をもらったり、海軍の船に彼女の名前をつけたりしています。
アラゴンが宮廷から追放されると、何度も会いに行こうとしますが連絡を禁じられます。ついにキンボルトン城に押し入り、アラゴンの最期をその腕の中で看取りました。
マリアの娘キャサリン・ブランドンはキャサリン・パーと仲が良かったそうです(パーの母親もアラゴンの侍女だったので、その縁でしょうか)。娘キャサリンはヘンリーの7番目の妻候補になるのではという噂が一時出回りましたが二人の友情は変わらず、ヘンリーの死後はパーの著書出版に資金提供したり、パーの死後娘メアリーの後見人になったりしています。
ジョアン(ピアノ)
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正式な名前はジョアン・メウティス。名前はジェーンと呼ばれることもあり、また旧姓はアストリーです。
ジェーン・シーモアの私室付侍女でした。
夫ピーターはカレーでアナ・オブ・クレーヴスと会見した高官の一人で、ピーターとの間に生まれた娘は後にエリザベス1世の侍女となりました。
ジョアンのシーモア死後の動きや、没年などは伝わっていません。情報が少なすぎる…
ジョアンを描いたハンス・ホルバインのスケッチが有名で、王妃シーモアのスケッチと同年代に描かれたとされています。またジョアンのスケッチは18世紀の版画家フランチェスコ・バルトロッツィによって版画になり、後世に出版された「ヘンリー8世時代のハンス・ホルバインのスケッチ集」に収録されています。