フットサル転向
僕が大学4年になるタイミングで、大学サッカー部に「フットサル部門」が設立されました。
小中で少しだけフットサルをやっていたり、兄がFリーグで活躍している姿を見ていたので迷うことなくそこでフットサルをやりたいと思いました。
このフットサル部門というのは、フットサル希望者だけ大学サッカーと並行して、週に2回フットサルをプレーするというものでした。
フットサルは、コートがサッカーコートの役1/9の広さで、人数もサッカーよりも少ない5人でプレーする為、サッカーよりもプレーに多く関わることができ、攻守が絶え間なく繰り返される迫力が魅力のスポーツです。
そのスタイルが自分に合っていると感じ、週2回のフットサルの練習がサッカーよりも楽しくなっていきました。
ただ当時はサッカーでプロになりたいと思っていたので、大学卒業後に自分がプレー出来そうなJFLや、関東リーグの社会人サッカーチームの練習に参加させていただいて、卒業後もサッカーを続ける気満々でした。
ここで転機が訪れました。
大学4年の夏、当時大学サッカー日本一と言っても過言ではない、明治大学サッカー部との練習試合がありました。
こっちはトップチーム、明治大学は1.5軍。
大学サッカー日本一のチームの1.5軍に対して個人的に全く歯が立ちませんでした。
試合後、「明治の1.5軍でこんなに強いのか、これじゃ大学卒業後にサッカーでプロを目指すのは今の自分の実力では厳し過ぎるな」と心が折れてしまいました。
この試合での圧倒的な敗北を機に、大学卒業後にサッカーを続けることを辞めました。
そんな時に、自分のプレースタイル的にもフットサルの方が活躍出来るのではないか、フットサルの方が現時点で心の底から楽しめているという気持ちを思い出し、大学卒業後にFリーガーになると決めました。
就職活動において、自分の選択肢を広げるために関東と地元である長野でそれぞれ企業から内定をもらっていました。
そして地元長野には当時F1 (Fリーグdivision 1)に所属していた「ボアルース長野」がありました。
地元長野に内定をもらっている企業があり、そしてFリーグのチームがある。
こんな幸運なことはない。ここでプレーする。
そう決めて、ボアルース長野のセレクションを受けに行きました。
セレクションには20人ほど参加者がして、中にはFリーグでバリバリやっていた人もいたので、かなり緊張したのを覚えています。
なんとか合格することができ、無事に大学卒業後にボアルース長野でプレー出来ることになりました。
今年、ボアルース長野3年目。
現在に至ります。
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