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イチ、二、サンバ

2013年夏。

参加し続けていたサンバ団体で、
浅草サンバカーニバル日本一優勝を叶えた。

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自分は社会人一年目。
仕事への不安、
新しい環境でのソワソワの中、
サンバにも打ち込んでいた。

1年をかけて365日の40分間の浅草サンバカーニバルへ、
情熱を燃やしパレード構成や歌、
衣装や山車、音楽、様々なものを作り上げるのが、
僕らのチームの1年だ。

そして浅草終了とともに、
1年間積み上げて作ったものは、
ゴールと同時に破壊する。

儚いその40分のため、
大人も学生も1つになって夢を詰め込み
パレードで大声で歌い叩き踊る、
その瞬間が大好きだ。

せっかくだから、
仕事もプライベートも両輪で。

学生時代成し遂げることができなかった、
日本一に向けて、まだまだサンバを、
社会人になってもみんなとしていたい。

そう思っていた自分にとって、
チームの仲間と獲得した念願の日本一、
しかもチームの旗を持ってチームの紹介をする、
大切なポジションとして。

とってもうれしかった。

こんな思い出に浸っていると、

「なんでサンバを始めたのか?」

周りからもたまに聞かれるし、
そもそも自分でも、
ふと、
なんで自分はサンバの道に踏み入れたのか、
思い出すことがある。

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あれは、大学1年のことだった。

早稲田大学に受験で合格。

受験の1週間前に祖母を亡くして、
メンタル的にもボロボロだった中、
運がよかったのか、祖母のおかげなのか、
偏差値が日本史以外40台だったところからの、
奇跡の逆転合格。

胸を弾ませて、早稲田大学に入学。

入ったサークルはテニスサークル。

いままで部活では補欠でずっと表舞台に出ていなかった自分からすると、
そこはみんなが主役の最高の環境だった。

おもしろいことを言えれば、
お酒をたくさん飲むことができれば、
テニスがうまければ、
何か詳しいものをもっていれば、
誰でも前に出ることのできるチャンスが広がっていた。

そんな楽園で、

多くの楽しい仲間に囲まれ、

女の子やお酒の味を知り、

気づけば、

「大学に入ってたくさん勉強をして考古学者になる」

という祖母の枕元で語った夢もどこかに消え去り、

「モテたい。飲みたい。楽しみたい。」

という、いわゆる典型的なシティボーイ大学生に変貌してしまっていた。

その楽しくて仕方がないテニスサークルで、

いかに、瓶ビールを早くイッキ飲みで飲み干すことができるか、

いかに、クリエイティブでキャッチーなコールを考え盛り上げることができるか、

いかに、テニスをうまくなって、試合に出られるようになるか。
(ちゃんと練習もしていましたから!)

そういったことを日々磨いていた中、

時は流れ、11月の早稲田祭(早稲田大学の文化祭)が訪れた。

文化祭大好きな自分にとって、
お祭りが大好きな自分にとって、
とっても楽しみにしていたイベントだった。

もちろん、所属しているテニスサークルでも出店をするのかと思いきや、
伝統的に、出店をしない流れになっており、
かなり残念な気持ちになったのを抑えきれなかった。

早稲田祭の当日は、
同じテニスサークルで同じような気持ちを抱えていた友人Aとともに、
大学の裏にあるファミリーマートでストロング缶を買い、
駐車場でショットガン飲み(良い子は真似しないように)の練習をして、
昼間から酔っ払って過ごしていた。

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そして酩酊状態で迎えた、ラストのフィナーレ。

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ぼんやりとした頭で確かに、覚えている。

早稲田祭運営スタッフの委員長が泣きながら最後の挨拶をしていた。

遊びの一生懸命な生活をしていた自分から見ると、

まぶしすぎる高嶺のフラワーな、「あっち側」の世界。

正直自分ごと化して耳を傾けていられるとは思えなかったが、

あるフレーズが僕の心を突き動かした。
(多少の思い出補正はあるかもだが)

