怒りの感情に対応する「2つの」方法
前方から車が進入してきたので、停車した。図書館の駐車場内だ。すると、前方の車を運転する男が「汚いモノを見るような顔」をして、手で「あっち行け!」とサインを送ってきた……。
平日の図書館は、オジさんたちのたまり場だ。彼らには、「自己中心的」という共通点がある。
「新聞は、このテーブルでお読みください」
「新聞は、おひとり一紙ずつ、お読みください」
新聞コーナーには「そんな張り紙」がある。さらに、スポーツ新聞は「別扱い」で、貸し出しカウンターに置かれている。
いずれも、自己中心オジさんたちの「トラブル」が、あった証拠だ。
「あっち行け!」サインには、カチンときた。
でも、車を降りて文句を言えば「結果」は、予想できる。ぼくは「あっち行け!」に従って、男の車をやりすごした。
当然だけど、心中は穏やかじゃない。「怒り」の感情で満ちている。そのままにしておくと「怒りの感情にとらわれる」状態になる。「感情に呑まれる」のだ。「感情に呑まれる」のは気持ちが悪い。
「怒り」の感情に対応するには、2つの方法がある。
A「アイツはダメな奴だ」と、相手を下げる
B「お前は、よくガマンした」と、自分をほめる(上げる)
「怒り」の感情にとらわれているときは、「自分は悪くない、悪いのは相手だ」と強く思っている。だから「A」は、やりがちな対応だ。「B」は、泣いて怒っている子どもにお母さんがやる方法。
怒りの感情を「やりすごす」には、どちらの方法が有効か、試してみた。
「いつまでも、同じ感情を引きずる人は“ヒマ”なんですよ」と、言われたことがある。たしかに、他のことに気を取られていると「怒っていたこと」を忘れている。うまく「やりすごして」いるのだ。
「アイツはダメな奴だと、相手を下げる」と、いつまでも「アイツ」が自分の中にいる。これでは、怒りの感情をやりすごせない。
とはいえ「お前は、よくガマンしたと、自分をほめて」も、納得できない。実際、お母さんに「そう言われて」も、子どもは泣いて怒っている。
でも、いつまでも怒ってはいられない。お腹は空くし、ゲームはやりたい。見たいTV番組だって、ある。
「怒り」の感情に対応するには、「怒りの対象から離れる」ほうが有効だった。わざわざ「怒りの対象」に近づいて(思い出して)、怒りの感情を掘り返しても、損するだけだ。
幼い頃に「短気は損気」と、怒っている自分に言葉をかけた母親は、適切な対応をしたのかもしれない。