ドイツ短期留学、大学進学の理由
僕が伝えたいことは後半にあります。読んで頂けたら幸いです。
僕は高2の時に夏休みを使って一ヶ月弱ドイツにサッカー留学をしました。
留学を決めた経緯としては、自分がいる現在地とプロに近い同年代の選手(全国常連高、Jユース)との差を埋めるにはどうしたらいいか、当時ずっと考えていました。普通に高校の部活に通っていては差は縮まらずどんどん差が開く一方だなと思っていて考えた形がサッカー留学でした。
短い留学でしたが全てが刺激的で日本とドイツの違いやそこで練習を重ねていく上で自分と向き合った日々は忘れることはありません。
その留学の最後の一週間はご縁があり当時のバイエルン州サッカー協会の副会長のホルストのお家でホームステイさせていただきました。オーストリアに連れて行ってくれたりブンデスリーガの試合に連れて行ってくれたりしました。ホルストの家族も僕に優しくしてくれて本当に暖かい人達でした。
今もこれからもとても大切な思い出です。
ホルストは留学の1年後、自分が高3の冬前に突然亡くなりました。
軽く聞こえたら嫌なので悲しいという言葉は使いたくないですがそういった感情より感じたのは、
ドイツ語を喋れない僕は、ホルストのご家族に、日本でいうご愁傷様ですやご冥福をお祈りいたします。という言葉を伝えられないのです。
伝えることが出来ない辛さ、苛立ち
本当にこれは表現することの出来ない痛みでした。
次会う時にドイツ語で伝えたい、話したいそう思って大学に否定的だった僕はドイツ語専攻の大学に進学をしました。
その後、大学2年の時に日本に来たホルストのご家族に自分の感情を言葉にして伝えることが出来ました。その際の夫人の顔は忘れることが出来ません。
余談ですが、その目標を達成した僕の大学生活はドイツ語には全くやる気は出ず今振り返ればサッカーばっかり考えてたそんな生活でした。笑
言葉、言語は感情や思考、意志を伝えるために必要不可欠な道具であって言葉がなかったらと考えたらゾッとします。今以上に争いが起きてただろうし他の動物とさほど変わりません。
言葉、言語は人と人を繋ぐ、なくてはならないものなのでしょう。
あっでもホルストはドイツ語が喋れない僕が部屋に長い間いるとリビングにいなさいと言ってました。
ドイツ語喋れないのに。
なんか、、言葉いらないのかもな。
Ruhe in Frieden Horst.
Rikumaru
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