「僕たちは幹部から、
そう今、早稲田のどこかで交通誘導をしてくれている1年生まで、
全員が、この365日のたったこの日のために、全てを捧げてきました。」

当時はまだリリースされていなかったが、
今思うと、完全にMr.Children『365日』が脳内再生するくらい、
体に電撃が走る言葉だった。

自分は、何をしてきたのだろうか?
何かに夢中になって、仲間と全力で何かをつくりあげる、なしとげる、
そんなことができているのか?
死んだ祖母に顔向けできるようなことが、
はたしてできているのか?

ストロング缶で頭が朦朧としていた中でもはっきりとわかる感覚。

体が、心が、燃えていた。


「何かに身を捧げて一生懸命になって、

 早稲田を、世の中を賑わせたい。」


そう、思った。

代表の挨拶が気づけば終わっていて、
いよいよエンディングを迎えようとしていた。

その時笛の音とともに、群衆が湧き上がる。
そして、どこか心踊る、血湧き肉踊るような、
サンバの音楽(通称:バツカーダ)と呼ばれる、
打楽器による音楽が流れてきた。

そう、そのサンバサークルの名は、
早大ラテンアメリカ協会。

下記のような、サンバのリズムで、
早稲田をいつも一体感の渦に巻き込む、
謎のブラジル国旗を背負った集団だ。​

もともとこの団体は、
新入生歓迎期間の時期に、
この輪っかの外から見ていて、
どこか早稲田らしく、
華のあるようなないような集団で、
音楽をやってこなかった自分にとっては、
遠い世界のもののように感じていた。

しかし、この早稲田祭のときは違った。

なんだろう、
どこか、直感なのか?
なんともいえない感情がこの瞬間に、
自分の中でうずまき、
気づけばこの人たちの仲間になりたい。
そう思っていた。

冷たい空気の部屋から、熱い風呂に入った時の温度差?
なんだろう、そんな急な温度差で自分のハートが湧いた気がした。

一歩を踏み出そうって、思った。

その翌日、僕はサンバサークルの扉を叩いて、入会することになる。

テニスサークルももちろん大好きだったが、
みんなにお別れを告げた。

余談だが、僕の好きな映画に『インターステラー』というものがある。

その中で、

"ニュートンの運動第三の法則"
前に進むには、後ろになにかを置いていかなければならない。

というフレーズがある。

まさに、その通りで、自分が前に進むために、
必要なお別れだったんじゃないかな、と、ふと思う。


そして、
そのサンバサークルの加盟しているサンバチームで、
一生の仲間ができて、恋人もできて、
尊敬する先輩やかわいい後輩に囲まれ、
365日のたった1日の40分間に魂を燃やす経験を、
そこから毎年していくことになる。

このサンバの経験は、社会人になった今でも大切に生きている。

何もないところから、
自分たちでコンセプトを考えて歌を作り、
衣装のデザインをして、山車を組み立て、
大事な大事な大学生の夏のすべてを、
サンバに費やしたあの日々。

毎日が文化祭のように、
チームでモノづくりをして、
それをお客さんに見てもらうよろこび。

間違いなく、
今の広告マンとして自分が働く、
モチベーション・よろこびの原点でもある。

あの時、早稲田祭にいっていなかったら?
あの時、ストロング缶でもしつぶれてしまっていたら?
あの時、代表の挨拶を聞かずに家に帰っていたら?
あの時、サンバのリズムに心が踊らなかったら?

そんなことを言ったらキリはないけど、
あの時、サンバのリズムを聞いたおかげで、
僕の人生は大きく動き出した。

あの時の感情はなんとも言い難い。

今思うと、自分の人生へのステップを刻む、

「イチ、ニ、サンバ」

だったのかもしれない。

なんてね。

(未来へ続く)

#言葉の企画



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