「わかる」ためには「前提」がいる
「勉強のやり方がわからないんです」
先生をしていた頃「そんな訴え」をする、生徒がけっこういた。
「まず、教科書を読む。そして、ひたすら写す。この繰り返し!」
そう答えると、生徒は例外なく不満そうな顔をする。ぼくは真面目に言っているのに、「適当にあしらってる」と思うらしい。
なぜ「わからない」のか。「わかる」ための、前提となる知識がないからだ。「読書百遍意自ずから通ず」という諺は、「前提となる知識」を身につけるには、時間がかかる。だから、つべこべ言わずに「やれ」、という教えだ。
立川談春『赤めだか』では、談志が弟子に稽古を付ける場面が出てくる。談志の稽古は、教わる方にとってはこの上なく親切だったようだ。
「芸は盗むものだと云うが、あれは嘘だ。盗むには、キャリアが必要だからな。最初は俺が教えたとおり覚えればいい。俺がしゃべった通りに、そっくりそのまま覚えてこい。物真似でかまわん。それができる奴を、とりあえず芸の質が良いと云うんだ」
「芸は盗むもの」とは、学ぶ姿勢。「教えてもらう」という受け身の姿勢ではなく、自分から主体的に学ぶ意欲の大切さを強調しているのだ。
もちろん学ぶ意欲があっても、方法がわからなければ空回りするだけ。
ところが、この「方法」がくせ者だ。
『落語の話し方が身につく方法』という本を読んで「身につく方法」が「わかる」のは、すでに身につけた人だけ。身につけようとする人が読んでも「ちんぷんかんぷん」になるか、「わかったつもり」になるのが関の山。
落語に限らず、どの分野でも専門用語はある。専門書が難しいのは、専門用語が理解できないことだけが理由じゃない。
用語の意味が分かっても、文章が伝えようとしているポイントやメッセージが理解できない。その分野を専門としている人なら「当然知っている知識」が不足しているから、行間(書かれていないこと)を補って読めないのだ。
談志の云う「盗むにはキャリアが必要」とは、その分野を専門としている人なら「当然知っている知識」を学ぶには時間がかかる、という意味だ。
「最初は俺が教えたとおり覚えればいい」は、「自己流で覚えてヘンなクセをつけるな」と、言い換えられる。
身についていない技(芸)を自分のものにしようとするのだから、時間がかかるのは当たり前だ。
わからない(身につかない)という、不愉快な状態をガマンする。ガマンして、とりあえず先へ進まないと、必要とされる経験(知識)が何であるか気づけない。
わからない(覚えられない)という、苦しい状況に耐えて、ひたすら繰りかえす。どの分野でも同じだと思う。
談志は、素直にガマンできる人を「芸の質が良い奴」と、表現する。
談春さんは……
15分の前座噺を覚えるのに1ヶ月かかった、そうだ。